ここで働いています

2011年11月21日月曜日

心にしみるハーモニカ

鶴瓶の家族に乾杯に完敗

頸椎損傷のリハビリでハーモニカを吹いたというお爺さん

故郷、上を向いて歩こう

口から落っこちる入れ歯

入れ歯でリズムをとる鶴瓶

心にしみるハーモニカ

2011年11月19日土曜日

荒野より:中島みゆき再び

久しぶりに音楽を聴く。
30年前、「親愛なるものへ」を聴いた時の衝撃がよみがえる。

震災を意識した曲かもしれない。
聴く側がそうして聴くだけかもしれない。
南極に取り残された犬と人間の絆と言えば、それが一番当たっているのかもしれない。

でもそんな事とは関係なく、これは自分の歌ではないかと、そんな誇大妄想を抱く。

「立ち止まるな、僕のために」

そういう呼びかけに、馬鹿正直に、サヨナラだけが人生だと、立ち止まらずにきた。
呼びかけだけを求めて生きてきた。

自分の暗部があぶりだされる。

荒野を去ることに執心してきたこと。
そして、そもそもそこが荒野でもなかったし、去る必要もなかったこと。

ちょっと整理がつかない。

2011年10月24日月曜日

脱原発への違和感 (恋する原発 その2)

原発などないに越したことはないと思う。
ただ原子爆弾たくさん持っていて、それをなくそうという運動が起きない国より、日本はよほどまともだと思う。

しかし、それでも、脱原発への違和感がある。

原発を作ったのは原発じゃない。
原発自体は悪くない。

脱原発には、たまたま生まれてきたできの悪い子に対し、不要なばかりか、害があるので殺してしまえみたいな、そういうふうに感じるところがある。

原発は電力を供給するという大きな役割を果たしている。それに比べれば、大した役割を果たさず、放射能ではないけれど、似たような害をまき散らすような人間そのものが、原発以上に不要であって、本当は脱人間が必要ではないかと。

しかし、人間を作ったのは人間ではないにもかかわらず、それを作った人のせいにせず、自分で受け止めて生きるのだから、生きててもよかろう、そう考えることはできる。

原発が恋するとしたら、放射能をまき散らしても、恋する権利はある、そう思う。

そして、その権利を支援することこそ医療の役割ではないかと思い至り、脱原発に対する違和感が、多少は理解できたような気がする。

恋する原発を読んで、ひとつ明確になったこと。

恋する原発

 
「恋する原発」、高橋源一郎著

原発を作ったのは原発ではない。当たり前だけど。
私を作ったのは私ではない。当たり前だけど。

全文引用したいところだが、著作権に触れるのでやめる。

反対に小説には直接描かれていないことばかり書いてみる。

なぜか中島みゆきの古い歌を思い出す。
「誰のせいでもない雨が」

どんなことだってどこまでも人のせいにできる。
そこで「誰のせいでもない雨が」だ。

誰のせいでもないと、自分で受け止めるということが可能かどうか。
そうやって人のせいにせず、自分で受け止めてきたものたちというのは、世の中から忌み嫌われたり、避けられたりしてきたものたちだ。

何かの賞をもらったりすると、「皆さんのおかげで」なんていう。よいことを誰かのせいにするなんてのは案外簡単。

難しいのはその反対。
原発が恋するというようなことであれば、原発は何を受け止めるのか。何を引き受けなければならないのか。

私が私から逃げずにどう生きればよいのか。
それを問い続けたい。

2011年9月19日月曜日

大切なこと

 
大切なことは何もない。
大切なことはないと決めることだけが大切。

大切なことがあるというのは大変だ。
特に自分が大切というのはとても大変。

他人が大切と言えれば少し楽。
でも親が大切というと結構大変。
子供が大切というと少し楽。
それでも結構大変だけど。

親が世の平均年齢くらいの年になり、
子供が成人し、
いろいろ考えることがある。

親に対しても、子供に対しても、どちらかというといい加減な方で、
単に時間がたって、今があるだけという気がする。
でもそれはそれでとてもよかったという気がする。

大切なことは何もないというのと、全部大切というのは似ていると思う。
そうあってほしいという願望かもしれないけど。

2011年9月8日木曜日

複雑な問題と単純な問題

 
問題には単純な問題と複雑な問題があるというと、確かにそういう気もするが、それは大きな勘違いだと思う。

多くの場合、問題そのものにアプローチできておらず、単純にアプローチできた場合には単純な問題といい、そうでない場合に複雑な問題というのだ。

物自体と同様、問題自体ということだ。それをとらえるためには、神の視点が必要だ。しかし、神は何も答えない。人間が向き合うしかない。
人間が向き合う以上、認識や解釈の問題を抜きにして、単純、複雑といっても、何も明らかになってはいない。認識や解釈はアプローチの方法の反映に過ぎず、問題そのものを表してはいない。

