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2011年7月4日月曜日

いばる

松本復興相ですか。すごい。ちょっと興味ある。

「いばる」というのは、最も不快なことの一つだ。
前いた団体の上の方の人たちの一部はこういう人たちだった。それを思い出すからか。

そういう個人的な体験に強く結びつくことに関しては、あまり語らない方がいいと思うけど、少し別の考え方ができるかもしれない、そうも思うので少し書いてみる。

わたしは威張る人に向き合うと、どうしても威張り返したくなる。自分も同類項ということかもしれない。

威張るやつが一番嫌い。威張る自分が一番嫌い。
と言いつつ威張り返すわけだから、全くひどいもんだ。

自分が威張るのはなぜか。認めてもらいたい、そういう承認欲求の裏返しであるような気がする。

それで話は少し変わるのだけど、プライマリ・ケア学会で、なんだかとてもいいセッションがあったらしく、「今日という日は自分をほめてやりたい」なんて書き込みがTwitterにあったのだが、何か微妙な気がする。自分で自分をほめるような状況というのは、自分であれば、ちょっと厳しい状況のような感じがする。周りが認めてくれれば、そんな必要はないのだから。有森さんだって、あまり評価されず、スポンサーもない中で頑張った挙句のコメントだったと思う。

だれもほめてくれないから、自分でほめておくというような、実はさびしい状況。

しかし、書き込みにある自分をほめたいというその本人は、全然厳しい状況らしくはなく、周りからも認められていて、なおかつ自分でも自分をほめたいという感じだ。

これは一体どういうことなのだ。ちょっと理解ができない。威張る復興相より、こちらの方が理解困難かもしれない。

でも、松本復興相を自分と重ねてみると何となくわかる。政治家というのはもはや他者から認められることはほとんどない。そういう状況で自分を律するしかない。いつまでたっても他者から評価されず、自分で自分をほめるしかない悪循環が基盤にある。少し前までの自分もそうだったかもしれない。

他人からの評価が最初に来るというのはとても重要なことだ。学会で、自分をほめたいという人たちは、そもそも他者からの評価が先にある。だから、そのあとに自然に自分で自分をほめたいということが来る。有森さんとは少し違うのだ。

それに対して、私なんかは、他者の評価より先に自分の評価があって、それでうまくいかなくなっていたのだ。

認められないから威張る
認められないから自分で自分をほめる
そうなるともうなかなかそこから抜け出せない。

それに対して、最初から他者の評価が関心の第一であれば、まずそこをクリアしようと頑張る。そこをクリアした先に自分自身の評価がある。そういう順番でやれば、案外認めてもらえる。
まわりから認められると、自分自身でも自分を認めることができる。こういう順番が重要。

ひとつの黄金律を見つけた。
人からほめられる前に、自分で自分をほめるな。

もうほとんど手おくれだけどね。

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