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2019年7月13日土曜日

理解しがたい思考

がん検診の害について、いろいろ吟味してきた。害があるということについての異論はないようだ。少なくとも教科書に書いてあるレベルでは理解されている。ただその害ががんの性質やがんになった人側の問題だけでなく、エコロジカルに決まっているということを理解するのは難しいようだ。その辺は十分理解できる。

がん検診を受けるか受けないか迷うような患者に対し、がん検診の害をエコロジカルなレベルで日々説明している医者にはほとんどであったことがないし、私自身もそういう説明をするのはごくごく限られたときだ。個別の臨床の現場でも理解してもらうのがなかなかむつかしい。

しかしすぐわかりそうな簡単と思うようなことで壁にぶち当たる。

がん検診をするとがんが見つかる。当たり前のことだ。進行した状態で見つかることもある。それも当然だ。しかし、検診を進めるべきだという人の中に、こんな進行したがんが見つかるんですよ、こんながんの死亡例があるんですよ。そういう事実を知ってますか。というように言ってくる人がたくさんいる。これはなぞだ。彼らは何が言いたいのだろうか。

進行したがんが見つかるから検診が必要、そんなナイーブな論理でがん検診を進めたほうがいいという人は、さすがにいないのではないか。害の問題も認識できているし、と思うのだが、どうもそうではない。

例えば乳がん検診をすると、乳がんが見つかるし、前立腺がん検診をすると、前立腺がんが見つかる。その中に進行したものも含まれる。そのがんによって死に至る人もいる。しかし、それは何一つがん検診を正当化しない。それは単に検診をするとがんが見るかるということだし、がんという限り、進行するし、死に至らしめる。たったそれだけのことがどうも理解されていない。不思議なことだが、そういう状況になっている。

こんな進行したがんが見つかるのだから、がん死に結び付く進行の早いがんが報告されているのだから、というのはがんを見つけるということと同じことで、だから検診が必要ということには決してならない。

それともう一つ。

がんを検診で見つけないと助けることができないということはない。検診以外で見つけてもいくらでも助けることができる。当たり前のことだが。しかし、検診を進めるべきという人の中には、どうもそう思っていない節がある。

検診を勧めようとしている人たちの一部は、検診しないと助けられないというふうに思っている人がいるようだ。不思議だ。そこにあるのはどういう理屈なのか。

で、私はこれは理屈ではなく、早期発見早期治療病にかかっていると診断するのだが、この病気の特徴は病識がないことである。
この病気をどう認識させるか、それが当面の宿題である。

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