複雑な問題に対するアプローチというのは、諸刃の剣だ。そうしたアプローチを始めると、すべての問題を複雑化してしまう可能性がある。もちろん単純な問題に対するアプローチも、すべての問題を単純化してしまう危険をはらむ点で同じである。

かぜの患者に解熱鎮痛薬を出すというのは単純な問題か複雑な問題か。
出せばいいんだよと単純化するのも一つだし、効果のエビデンス、害のエビデンス、患者の希望、患者の負担、社会の負担と複雑化の中で考えることもできる。

複雑な問題に対するアプローチ方法と、単純な問題に対するアプローチの使い分けこそが、複雑な問題に対するアプローチ方法である、という方が、アプローチの重要な側面をよく表していると思う。

無理やり問題を探してはいけない。そこにある問題に向き合うこと。
単純なアプローチが可能でないかどうか考えること。複雑なアプローチでかえって状況を悪くする危険も考慮すること。

JIM9月号はそういう意味でいろいろ考えさせられた。いい雑誌だ。頼りになる。

2011年8月30日火曜日

ニート、ファイトじゃなくて

わたし、大卒なのに仕事をもらわれへんのやと書いた、青年の文字は誤字だらけで、思わず笑ってしまった。
大卒のくせにと皮肉を言われた、青年たちの目はすでににごっていて、せっかくもらった仕事も、長続きせず、すぐにやめてしまう。

わたし本当は目撃したんです。昨日電車の駅、階段で、車椅子で担がれた老人が、タクシーに乗ろうとすっと立ち上がったのを。
わたし驚いてしまって、非難もせず、叫びもしなかった。
ただこわくて逃げました。弱者の敵は弱者です。

ニート、戦わない君の歌を、戦う人たちが笑うだろう。
ニート、生ぬるい風の中を、震えもせず下っていく。

レトルト食品が一番うまいんだと、青年たちは閉じこもっていく。
化学調味料の味に慣れると、おふくろの味は飽き足りない。
いっそ手作りなんてやめてくれたら、もっと楽に生きられるかもしれない。
中途半端に太って、飢餓はなく、どちらかというと満腹なのだ。

勝つか負けるかなんて、くだらない、摩擦を避けるのが第一だと、
そう教えてくれたのはだれだったか、でもそれは正しいと思う

ニート、戦わない君の歌を、戦う人たちが笑うだろう。
ニート、生ぬるい風の中を、震えもせず下っていく。

田舎を出てきたおやじが建てた立派な家に、住みついて何が悪い
旅に出てはどうかなんてやさしくしてくれるが、そうはいってもそれは無理な相談だ。
うっかり、何かみつけたりすれば、やっぱり頑張らなくてはなんて勘違いをする
あんた代わりに行ってきてくれよ、人里離れた、田舎町に

ニート、戦わない君の歌を、戦う人たちが笑うだろう。
ニート、生ぬるい風の中を、震えもせず下っていく。

あたし飼い犬だったらよかったわ。飼い主の思うままに、
言うこと聞いて、座っていれば、銅像にだってなれるから

ああ、大人たちの群れ、よろよろと、向こう岸へ、流れていく。
帰る田舎がないと思い込むのも、それはそれで仕方ないことだ。

ニート、戦わない君の歌を、戦う人たちが笑うだろう。
ニート、生ぬるい風の中を、震えもせず下っていく。

ニート、戦わない君の歌を、戦う人たちが笑うだろう。
ニート、生ぬるい風の中を、震えもせず下っていく。

ニート?


2011年8月25日木曜日

おやくそく

 
おやくそく通りの行動をとったときに、どういうことになるか。
テストだと、合格になる。
実際の現場ではいろいろだ。

たとえば、主人公が白血病になるというような小説を読んだときに、どう思うか。
またかと。
当然いろいろな小説があるわけで、むしろおやくそくでない小説を求めたりする。

開業したばかりの今は、ほとんどの患者さんが初めてで、お約束を守ってやるのが安全だ。
それでも2回目、3回目の患者も多くなってくると、もうお約束は通用しない。
1回目を忘れて、また自己紹介しようものなら、何だ前のことを忘れているではないかと、そこでもう減点100ということだってある。

