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2011年5月3日火曜日

自分の仕事の世の中に対する影響

 
ある医師から一通の手紙を受け取った。最近にない衝撃だった。

ブログでは、医療についての話題、特にこんな医学論文が発表された、というようなことについて、ほとんど書いてこなかった。そういう記事は頼まれた原稿の中でいつも書いているので、それ以外の頼まれる仕事の中では書かないようなことを書きたい、という個人的な事情が影響している。

このブログの元となった医学界新聞の連載を受けたときも、何を書いてもいいというのが私の条件であった。何を書いてもいいというのは、エビデンスがどうこうということを書きたくないということであった。

なぜエビデンスというようなことについて書きたくないのか。そのことについて、自分自身、あまりまじめに考えてこなかった。

そういう中、ベータ刺激薬による喘息の悪化や死亡の増加の危険について書いた拙文を読んだ、呼吸器の重鎮ともいえる医師からの手紙に衝撃を受けた。

手紙を読んで、意外な自分を自覚した。そういう関心をもっていただける方がいるというのを驚く自分、自分の書いたものが何か世の中に影響を与えるなどとはハナから思っていない自分である。

自分の書いたものの世の中に対する影響というようなものから遠ざかったのは、「書くことに対する無力感」というべきものかもしれない。無力感とは言いつつ、新聞や医学雑誌にそうした連載をもち、自分自身でも医学論文ようやくサービスまで提供しておきながら、何を言っているのだと思われるかもしれない。

しかし、これまで自分が書いてきたことを振り返って、世の中の医療を変えようというような気概があったかというと、最近はそういう気持ちがあまりないのである。むしろ、自分はこうしているが、世の中はそうなっていない、それでもまあ仕方がないというような、自分に対する言い訳だけのために書いている自分というのに気付く。少なくとも、世の中を変えようなどとは思っていない。

そういう自分に対して、今回の手紙は本当に衝撃だった。その手紙は、世の中の喘息治療を何とかしたいというような気概に満ち溢れていた。私が生まれたころに医師になった、私のはるか先輩の医師がである。

それに対して私といったらどうだ。

日本のコレステロール治療を、高血圧治療を、糖尿病治療を、喘息治療を、なんとかよくしたい、そういう気概をもって、気概を持つだけではなく、本当にそれが実現できるように、現実的に、戦略的に、今一度自分がやってきたことを見直さなければいけない。
 

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