ここで働いています

2008年4月2日水曜日

4月1日 第二幕

エイプリルフール だからといって特別なことはない。どうせいつものように嘘八百


ショーケン読んだ。


前半は一気に読んだ。ワイドショーネタだからか。
後半はきつい。最後が仕事をくれみたいな感じなのはどうか。
それがよいのか?


腹が出るのが心配で、がんになるのが心配で、これから第二幕。どんな二幕か、ちょっと興味がある。

で、私も第二幕?

へき地診療所を離れ、知らないうちに、5年が過ぎた。そう書いて、いきなり行き詰る。

5年」と書くことにどういう意味があるのか。「過ぎた」と書くことに何の意味があるのか。そもそも、本当は「知ってるうちに」である。「知らないうち」なんて真っ赤なうそである。どうしてそんなうそを書くのか。そんなうそに何の意味があるのか。
再び「書く」と決めた以上、こういうことにまでこだわる。「書く」ということ自体を見直さなければ、「再び」書くということを、正当化する理由が見つからない。
「再び」書くということは、以前に書いたということである。そして、それが一度終わったということである。そして、再び書くことを「決めた」とはどういうことか。「決める」なんてことがそもそも可能なのか。ただ再び書いているだけではないないのか。わざわざ、再び書くと「決めた」と書かなければいけない理由はどこにあるのか。

どうしても行き詰る。とにかく行き詰る。「行き詰る」と書きながら、まだその先を書こうとする。そして、実際に書く。別に行き詰ってはいないことがすぐわかる。書くくらいなら、なんだって書いてやる。
「なんだって」、これもうそだな。どうしてまたこんなうそを書くのだ。

再び、「再び書くと決めた」と書く。一度目の、「再び書くと決めた」、と何が違うのか。そこである。問題は。

時は流れ、私は残る。一度目の二度目も同じであれば、そう言っていいかもしれない。しかし、一度目と二度目は違うのである。「私」は残ってなんかいない。「私」も流れる。だから、こうして、再び、書くと、決めた。

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