ここで働いています

2011年5月29日日曜日

動脈硬化と欲望

 
Twittterで思わぬ反響があり、調子に乗って書いている。

動脈硬化と予防というシンポジウムに参加した。しかし、書きたいことは動脈硬化と欲望。
動脈硬化と欲望。予防の間違いではない。
真っ先に言いたいことは、向き合うべきは、予防ではなく、欲望のほうではないか。

暴飲暴食が欲望をコントロールできてないというなら、健康でいつまでも長生きしたいというのも同じだ。

深沢七郎を読んで明確になったこと。

健康に気をつけるというと聞こえがいいが、きりのない健康願望が、うまいものを食いたいという欲望とどこが違うのか。違いがわからない。そんな風にいっても、多くの人は受け入れがたいだろう。「楢山節考」が不気味だといわれるように、「笛吹川」が悲惨だと読まれるように。

しかし、どこまでも健康でいたいというのも不気味な考えだ。もちろん、それも当然の思いだといえば、確かにそうだが。だから、同じように、70過ぎたら山へ行くというのも、不気味であると同時に、当然の思いではないか。

ただ、今は健康が重要、そういう世の中だ。医者もそういう世の中にいる。

医者は暴飲暴食に対する欲望には厳しく、動脈硬化をできるだけ予防したいというような欲望には甘い。そうでないと仕事がしにくい。


死んだら天国というのもその延長にある。それはもう30年以上も前に井上陽水が明らかにしたことだ。限りないもの、それが欲望。

牧師も神父も、現世の欲望に厳しく、あの世へ行きたい願望には甘いのではないだろうか。全然違うかもしれないけど。

みんな、どの欲望に甘いかが違うだけ。どこに厳しいかが違うだけ。

禁欲こそが資本主義の起源である。なるほど、その通りだ。


全部に厳しいなんてのは、むしろ今の市場原理主義に行き着く。だから決して禁欲などすべきでない。
無理だから、どこかには甘くなるほかない。甘いところと、厳しいところと両方が重要である。どこを甘くするか、どこを厳しくするかなんてのは重要じゃない。

暴飲暴食に厳しいだけでなく、ときには暴飲暴食にやさしく、動脈硬化予防に甘いばかりでなく、ときには際限のない健康に対する欲望に厳しくする。


と言っている、私はどちらかというと、暴飲暴食に甘く、長生き願望に厳しいかもしれない。気をつけなくては。暴飲暴食にも少しは厳しくすべきだ。

シンポジウムは予想に反して、かなりおもしろかった。テレビでの放映も、新聞での紹介もあるらしい。ちょっと楽しみである。

2011年5月24日火曜日

千里の道も

 
千里の道も一歩から。
千里と一歩のどちらに重きがあるかと言うと、答えは明確だ。

当然、一歩の方である。
千里に重きがあるような、そんな人生は勘弁。

一歩を踏み出して50年。
一歩を踏み出せば、あとはもう、ひとひらの葉っぱがひらひらと落ちていくように。
どこに着地するかなんて、知ったことじゃないのだ。

目指すのは決してたどり着けないどこか。
自分でたどり着けないからこそ、誰かにつなげることができる。
自分ひとりでたどり着いてどうする。

千里の先、わたしのたどり着く場所ではなく、そのはるか先。
わたしの向かう先というより、わたしたちの行く先。

そこでの問題は、「わたしたち」とはだれか、ということだ。
戦後65年、「わたしたち」ではなく、「わたし」の時代。まだ戦後すら終わっていない。

もっと遠くへ行かなくてはいけない。何かの後ではなく、その先へ。
そのための「わたしたち」。

ちょっと気持ち悪いけど。
「わたしたち」について考えたい。

2011年5月15日日曜日

かぜ薬の副作用

 
開業医としての仕事がもうすぐ始まる。

ワクチンの副作用に対する厳しさに比べて、かぜ薬の副作用に対する寛容さというのは理解しがたいものがある。

あってもなくてもいい解熱薬、せきどめ、鼻水どめ。
私が医者になったころには、小児でもポンタールなどの非ステロイド系鎮痛薬がガンガン使われていた。さすがにそういう状況ではなくなったが、ポンタールなどをやめるなら、いっそのことその他もやめてしまえばと思う。その場の症状を抑える以外にほとんど効果がないことがすでに明らかになっている中で、これほどかぜ薬が使われるのはなぜか。

