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2019年7月12日金曜日

過剰診断の「進行しない」性質について

がんの過剰診断は理解されにくい。それはある面仕方がない。
「進行しない」がんというと、「進行しない」という性質はがんに属するものだとまず思うからだ。しかしこの「進行しない」という性質は、がんだけに属するものではない。
どういうことか。

例えば、生物学的にまったく同じ性質を持つ二つのがんが、全く健康な50歳にできた場合と、慢性の病気を持った同い年の人にできた場合を考えてみる。がんの生物学的な振る舞いが同じとしても、前者は70歳でがんで死に、後者は50歳で元の病気で死んだとしよう。前者は過剰診断でなく、後者は過剰診断になる。生物学的には全く同じがんが、である。

もう一つ例を挙げよう。
同様に生物学的に全く同じがんが、全く健康な50歳にできた場合と、現在の全く健康な50歳にできた場合を比較してみる。前者は55歳の時に無症状のまま検診で発見し、即座に治療をして、80歳で別の病気で亡くなった。後者は70歳の時に体調不良で受診した際に受診してがんの診断を受け、治療をして、80歳で別の病気で亡くなった。この例は遅く見つかったのに寿命が同じなんておかしい、と思う人がいるかもしれない。しかし、その考えこそが必ずしも正しいとは限らない。

一つはこのがんが放置した時でもがんの発生から死に至るまで40年かかるがんだった場合である。この場合は前者後者とも、過剰診断かもしれない。これはがんの進行が極めて遅いというがん側の生物学的な性質によって、両者が過剰診断になっている。

もう一つは、放っておくとどちらもがんで死んでしまう進行の早いがんである。しかし、前者の人が治療を受けてから、後者の人が治療を受けるまでに治療が大幅に進歩し、15年後でも治療で治癒してしまう時代になると、前者が過剰診断になっている。ここでも、生物学的には同じがんが、前者では過剰診断、後者では過剰診断になっていない。

ここではもう一つの場合があるが、それが論座で紹介した、遅く見つかったほうがいい面があるという例である。これは治療が進歩していなくても、それほど早期でなく、ある程度遅く見つかっても治るなら、前者を検診で見つけると過剰診断になってしまうのである。

つまり過剰診断の「進行しない」がんの性質は、周囲との関係性によって決まっており、がんの性質だけでは決まらないということがわかる。

「進行しない」がんというと、常に「進行しない」のはがんの方だと考えがちなのだが、現実はそうではない。別の病気で死ぬ可能性もある。治療が進歩する可能性もある。多少早く見つかっても遅く見つかっても、治療が有効だとどちらも治ってしまう場合もある。「進行しない」のは周囲によって規定される場合がしばしばあるのだ。

つまり、甲状腺がんの過剰診断に関して、いくら見つかったがんの生物学的側面のみを取り上げて、その診断閾値を考えたところで、それとは全く関係ない周囲の状況によって出現する過剰診断には全く無力なのである。そうした過剰診断を考慮した場合に、いくら診断閾値をいじったところで大部分の過剰診断を減らすことはできないというのが私の予想である。

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