これは子供を対象にした問題だ、というところが大きな壁になっている。
過剰診断も高齢者や別の病気を持っているところで起きやすいというところにフォーカスして、子供には当てはまらないと。
いつ治療を始めようが結果が変わらないと過剰診断になってしまうというようなところに関心が向かない。しかし、そうした過剰診断は子供にとってこそ重要だ。10歳で治療しても20歳で治療しても同様なら、20歳のほうがいいでしょう、というような場合は、高齢者より差が明らかだ。がん患者として日々生活する10代とそうでない20代の差は70代と80代の差よりはるかにはっきりしている。子供であるからこそ過剰診断の害が大きいのである。
前回のポイントにつなげて言えば、過剰診断の害もがんの性質だけではなくてエコロジカルにしか決まらない。
しかし今回書こうとしているのはそういうことではない。
何より認識の違いは、原発事故があったということ自体が、とてつもない過剰診断を生む根本的な原因で、それは被曝による甲状腺がんの危険よりはるかに大きいことが予想されると考えるか、その部分をあまり考えないかということにある。
前者で考えれば、とにかく無理に甲状腺がんを見つけないことこそ重要。見つけたうえで診断閾値をどうするかなんてことは全く問題にならないと考える。ましてやエコーのような精密な機械で見た時に、どこに診断閾値を置くかというような問題は、原発事故後に甲状腺がんを心配するために生じる過剰診断という今まで経験したことがないような大きな過剰診断の危機を心配するものにとって、全くお話にならないということになる。
そこでとにかく検診をして甲状腺がんを見逃さないという極端と、何もしないほうがいいという極端の間で、現状は過剰診断をできるだけ避けるような方法で検診を継続するというところで現実が進んでいる。
既に福島では、甲状腺がんを心配しない子供を持つ親のほうが少なくなってしまって、過剰診断がこの時点ですでに猛烈に増えている。
今の状況は、放っておいても日々過剰診断が続々と出てしまう。被曝量が少ない地域で見つかるものはいかなる診断閾値を採用しても大部分は過剰診断だ。都内でも甲状腺がん検診が行われ、それも同様に過剰診断ばかりしている可能性が高い。
原発事故こそが過剰診断の最大の温床である。過剰診断は、検診をしなくてももうすでに起きてしまっていて、検診を行うかどうかすら問題ではない。検診を行わなくても起こる過剰診断にも配慮が必要なのである。
そして、子供が対象であるからこそ、その過剰診断こそ最も問題にしなくてはいけないと思っているのだ。
だから、重要なことは個別の相談であって、検診ではない。
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