2010年8月17日火曜日
お金についての番組からマックス・ヴェーバー
世の中がみんな石川啄木だったとしたら、資本主義は衰退するだろう。
資本主義の支えたのは借りたらきちんと返すような人である。そこに起源がある。
だから今の世の中から抜け出るためには、むしろみな石川啄木に成るべきではないだろうか。
借りたら返さない人がメジャーな世界。よくなるかどうかは分からないが、その先にあるのは今とは違うひょっとしたらいい世界かもしれないと、思わないこともないではないか。
世俗内禁欲が資本主義の起源となったように、むやみやたらな放蕩が、禁欲的な生活の起源になるかもしれない。
よく生きたい、健康でに暮らしたい、病気で人に迷惑かけたくない、そういう思いが、いつの間にか医療を崩壊させる。当初の基盤は、何か違う精神であったはずだ。しかし、その精神だけがすたれ、長生きしたいという欲望だけが生き残る。禁欲と資本主義の関係に似ていなくもない。
意図しない世の中の変化、歴史が示すのもそういうことではないか。
読むべきは、なんとかという詩人ではなく、石川啄木の方ではないだろうか。
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、医療者にとっても必須の本だと思う。禁欲と資本主義のつながりの逆説、よく生きたい気持ちと医療崩壊のつながり、よくよく考えてみる必要がある。
その最後のフレーズは痛烈だ。
<「末人たち」にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。
「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」と。->
医療の末人の一人として、この言葉を自分自身の到達点として考えねば。
なんという結末を迎えているのだ、と今の状況を素直に受け入れることから始めるほかないのではないか。
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