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2010年1月15日金曜日

新年早々

新年早々不愉快なこと続きで、と書き始めて、新年早々に悪いことは起こらないというような前提に立っている自分に気がつく。要するに不愉快なことが続いている、そういう当たり前の状況である。
そこで読んだ一冊の本。組織と人間、沈まぬ太陽の主人公のモデル、小倉寛太郎と佐高信の対談。佐高信の言うこと書くことはどうにも生理的に無理なところがあるが、小倉寛太郎に負けて買ってしまった。

予想通りの内容で、お買い得感なしの本ではあるが、それでも、自分自身のことにつなげていろいろ考えることもあり、読まなければあえて考えたりしない、いやな面のいい面というか、そういうことにどうしてもふれることになる。
理不尽な人事でアフリカに長くいることで学んだこともあり、それは会社に感謝すべきじゃないかという周りからの意見に対して、断固そうではないと述べる。会社には絶対感謝などしない、その強い意志。しかしあの理不尽な状況にとどまり続けてがんばるには、何かないと無理な気がする。やめることで会社の悪い奴らを喜ばせることだけはしたくない、そういう発言もあるが、本当にそれだけの理由で頑張れるものだろうか。
ここまで理不尽な思いをしてもなおかつ前向きに生きる、その背後には何かある。しかしそれについてはいっこうによくわからない。親からの教えというのが載っているのだが、天知る、地知る、我知る、みたいなもので、父から言われたそんな言葉で乗り切れるようには思えない。
生きることに対する何か、生きることは尊いということか。アラゴンの詩のように、人生には苦しんで生きる値打ちがあると。

それだけのことか、しかし、それだけでこのように生きられるものだろうか。
会社に感謝することなどなくても、何かに感謝せざる得ない、そうでないとこんなふうに生きられない。何かに対する感謝、そのことについて、何か明確に述べられていただろうか。あまり心当たりはない。しかし、そういうところを探して読み直す必要があるかも知れない。
不平不満ばかり言っている自分。自分が受けた理不尽さなど、ものの数には入らないようなことばかりだ。それなのに何で不平不満ばかりがでてくるのだ。

感謝すべきものが見つからない。そういうことかも知れないと思う。
感謝すべき人は死んでしまった人ばかりだ。

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