わたしたちは事実を知りたいだけだ、というような発言。
正しい情報を提供さえしてくれれば、正しい判断ができる、ということだろう。
企業は正しい情報を出していない、そんなことは当たり前だ。企業の情報提供は手段であって目的ではない。企業が正しい情報の提供を第一に考えるのは、手段と目的を履き違えているという面がある。企業からの情報は、企業からの情報だと知った上で判断しなければいけない。もちろん企業に高い倫理性を要求することも重要だが、それだけでは解決不能な問題だ。
しかし、国というとどうだろうか。
国は正しい情報を出していない。それが問題だと。まあそうなんだけど、それほど単純な問題ではない。ひとつは、国だからといって正しい情報が手に入るわけではない。そういう選別の必要は国だからといって省けるわけじゃない。正しい情報を国は手に入れているはずだというのも、あまりに楽観的な考えではないか。
さらに、国は様々な利害のある多様は国民を相手に、その調整をしなければならないのだから、正しい情報が手に入ったとしても、どう情報を操作するかというのは国の大きな機能だ。被災者を第一にといっても、その被災者が決して単一ではない。これは相当難しい作業で、だれがやってもそうはうまくはいかないと思う。
それでは学者や専門家はどうか。これがまたマスコミを通じて出てくるような人は企業や国から自由でないし、そこから自由だとしても、今度はその言っていることが本当に信用できるのかどうかというとよくわからない。
というわけで独自の情報収集ということになるわけだが、これがまた企業や国、専門家以上にわけがわからない。
しかし、この国や企業からでもない、必ずしも専門家でもないところからの情報のいいところは、はなから嘘かもしれないと思って情報と向き合っていることだ。
で、重要なのはここではないかと思う。誰かが本当のことを教えてくれるなんてことはない。あちこちから集めた情報を総合して、自分で考える、それが重要。
だから、企業や国、専門家を信じないというのは、常にそうあるべきであって、企業や国から正しい情報が提供されてよかったなんて思った時こそ危機なのだ。
正しい情報を提供しているのに患者がわかってくれない、医者はそんなふうに思いがちだ。
でもそんなわけはないのであって、これはむしろ正常な状況だ。
そういう中でしか、医者の情報リテラシーも、患者の情報リテラシーも育たないということは、正しい情報として唯一提供できるのではないだろうか。。
0 件のコメント:
コメントを投稿