お約束通りを続けてうまくいくのなら、それはそれで一つの解決だ。
しかし、実際にはうまくいかないし、なによりもそれではなんの面白味もない。

出てくる医者、出てくる医者がみんなおやくそく通りに同じことをやったら、患者さんは息が詰まってしまうだろう。

今の自分は、主人公が白血病で死ぬというような小説を書き続けているような状態かもしれない。

自己紹介は1回でいい。あとはもう変幻自在にやりたい。

で、その変幻自在って何だ、ということになるが、これがよくわからん。

明日からはちょっと作戦を変更してやりたい。
できるかな。

2011年8月13日土曜日

生活に根差した関心、続き


「生活に根差した関心」、といった時やはり真っ先に頭に浮かぶのは、「死」のことである。

明日死んでしまう可能性を無視できないというのは、「死」が生活に根差したものになっていないからではないか。

「明日死んじゃってもいいんだけどね」とあっけらかんと言う多くの老人に出会ってきたけど、それは何か生活と死というものが一体となっていて、死に対する考え方が単なる観念ではなく、生活に根差したものになっている気がする。もちろん生活に根差したところで死は観念なんだけれども。

これが10年後の死となったときに、その可能性を多くの人無視できなくなり、がん検診を受けたり、生活習慣病予防に努めたりする。そこで、10年後の死というものは、生活に根差したものなのかどうか。必ずしも根差してはいない。明日の死を心配したいする状況とそうは変わらないところがある。

逆に、明日の死も10年後の死も心配せずに生きられるというのはどういう状況か。死ぬわけない、死ぬ可能性を全く無視できる場合。しかし、それもまた「死」が生活に根差したものになっていないという点では同じだ。

「生活に根差す死」とは何か、死ぬ可能性を全く無視するわけでもなく、あまりに恐れるわけでもなく、その中間で、時に無視し、時に心配しながら、「死」以外にも多くの重要なことがあり、その多くの一つとして「死」のことがあり、その多くを含めた全体が自分の生活である、というような「死」の位置づけ。

明日死ぬ可能性はほとんどゼロ、50年後には100%、そんな極端の中で、日々生活していることの重要性。死を無視することよりも、死を恐れることよりも、今生活していることのリアルさ。

まだ十分ではないが、少し考えが進んだ気がする。
引き続き考えていきたい。





2011年8月12日金曜日

生活に根差した関心

思えば、日々様々な可能性を無視して生きている。

たとえばこれから寝るのだが、寝てる間に死んでしまう可能性。
この可能性はゼロじゃない。しかし実際はほとんどゼロだと考えて、明日の生きて起きたあとのことの方が心配で、眠れなかったりする。明日の朝は来ないのかもしれないのに。

あるいは巨大な隕石が地球に激突して地球上の生物が全滅してしまう可能性。
それだってゼロじゃない。でもそんなことは無視して、明日の朝は遅刻しちゃいけないと、目覚まし時計をセットする。寝てる間に生物全体が滅びてしまうかもしれないのに。

そういう中で、癌で死んでしまう可能性を無視せずがん検診を受け、高血圧で脳卒中になる可能性を無視できず降圧薬を服用する。

そこでなんとなく思うこと。
無視できることがどんどん少なくなって、ちょっとでも可能性があれば無視できない、そういう方向がある。

その半面、酒を飲み、たばこを吸い、自動車をスピード違反で走らせ、無視できないような可能性を無視するということも相変わらずである。

可能性を無視するかどうかは、その可能性の大小ではなく、その人の関心の度合いによる。ただそれだけのことだ。

そこで考えること。関心というものはどういうものか。

生活に根差した関心、というものを多くの人が失いつつあるのではないだろうか。

「生活に根差した関心」、これからの大きなテーマだと思う。

2011年8月4日木曜日

高血圧の問題と原発事故による被曝の問題を重ねてみると

東大の児玉先生の発言ビデオを見て、いろいろ見えてきたことがある。

これまで自分がやってきた中で、常に私の発言に対する対抗勢力が声高に叫んでいた部分と重なるのである。そう言えば、私はこういう発言に向き合いながら、学んできたのだと。

高血圧は脳卒中を引き起こす。高コレステロールは心筋梗塞jを引き起こす。だからできるだけ血圧を下げ、コレステロールを下げなくてはいけない。児玉教授の発言は、そういう発言と重なるところがある。放射線によりがんになる。それを何とかして防がなくてはいけない。そういう構造でみると同じなのである。

しかし、その血圧を下げる効果が3%の脳卒中を2%に減らすに過ぎなかったり、コレステロールを下げる効果が、心筋梗塞を30%減らすものの、それ以外の疾患を増やしていたというようなことがある。

そこでさらに、最近テレビで血圧の正常値は130mmHg未満ですとやっているが、そのコマーシャルと今回の発言を重ねると、いろいろ腑に落ちることがある。

脳卒中と高血圧の関係は、血圧が低ければ低いほど脳卒中が少ない傾向にあるということは多くの研究から明らかである。上の血圧についてはすでにゆるぎないエビデンスがあると言っていいかもしれない。
つまり、血圧の正常値が130未満だとしても、それよりも120の方が脳卒中の危険は少ないし、さらに100ならもっと少ない。90以下なら、と血圧の基準を際限なく下げていく立派な根拠がある。
事実高血圧の基準は、ガイドラインが改定されるたびに、160から140へ、そして130へと下がっている。

