ここで働いています

2010年10月29日金曜日

明日から休み

 
明日から5日間の休み。夏休みは10月までに取らないといけないということで、11月の休みはただの有給休暇であるが。

明日から私の休みに合わせたかのように日本シリーズ、というのだが、なんと1,2戦はテレビ放送がないらしい。
なんだかなあ。まあ視聴率率の問題なのだろうが。

名古屋でも放送がないのだろうか。ネットで調べるとさすがにそんなことはなく、全試合の放送があるそうだ。逆に名古屋では、巨人が出ていたとしたら日本シリーズの放送はなかったりするのだろうか。

しかしまだ野球やサッカーのニュースはまだいい。ゴルフはすごいことになっている。どのニュースも、とにかく遼君。何位だろうが遼君である。さらにすごいのはビーチバレー。とにかくなんでも浅尾美和。ほかにどんな選手がいるかなんて全然わからない。

考えてみると、健康に関するニュースも全く同じだな。健康問題における遼君探し、浅尾美和探し。決定的なスターがいないところで何とか救われている。低コレステロールの問題は、健康問題界の遼君になれるかどうか。

どちらにしてもあほらしい。
 

2010年10月27日水曜日

NHKの取材を受ける

 
コレステロールと死亡の関係についてNHKの取材を受ける。なかなか厳しいものがある。

NHKにも強い自主規制があると、ディレクターはいう。マイナーな情報については、メジャーな情報よりもはるかに厳密でわかりやすい根拠がない限り、取り上げられないという。だからマイナーな情報については取材の段階で厳しく検討することになるのですと。

番組にするというところでは、まあそりゃそうだろう。でも、取材のレベルでまでそんな内輪の自主規制に基づいてやられても、こっちは困ってしまう。私をそんな自主規制に巻き込まないでほしい。


どういう番組にするかということと、取材は独立して行われるべきものだ、と思うのだが、そうでもないのか。そうでなければ取材の意味なんかない。初めからこういう番組は難しい、という状況であっても、せめて取材くらいそこから自由にやってくれたらいいのに。
 
せめてメジャーな情報もマイナーな情報も同じ基準で評価してくれないと、中立なNHKが泣くというものだ。そうでなければ大本営発表ではないか。

メジャーな情報というのは、日本は負けていないという情報で、それは緩い吟味でバンバン流される。マイナーな情報、つまり日本が負けているという情報は、徹底的に検閲される。

高コレステロールが危険だという情報はさして吟味もされないが、低コレステロールが危険だというマイナーな情報だけが厳しく吟味される。
これを自主規制というのは間違っている。これは大本営発表ではないかと。

それでも、ぜひ話を続きをしたいと思う。
自主規制はNHKの自主規制であって、ディレクターにとっては他主規制だと思うからだ。
ディレクター自身が、NHKに規制されてどうする。ディレクターは規制に対して、それを取り除く立場にいるんじゃないのか。

ぜひ規制を取っ払って、もう一度話をしようじゃないか。NHKのディレクターさん。
 

2010年10月26日火曜日

プロフェッショナル

 
プロフェッショナリズムなんてことが言われる。なぜだ。そう叫ばれるようになった背景とはどんなことなんだろう。

プロとは「受け入れられる」ということではないかと思う。私の考えでは、「受け入れられない」から、プロフェッショナルについての議論が始まったのだ。

ゆっくり書いている時間がないので、間をすっ飛ばして、結論だけ書けばこうだ。

生きるプロとは「死を受け入れる」人のことである。
 

2010年10月15日金曜日

低コレステロールと死亡

 
低コレステロールと死亡の関連を検討した研究が論文として掲載されるところまで何とかたどり着いた。

要点は以下のごとく。

低コレステロールほど死亡の危険が高い。
この関係は追跡開始から5年以内の早期死亡を除いても変わらない。
死亡増加の背景には、男女とも脳出血、ガンの増加がある。


ココまではこれまでの報告と同じ。
今回の新しいニュースは以下。

肝疾患、特にC型肝炎の影響を除くと消失するという報告があるが、肝疾患死亡を除いても不変である。
女性に限っては低コレステロールにおいて心不全死が多い。
 

2010年10月13日水曜日

意外な質問

 
ある大学の医学部の3年生に対する「薬が効くってどういうこと?」という講義を終わって、質問を受ける。講義の最中はなかなかの手ごたえがあり、どんな質問かと思っていたら、「統計の話とかが多くて、私の期待した話が少なくて、期待外れでした」という質問ならぬ、講義に対する抗議。その抗議について講義をし直そうかと思ったが、そういう時間もなく、こちらもパニックになりつつ、わけのわからない回答をして帰ってきた。

