今日できることを明日に延ばすな、なんていうのだけれど、とりあえず明日が来る可能性が高いので、確率の高い方に賭けて、明日に延ばす。ただ確率は高いといっても、明日が来る可能性は徐々に低くなっているのだが、むしろ明日に延ばすことが多くなるのはなぜか。
実は確率が高い方に賭けているわけではなく、希望的観測に賭けているだけかもしれない。
しかし、そういう説明をしてみてもしっくりこない。
そもそもできることとは何だろうか。今日一日を振り返って、今日できたことがある。出来ないこともある。今日できたことができたし、今日できなかったことはできなかった。
始める前にできるかできないかなんてわかりようがないので、1日が終わったところで、初めてできたこと、できなかったことがわかる。できなかったことがあるときに、どうしてできなかったのだろうと思うより、やり残したことがあるので、また明日頑張れるかもしれない、そんなふうに思うことで、。
そしてその先にあるのは、明日がないならないで、またそれも受け入れることができるかどうか。
ただ、そんなことは今日できるわけもなく、だからそういう明日を受け入れることができるようになろうと、また明日を待つことができるのかもしれない。
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