アセトアミノフェンだって、肝障害の頻度は案外高いし、喘息のリスクを増すという研究結果もある。

抗菌薬などを追加すればアナフィラキシーなどの重篤なものを含め、その副作用の危険はさらに増加する。ただこちらは細菌感染を治癒させるという効果はある中での害なので、最近感染とウィルス感染を明確に区別できない中では、困難な面があるのは確かだが。
ただワクチンの効果と害のバランスからすれば、かぜ様の症状に対する抗菌薬と害のバランスというのは、極めて微妙なものだ。効果についての明確なエビデンスがあるというインフルエンザの薬だって、ワクチンの効果と害のバランスに比べれば、どうということはない効果しかない。

こういうアンバランスの背景にあるものは何か。そこが重要だ。

延々矛盾の中でやってきた医療行為、病院ではある意味そういう医療も病院の看板を背負えばできないこともなかった。それを開業医としてどう乗り越えていくか。
熱やせきや、下痢などの患者さんに、「重大な疾患が除外されれば、ほうっておけばいいのですよ。何も薬はいりません。」というような対応が通じるとは思えない。でも、そういうことを地道にやっていきたい。
 

笛吹川の書評

 
文庫化された笛吹川の書評が読売新聞に載っている。

「おそろしい小説」だと。
「無慈悲な反復を無慈悲なまでに律義に描く」と。
「醒めた眼が、輝く」と。

おそろしくないし、無慈悲ではないし、醒めていない、というふうにしか読めないのだが、なぜそういうことになるのか。

今の世の中の方がよほどおそろしいし、無慈悲だし、醒めている、どう考えてもそうとしか思えない。

だからこそ、深沢七郎が見直されるのか。
この書評を書かせたものは何か。こういう書評を書く人は、基本的には深沢七郎になど興味を持たない人のような気がする。そういう人が興味を持つというのはどういうことか。
書評を書いている側が、無意識の中で、何かに押されて、何か混沌とした中に、これからこぎだそうということか。私の印象とまるで正反対な書評は、これから何かが始まる予兆かもしれない。

風流夢譚が書店で売られるような時代が来るとは思えないが、極楽まくらおとしやみちのくの人形たちなどは、笛吹川に続いて世に出てくるかもしれない。
どんなふうに取り上げられるのか。やはり「おそろしい」か。

西村賢太が芥川賞をとるし、世の中は動いているのか動いていないのか。

何かよい方向に動いているのではないか。
あまりに楽観的な観測かもしれないが、そういう気がする。
 

どうで死ぬ身の一踊り

 
新しきパソコン買いに行きしまま、行方不明のお父と小鳥

パソコンを買いに行った。レッツノートの新しいやつだ。5台目のレッツノート。
今日は予約だけ、5月27日の発売が待ち遠しい。

帰りはタリーズでドーナツとコーヒー。もっていた小説を読む。

「どうで死ぬ身の一踊り」

深沢七郎を思い出す。寺山修司にもつながる。
なんだこれは。

墓参りと女に対する暴力、その繰り返し。
生身の人間。

家に帰るのをやめようか。

でもこうして家に戻って、こんな駄文を書いている。
 

2011年5月12日木曜日

我慢できない

 
新幹線でこれから帰ろうというとき、小腹がすいたので、車内で食べようと、菓子パンを買った。チョコとクリームとあんこの3色パン。改札を抜けて、発車までは5分ほどある。車内で食べるつもりだったんだけど、どうにも我慢ができず、待合でチョコの部分だけを食べる。うまい。一緒に買った午後の紅茶を飲む。これまたうまい。待合のテレビではためしてガッテンをやっている。

