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2011年7月15日金曜日

かなえられない欲望をもつことはまっとうか

 
大酒食らって、飲んだくれて死んでいきたい。そういう欲望はかなえようと思えばかなえられる。
しかし、いつまでも健康で、長生きしたい、という欲望は決してかなえられることがない。死ぬという結末は避けられず、その欲望は決してかなえられないということが分かっている。

そのかなえられない欲望に対して、その欲望かなえますというような情報が世の中に氾濫している。

これはもう世の中自体が変わっているということだろう。

うまいもの食べたり、どこかへ旅行へ行ったり、それで満足が得られた時代から、それがいつまでも続かなければ満足できない時代へと変わっている。

うまいものを食べたいというのはまっとうな欲望で、いつまでも健康でというのはゆがんだ欲望だと思うが、医療の現場に身を置くと、それが全く逆で、前者がうまいもの食べすぎをコントロールできない人となり、後者が自分の健康を律することができる立派な人になったりする。

そして、そのへんてこりんな構造が、一般の世の中にも徐々に浸透しているように見える。

これはとんでもないことではないだろうか。


日本にも一神教が普及し始めるのだろうか。今キリスト教が熱心に布教活動すれば、日本にもキリスト教が普及するかもしれない。

ただもうこれはいきつくところまで行くしかないのだろうか。いまさらこの欲望をコントロールすることができるかどうかというと、何か絶望的な気持ちになる。

しかし、まずはそういう欲望に向き合う機会の多い医者たちが、それはゆがんだ欲望ではないだろうかと、患者に問いかけるようなことから、始めていくほかないような気がすると書いて、そんなことは無理だなと思う。

ただそれ自体とてつもなくわけのわからないことで、とても受け入れてもらえそうにない。

「でんでら」だったっけ。週末にでも見に行ってみようと思っている。
 
 

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