人は死ぬ、だから医療が必要である。
人は死ぬ、だから生きる
死なないのであれば生きるということ自体がないかもしれない。そんなことは少し考えればわかることだ。もともと生は死を含んでいる。一人の生は死を持って終わる。死が生に対立しているわけではない。生の一部をなすに過ぎない。あるいは生の最後を飾る重要な部分を占める。どちらにしろ、死を含んでこその生である。死がなければ、それは生ではない。別の呼び方をする必要がある。
不老不死とは自己矛盾である。老いるということがなければ若さということもない。死ということがなければ生もない。つまり不老不死ということ自体が存在し得ない幻である。
生は死で終わるという尺度以外ではかることはできない。生を死なないという尺度で測ることはできない。
それがたった一つの原理。それをはずしては、なにも始まらない。その原理からすべてが始まる。
もちろん死にたくないから生きる、と言えないこともない。しかし、それだって、死ぬという原理に基づくからこそそう思うのである。死ななければそうは思わない。もし不死が実現され、死ななくなると、もうだれもそんなことを思うことはない。死にたくないから生きるとは、まさに死ぬから生きる、ということにほかならない。
医者である自分は、とても生きる、という全体に向き合うことはできない。そこで、せめて、死ぬから医療がある、という原理をはずさないように、医者としての仕事を全うしたい。
これは一つの発見である。
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