質問者が講義を聞いて思いだしたのは、薬嫌いの祖父が無理やり薬を飲まされたこと。それがとても嫌なこととして思い出されれるというようなはなし。
エビデンスなんかどうでもいいから、飲みたくないということをよく聞いてほしかった。そういうことだったのかな。そうだとすると、わたしはそういう話をしたんだけど。
薬を飲みたくない人にも、薬が有効だというエビデンスがかなり役立つという話で、質問者のニーズにぴったりだと思うのだけど、全然期待外れだと。さらにわざわざ手を挙げて発言してまでまで、私に期待外れだというのだからよほどのことだったのだろう。

講義の限界というのは、こちらが好きなように話すしか仕方がないように、聞く側も好きなようにしか聞いてくれないというところだ。でもそれだけのことでもなさそうだ。

質問者が、わざわざ手を挙げてまでいい残したこと、今一度振り返る必要がある。
 

2010年10月12日火曜日

温暖化のニュースのわけのわからなさ

 
温暖化で、木が枯れているという。
まあ局所的にはそういうこともあるだろう。しかし地球全体を考えたとき、温暖化によりもう少し北へ行けば育つ環境がむしろ広がっているんじゃないかと思う。

普通に考えて植物が育つ環境は、温暖化によってより広がると思うのだけど、そうではないのだろうか。逆に寒くなれば森林面積は小さくなるのではないだろうか。

コレステロールについてのでたらめな情報がばかりが流れ、肝心なものが隠ぺいされる。高いのが危険、低いのが危険、どちらも結構でたらめだったりする。
高血圧についても、糖尿病についても、がん検診についてもだ。しかし、温暖化についての情報ほど偏ってはいないような気がする。

温暖化のニュースは恐ろしい。流す方は何を考えているのか。やはり温暖化で木が枯れると思っているのだろうか。視聴者は、どう思ってこのニュースを聞いたのか。温暖化で木が枯れるなんて、そのまま受け取っている人が多いのだろうか。ニュースを流す方も、受け取る方も、ほとんど思考が停止している。

温暖化が止まリ、逆に寒冷化し、氷河が南下すれば、森林が広がるとでも思っているのか、このニュースを流した人と聞いた人の両方に聞いてみたい。

世の中は恐ろしいことになっている、と思う。
 

2010年10月10日日曜日

メーカー共催の講演

 
メーカー共催の講演でのトラブル。
当初はメーカーの協賛なしの講演が、主催者側の配慮(おそらく謝金が少ないことに対する)からメーカー協賛となって、謝金が増えること以外はほとんど不快なことばかり。最近では最も不快なことだったかもしれない。

新幹線の切符を手配してくれるというので、神戸からの帰りに名古屋でいったん降りるがいいだろうかということでお願いした。

そうしたら、払い戻し不可能な切符で、神戸から名古屋までしか負担できない、名古屋以降は自己負担してくださいとの返事。こちらが準備する切符ですから、神戸から東京まで一直線に帰って来てもらわないと困ります。そういうことらしい。あなたの言っていることはメーカーに自分の都合の途中下車の分まで手配させるという不正行為ですよ、みたいな感じもあり、結構まいった。

それにそのメールの返事になんと名古屋からの特急料金の料金表かはりつけられている。こんな少額のことですからそちらで負担しなさいみたいな感じで。

久々に切れた。

別に私から切符の手配を頼んだわけじゃない。自分で名古屋途中下車の切符で手配して、神戸ー東京間の料金だけを精算払いにしてもらえば済むことだが。それはだめらしい。

払い戻し不可能な切符にしてあるのは不正防止のためだろう。MRが不正をしたり、医者が不正をしたり、そうう歴史があるにちがいない。

携帯電話で1分もあれば往復の新幹線が予約できる時代に、切符を手配させてくれといって、そのために、都合をつけて何日の何時に来てもらえれば会えますなんて約束を繰り返し、2回も3回も会って、メールのやり取りをし、ようやく切符の準備にたどり着いたら、名古屋までの特急券まで。

