医学部での授業。
なんか知らんが、またよみがえってきた。
50歳の男がどう死ぬか。それについてみんなと考えたい。そう始めたら、何も進まない。
ある学生が手を挙げていう。
「どうして50歳なんですか?」
そこでつまずくか?
小説読みながら、主人公が50歳だと? なぜ50歳なのか? そんな風に考えるのか?
そこで作家に質問の手紙を書くのか?
そういう読み方もあるかもしれないが。
そんな質問をする暇があったら、どうして問題集を広げているのかと、同級生を問い詰めるべきではないのか。
「困ったな。もうやめようかな。どうする。続ける元気がなくなってきたんだけど」
正直にそう答える。
5秒くらい黙っていたら、なんとなく静まったので、予定通り続けることにした。
それにしても、だ。
自分自身に対するこの寛容さと、他人に対するこの厳しさのギャップは何か。
これは深く考える価値のある問題だ。
自分自身に対するこの厳しさと、学生に対するこの寛容さのギャップは何か。
こんな問題はさして考える必要はない。
ここには何かが現れていると思う。
象が現れている。
安部晋三が本当に総理大臣に復帰する。
この2つはつなげることができるような気がする。
1 件のコメント:
ぼくも中三でとった電話級の免許証をこの間再申請して手にいれました。
同じくそれ以降はほったらかし。
昔のコールサインも思い出せません。
まあほとんどon airしませんでしたので。
60歳 外科つぶれの町医者です。
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