Twittterで思わぬ反響があり、調子に乗って書いている。
動脈硬化と予防というシンポジウムに参加した。しかし、書きたいことは動脈硬化と欲望。
動脈硬化と欲望。予防の間違いではない。
真っ先に言いたいことは、向き合うべきは、予防ではなく、欲望のほうではないか。
暴飲暴食が欲望をコントロールできてないというなら、健康でいつまでも長生きしたいというのも同じだ。
深沢七郎を読んで明確になったこと。
健康に気をつけるというと聞こえがいいが、きりのない健康願望が、うまいものを食いたいという欲望とどこが違うのか。違いがわからない。そんな風にいっても、多くの人は受け入れがたいだろう。「楢山節考」が不気味だといわれるように、「笛吹川」が悲惨だと読まれるように。
しかし、どこまでも健康でいたいというのも不気味な考えだ。もちろん、それも当然の思いだといえば、確かにそうだが。だから、同じように、70過ぎたら山へ行くというのも、不気味であると同時に、当然の思いではないか。
ただ、今は健康が重要、そういう世の中だ。医者もそういう世の中にいる。
医者は暴飲暴食に対する欲望には厳しく、動脈硬化をできるだけ予防したいというような欲望には甘い。そうでないと仕事がしにくい。
死んだら天国というのもその延長にある。それはもう30年以上も前に井上陽水が明らかにしたことだ。限りないもの、それが欲望。
牧師も神父も、現世の欲望に厳しく、あの世へ行きたい願望には甘いのではないだろうか。全然違うかもしれないけど。
みんな、どの欲望に甘いかが違うだけ。どこに厳しいかが違うだけ。
禁欲こそが資本主義の起源である。なるほど、その通りだ。
全部に厳しいなんてのは、むしろ今の市場原理主義に行き着く。だから決して禁欲などすべきでない。
無理だから、どこかには甘くなるほかない。甘いところと、厳しいところと両方が重要である。どこを甘くするか、どこを厳しくするかなんてのは重要じゃない。
暴飲暴食に厳しいだけでなく、ときには暴飲暴食にやさしく、動脈硬化予防に甘いばかりでなく、ときには際限のない健康に対する欲望に厳しくする。
と言っている、私はどちらかというと、暴飲暴食に甘く、長生き願望に厳しいかもしれない。気をつけなくては。暴飲暴食にも少しは厳しくすべきだ。
シンポジウムは予想に反して、かなりおもしろかった。テレビでの放映も、新聞での紹介もあるらしい。ちょっと楽しみである。