お願いだから、こんな対応しかできないのに切符の手配をしますとか言わないでほしい。

結局メーカーの協賛なしで、行くことにしてもらったが、本当に不愉快。
しかし、よくよく考えれば謝金が増えることで協賛になってよかったと思う自分が最初にいる。メーカーの協賛を最初から拒否すればこんなことにならなかったわけだ。そういう意味でさらに不愉快。むしろ元の原因は自分にもある。

そういう自分の側のいけてない部分が元なので、あまり怒っている場合じゃないな。

不正を防ぐための払い戻し不可の切符、これは払い戻して格安切符で差額を儲けるというような不正を防ぐかもしれないが、そういうモラルそのものを正すわけじゃない。

で、実際メーカーも、医者にも、そういうモラルの低下が明らかにあり、自分もそのひとりであり、そのためにこういう不愉快な仕組みを氾濫させているわけで、自業自得と言えばそれまでだ。

しかし、モラルの問題は結局、自分自身のモラル、社会のモラルの問題であって、無理やり制度で締め付けても、モラルが向上するばかりか、むしろモラルは低下し、得をするのは会社ばかり、というばかばかしい相変わらずモラルの欠けた社会。

 あほらしい。
 
 

2010年10月8日金曜日

生物多様性基本法

 
生物多様性基本法というのがあるということを新聞で知った。
多様性を守るのは何か。法律が守るとは思えない。現在の多様性は法律で守られたわけではなく、勝手にそうなっただけのことだ。

人間が増えすぎたというのは、法律によって達成されたのかどうか。そういうところがある。少子化対策基本法というのもあるのだろうか。人間が増えすぎてなお少子化が問題とはどういうことか。

少子化も困るし、生物の多様性も守らないといけないし、大変だ。エコロジーというのは両立が不可能であるというのが、その本質だろう。何かが増えれば何かが減る。人間が増えれば人間以外が減る。それをエコという。

ところが、それがいつの間にやら、人間も増え、生物の多様性も守られるのがエコとなった。そういう無謀な試みに賭けるのは人間だけだろう。こういうのは、本来の生態学的なあり方から最も遠いものだ。何でもチャレンジするのはいいことだ。それは人間らしい。しかし、その人間らしさは人間以外の生物の減少ということに強くつながっている。

人間が無理なチャレンジをやめる、ということができなければ、多様性は守られない。それはほぼ自明のことのように思われる。
 

2010年10月1日金曜日

原爆ドームに行く

 
先週より、高知、長崎、間をおいて広島の旅である。

長崎、広島、これは何かの縁かもしれない。原爆ドームへ行ってみた。高校の修学旅行、プライマリ・ケア学会、医師会の講演会、これが4度目くらいだろうか。

原爆ドームの周囲で、たまたまボランティアの人の説明を聞く。胎内被曝したその当人が説明してくれる。1時間ほどの間、とにかくしゃべり続けている。

いかり、うらみ、それが原動力のように思える。

自分も昨晩1時間半ほどハイテンションで研修医に向けてしゃべり続けて、聞き手はやはり同じように感じただろうか。これはいかり、うらみではないかと。

自分に照らし合わせてみているだけか。いかりとかうらみとか、ばかばかしい気がする。
忘れることの方がずっと重要ではないか。

戦争を忘れない、というようなことが実は次の戦争につながっている。歴史を勉強すればするほど、他国への恨みが増す、というのはある面当然の反応のようにも思える。歴史を全く勉強しなければ、戦争というものに気がつかないということがあるかもしれない。

戦争のことをすっかり忘れてしまったものだけが、戦争を起こさない、そんなわけないか。

それにつけても国というのは不思議なものだ。しかし、不思議なのは国だけじゃない。都道府県も、市町村も、地域というのも、組織というのも、家族というのも、夫婦というのも、全部不思議。その間で起こるのはどれも戦争だ。
夫婦喧嘩が無くならないように、戦争もなくならない。そういう意味では、戦争をなくすというような無謀な方向ではなく、戦争の約束をこれまでの戦争と違うものとして決めるというのは一つの方法としてあるかもしれない。たとえば戦争ゲームで決着するとか。

でも、実際の戦争だってゲームのようなものだと言えないことはない。それならいっそのこと本当にバーチャルなゲームにしてしまう、なんて出来るわけないか。