2011年7月22日金曜日
何かを特別視する
私も、家庭医療専門医制度の指導医のはしくれなんだけど、これから家庭医になろうとか、今研修中とかいう人たちの発言でいろいろ気になることが多い。まあそういう人たちに大きな関心をもっているというわけだ。
そのうちの一つ。
「家庭医は精神疾患を特別視しない」
特別視するという立場と特別視しない立場は実はとても似ている。
『「家庭医は精神疾患を特別視しない」という家庭医の立場を特別視する』といえば同じ構造である。
このように自分自身を特別視するというような立場は、往々にして危ない立場だと思う。自分自身を特別視するくらいなら、精神疾患を特別視して、すべてコンサルト、紹介し、自分自身では一切精神疾患にはかかわらないという専門医の立場の方が信頼できるかもしれない。
もし家庭医に役割があるとすれば、単に「家庭医は精神疾患を特別視しない」ということではなくて、そもそも精神疾患が特別視される文脈に対する関心であり、自分が反対の立場に立ちたいという関心を抱く自分自身の基盤に目を向けることなのではないか。
自分のやっている仕事が何か特別な仕事である、そう思いたい場面は多くあるが、実際にそういうことはあまりない。多くは勘違いだ。
ひとかどの医師として、ひとかどの仕事をする。
でくのぼうと呼ばれたいなどとは決して言えないが、せめてひとかどの人として生きたいと思う。
つまりは、私自身も、自分を特別視することがよくあり、その時の自分に対する嫌悪感や違和感の反映が、今回の家庭医療に関わる人たちの発言に対する、私の反応なのである。だから今日ここに書いたことは、自分自身に対するものでもある。
自分を特別視しそうになる自分自身にどう歯止めをかけるか、それは自分自身の課題なのだ。
もう一度肝に銘じたい。
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