2009年6月24日水曜日
ディアドクター
代診の帰り、駅で電車を待つ。待っている間でポメラを打つ。午前はかつて勤務した診療所の代診、今日もたくさんの懐かしい患者さんたちとあった。別に医者としてということでは、なんと言うことはないのだけれど、昔作手に12年も住んだということでは何かあるという気がする。ディアドクターの偽医者と自分の差はどこか。あの偽医者は、俺は偽物なんよ、ということで本当のことを語ることができる。しかし私はどうかというと、偽物なんよと言うとそれがまた嘘になる。そういう訳の分からない立場。どこまでも嘘をつき続けないといけない。なんてこった。私は本物の医者だといっても、偽物と言ったとしても、どちらにしろ嘘。免許などというのはただの紙切れにすぎない。嘘を突き通すための道具だ。僻地の医者というものは、そういう在り方以外に在りようがない。そういうところで自分の琴線に触れて、映画が冷静に見られない。全然楽しめない。いつの間にか映画の話になっている。招待券が二枚届いた。もう一度見に行くかどうか。妻と娘にくれてしまうか。もう一度みればもう少し冷静にみられるかもしれない。逆かもしれないが。自分は偽物なんよ、と言いそびれたまま、免許があることをいいことに嘘をつき続けている。そういう自分の暗部に否応なく触れる。臨床を離れ、教育と研究の仕事に移りたい、というのも、偽物のまま生き延びる方便なのかもしれない。医学教育と臨床研究、本当はそんな転向ではなくて、あの偽医者のように、給食夫にでもなれればいいのだが。そういうこと書くこと事態が、欺瞞にほかならない。そうなるともう書くこと自体が無理になってくるというのに、それでも何か書き続ける。書き続けることも、また嘘をつき続けることの一つかもしれない。
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