これはブログではないという編集者から批判とともに日刊ゲンダイの連載が終了し、どこかで続きをやれないかと思案していたところ、それこそブログでどうかというおすすめもあり、数年ぶりに自分のブログを訪ねてみた。
そこには今年の春にコメントがあり、今度は「公的メディアで「専門知識があるかのように」述べるのはやめるべきです。」だと。
「専門知識があるかのように」というのだから、私には「それがない」という指摘の上に、さらに「述べるのはやめるべき」だと。
また、今回は一般人である編集者から、「専門的すぎる」、あげくのはては「ブログではないので個人的な経験は削除」と言われて連載終了。
私は一般人でも専門家でもなく、いったい何者か。
少なくとも津田さんのように専門家と非専門家を区別できるわけでもないし、編集者のように専門的と非専門的を区別できるわけではない。
津田さん個人については何も知らないが、大学教授という肩書を見るに、立派な人なのでしょう。立派がどういうことなのか、よく知らない私ですが。
これまでも大学教授からはいろいろな批判を受けた。
難病の研究班だったかでEBMを紹介したときに「教授を集めて聞かせるような話でない」
学会の講演が終わるなり、シンポジウムの座長が「理事長、何か言いたいことがあるでしょう。ディスカッションの前に、お願いします」というと理事長が、ディスカッションの時間をつぶして「検診事業を邪魔する奴は許さん」と
別の学会でも、講演が終わるなり「お前は論文ばかり読んでないでちゃんと診察しろ」
さらに産業医講習会の参加者として、女性のホルモン補充療法のランダム化比較試験のネガティブな結果について、この結果を受けて補充療法をどうすべきかと質問したら、「私は続ける。あなたは好きなようにすればいい」。「好きなようにしてるのはあなたですよ」と小声で反論。聞こえてないだろうけど。
教授じゃないものを含めれば、きりがない。
でもそれはとても愉快な経験だった。
血沸き肉躍るというか。田舎の診療所長の肩書で、大学教授を怒らせる。痛快だった。
そのうちEBMの専門家として見られるようになり、いろいろ話すと、褒められたり、礼を言われるようになった。話してくれとか、書いてくれとかいう依頼もたくさん来た。
そこで30年が過ぎた。開業医として10年働き、2年前に引退した。都市部のクリニックの名誉院長という肩書。田舎の診療所長から多少は出世したか。そうでもない気がする。
再び大学教授から「専門家であるように述べるな」
また愉快なことになってきた。
30年前を蒸し返したい。
でも少し事情が違う。
編集者は、タブロイド紙とはいえ、私の原稿を数年にわたって掲載してくれた、私の書くことをよく知っている編集者だった。その編集者から、一般向けの原稿ではないと批判される。というところだが、変わったのは私なのか、彼なのか、それとも両方か。はたまた社会なのか。もはや私は一般人でもなく、専門家でもない。
とブログに書いているのだが、差し当たって連載内容と直接関係はなく、間接的には関係があるかもしれない。
連載の原稿はまたそのうち。
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