テレビをなんとなく眺めていると、「まもなく上りひかり○○号が到着します」というアナウンス。残りは予定通り車内で食べることにして、ホームへ降りる。あかりが向こうに見えている。何とか車内まで我慢ができそうだ。電車が着くなり、いつもより多少急いで車内へ。席に着くなり、残りのあんことクリームの部分を食べる。午後の紅茶を飲む。うまい。満足。
 

2011年5月8日日曜日

健康のために生きているのでもないし長生きのために生きているのでもない

 
あたらしく一歩を踏み出すにあたって自分として今一度確認しておきたいこと。自分のことでありみんなのこと。健康のために生きているのでもないし長生きのために生きているのでもない。それは共通基盤のはずだ。病気や事故やそのたぐいのものがこの世からなくなったとしてそれがなんなのさ。生まれてきた全員が120歳まで健康に生きるというような世界が実現したとしてそれがなんなのさ。生きるということは病気になることであり事故にあうことであり死ぬことである。だからこそそれを避けたいと思うこと。そこから逃げようとすること。そして避けられないこと。逃げられないこと。息つぎのない連続。そういう中で点を打つことくらいはできるかもしれない。早逝の天才ナンシー関の最初の原稿には読点も改行もなかったらしい。読点や改行があればもう少し長生きできたかもしれない。しかし読点や改行のために生きているのではない。誰も読点や改行なしには生きられないからそうしているだけのことだ。この原稿だって一見読みにくいからいつもより読まれないだろう。だから自分はそんな生き方ができるわけでなく休憩しつつずるしつつ生きるしかない。読点も改行も必要だ。

健康は恥ずかしいことだし、長生きも恥ずかしいことだ。そういう面がある。それを忘れないように、ぼちぼち、やすみやすみ、次の一歩を踏み出したい。
 

2011年5月4日水曜日

「廃墟の中から」を読んだ

 
震災を前後して読んだ。
本を読む暇があれば支援に行くべきだったかもしれない。
鶴見俊輔編著、ちくま学芸文庫での復刻版。

「敗戦の予感、戦後未来への希望、占領、引揚、闇経済化の生活、そのどれをとっても、日本人の体験は、大きなふりはばをもっているその全体をえがくのに、一つの社会の成員全体に共通な一つの履歴のかたちを求めて平均的生活歴としてとらえることはむずかしい。」

「反対に、大きなふりはばの中のもっとも周辺的な部分の記録を、できるだけもれなくさがし、周辺をえがくことをとおして中心部を想定する方法をとることが、戦後の状況に適している。」

そんな中で印象に残った場面。
敗戦の日のある農村でのやりとり。

「坂下の田園で一人の農民が田の除草をしている。背に青草をのせて陽を防いでいる。『戦が負けんたんだよう』あぜ道から声をかけた。『知ってるよ。戦が負けたって日本人は米を食わねいで生きていられめい』農夫は屈んだ腰も上げない。これも日本人である」

東京の焼け野原、そこに浮浪者の町ができる。そこで、「蟻の会」という社会契約が作られる。

「蟻の会とは『人間の屑』とさげすまれている浮浪者同士で、お互いに励ましあいつつ、自力で更生してゆこうとする会です。蟻はあんなにも小さなくせに、働きもので、ねばり強く、しかも夏の間にしっかり蓄えておいて、冬になるとあたたかい巣のなかにこもってらくらくと暮らします。それにくらべると、一日雨が降ってもすぐ飢えなければならないルンペンの生活は、蟻以下ではありませんか。昔、二宮尊徳は、大洪水で田畠も家財もことごとく流されたときに、『天地開闢のころ、何の経験も道具もなしに、はじめて畑をつくった祖先のことを思えば、再起するのは何でもない』といいました。私も裸一貫のルンペンになりさがったとはいうものの、蟻の生活のことを思えば、自分たち自身の更生どころか、祖国日本の更生だってできないはずはないと信じます。」

