何がひきつけるのか、よくわからん。
株主優待券と自転車。棋士。
優待券を使うために生きている、順序が逆ではないかと、まずはそう突っ込みたくなる。
しかし、テレビで見る桐谷さんは、順序が逆のようには見えない。優待券を使うことこそ生きることである、そう見える。
これはいったいどういうことなのか。
考えてみれば、優待券を使うために生きているというのは、生まれてきたから生きているというのと同じ構造だ。
生まれてきたというのは優待券をもらったということだ。だからそれを使い切るために全力で頑張る。
すでに自分も多くの優待券をもらってきた。それをちゃんと使い切っているかどうか。それを問われた感じがしたということか。
優待券は無駄に思われるようなものも多い。しかし、そんなことは重要ではない。使い切ることが人生なのだ。
優待券を使い切ることは苦しい。
しかし、自転車で走ることには何の苦痛もない。
桐谷さんのコメントがよみがえる。
書き始めて少しわかった。
我々は多くの優待券を受け取りながら、それを使い切るために生きているのだ。優待券が自分の好むものか好まざるものかに関係なく。使い切るのはどうせ苦しいのだ。自転車で走るのには何の苦痛もないのだ。
しかし、自転車で走るのも苦痛だな。
困ったもんだ。