抜き書きしたい部分が満載である。

平均値でなく、「ふりはば」ということについて、しばらく考えたい。
 

再び、親愛なるものへ

 
来月からは一開業医として再々スタートだ。
半島の研修病院から、都心のはずれにある病院に移り、そして、今回。
最初の病院は失敗だった。次の病院では好い仕組みを立ち上げられたと思う。

仕事の大枠は、これまでと変わることはない。地域家庭診療センターを立ち上げ、診療だけでなく、教育、研究も含めて、活動していけたら、そんなことを考えている。センター長、三たびである。

そして、センター長を次へと受け渡すことが最も重要。つなげること。

多くの人に迷惑をかけた。

外は風が吹いている。

そして今も。

かぜは北向き、心の中じゃ、と歌った歌手もいる。
もうしばらく聞いていない。もう聞かないかもしれない。

「親愛なるものへ」

それを人生の応援歌として生きてきた。
しかし、50歳を目前にして、少しはわかったことがある。それは、外で吹いている風なのだ。

かぜは北向き、心の外、だ

流し眼は使うまい。
誰かの流し眼を受けとめること。

応援されることでなく、応援すること。

自分へ、でなく、
親愛なるものへ
 

2011年5月3日火曜日

自分の仕事の世の中に対する影響

 
ある医師から一通の手紙を受け取った。最近にない衝撃だった。

ブログでは、医療についての話題、特にこんな医学論文が発表された、というようなことについて、ほとんど書いてこなかった。そういう記事は頼まれた原稿の中でいつも書いているので、それ以外の頼まれる仕事の中では書かないようなことを書きたい、という個人的な事情が影響している。

このブログの元となった医学界新聞の連載を受けたときも、何を書いてもいいというのが私の条件であった。何を書いてもいいというのは、エビデンスがどうこうということを書きたくないということであった。

なぜエビデンスというようなことについて書きたくないのか。そのことについて、自分自身、あまりまじめに考えてこなかった。

そういう中、ベータ刺激薬による喘息の悪化や死亡の増加の危険について書いた拙文を読んだ、呼吸器の重鎮ともいえる医師からの手紙に衝撃を受けた。

手紙を読んで、意外な自分を自覚した。そういう関心をもっていただける方がいるというのを驚く自分、自分の書いたものが何か世の中に影響を与えるなどとはハナから思っていない自分である。

自分の書いたものの世の中に対する影響というようなものから遠ざかったのは、「書くことに対する無力感」というべきものかもしれない。無力感とは言いつつ、新聞や医学雑誌にそうした連載をもち、自分自身でも医学論文ようやくサービスまで提供しておきながら、何を言っているのだと思われるかもしれない。

しかし、これまで自分が書いてきたことを振り返って、世の中の医療を変えようというような気概があったかというと、最近はそういう気持ちがあまりないのである。むしろ、自分はこうしているが、世の中はそうなっていない、それでもまあ仕方がないというような、自分に対する言い訳だけのために書いている自分というのに気付く。少なくとも、世の中を変えようなどとは思っていない。

そういう自分に対して、今回の手紙は本当に衝撃だった。その手紙は、世の中の喘息治療を何とかしたいというような気概に満ち溢れていた。私が生まれたころに医師になった、私のはるか先輩の医師がである。

それに対して私といったらどうだ。

日本のコレステロール治療を、高血圧治療を、糖尿病治療を、喘息治療を、なんとかよくしたい、そういう気概をもって、気概を持つだけではなく、本当にそれが実現できるように、現実的に、戦略的に、今一度自分がやってきたことを見直さなければいけない。