今のところ血圧130の人に降圧薬を処方しようというような動きはないが、遅かれ早かれそういう動きが出てくるだろう。そしてその考え方にはすでに一定の根拠があるのだ。そうすることで、脳卒中の絶対数は減少するし、本来70代で脳卒中になるところを80台まで伸ばすという効果もあるだろう。

しかし、問題は効果の評価だけでは不十分だというところだ。保険で賄う以上、血圧の基準を厳しくすることにより、多くの人が保険診療で降圧薬の処方を受けることになると医療費が増大する。さらに降圧薬による副作用の問題もある。そうした様々なデメリットとはかりにかけて、基準を厳しくするかどうか判断する必要があるのだが、これはなかなかに難しい問題である。それでもやっぱりどんどん厳しくなる方向へ進むというのは、豊かな世の中と副作用の少ない治療など、様々なものがその背景にある。

そこで原発事故による被曝の問題はといえば、被曝は少なければ少ないほど癌にならない、多けれ多くなるほど癌になりやすい、というしきい値なし仮説をとれば、高血圧と同じである。低線量被曝はがんを減らすという仮説をとれば、そもそも議論の意味がなくなるので、ここではしきい値なし仮説をとることにする。

そこで、100mSV越えというような被曝が、血圧160以上というようなこれまでの基準に相当すると考えてみる。そうすると、それを下回るような被曝は、血圧でいうと、130とか120とかいう基準に相当するのかもしれない。

しきい値なし仮説で行けば、確かに10mSVよりも5mSVの方が癌になるリスクは小さい。もっと被曝を減らす処置を徹底的に取るべきである。さらに1mSVへ、0.5mSVへと、どんどん話が厳しくなる。しかし、そのためには、高血圧の治療同様、莫大なコストがかかる。転居というようなことになれば、多くのものを失うことになる。

そういう中で、死ぬまでに50%が癌になるという現状で、50歳でがんになるのを49歳に早める、というような被曝量(それを計算するのは高血圧のときのような簡単ではないが、ある幅をもっては予想できるだろう)を避け、50歳までがんにならずに済む、というような効果に見合うコストの投入や、被曝を避けるために失うものとのバランスを考える、というのはとても重要なことではないだろうか。

児玉教授の発言は、これまで私が聞いてきた「血圧は低ければ低いほどいいのです」、「コレステロールは低ければ低いほどいいのです」という発言に似ている。そういう発言を聞くたびに、そんなわけはないだろうと思っていた。今回もそれと似たところがある。

全体を考えたときに、「被曝を少なくすれば少なくするほどよい」というような単純な問題ではない。それは急性被曝に当てはまるかもしれないが、慢性障害については少し的が外れている。
慢性障害については、高血圧やコレステロール同様、リスク・ベネフィット全体をとらえた、冷静な分析が必要である。ただ、それはとても困難なことだろう。

自分自身がどう行動を起こすか、それが問われている。それで、とりあえず書いてみた。
どうだろうか。多くの人に考えてもらいたい。

2011年8月3日水曜日

相対主義を徹底したい

 
ひとつの視点にとらわれない、というのは一番重要なことだと思う。
原発の問題、喫煙の問題、ワクチンの問題、もっとざっくりと言えば、すべての問題について。

「あなたの考えは?」と問われたときに、私の考えを述べることは重要だが、その時に、こうも考えられ、ああも考えられる、という「私の考え」の述べ方こそ重要ではないか。

悪しき相対主義、そういうことがいわれるが、とにかく相対主義を突き詰めたい。
相対主義だけは絶対であると。

構造構成主義というのを勉強して、「これはいい」と思うのだが、なぜいいのかというとなかなか難しい。よく理解できていなということが最も大きな原因かもしれないが。

よさの説明が難しい理由に、構造構成主義が「メタ理論」をうたっていることにあるのではないかと思う。メタの視点というのは、相対主義のドグマの一つだと思う。俯瞰的な視点をもつことが重要だ、というのだが、俯瞰的な視点もまた、関心相関的に取り扱う以外にはない、と構造構成主義に取り込んでいくと、結局、「メタ理論」というのは存在しないことになってしまう。

原理と原理でないものの違いがよくわからない。

そこで、自分の一番ゆるぎない基盤、それが原理だといいのだが、それがどこにあるのだろうかと考えてみるに、「いい加減」とか、「どうでもいい」、「なんとかなるさ」とか私の好きな言葉が、その基盤であるような気がする。、少なくともこれらの言葉は「私の考え」といってよい言葉だと思う。

いい加減に、どうでもいいつつ、なんとかなると、「相対主義の徹底」に挑戦したい。

とかなんとか言いつつ、今日もレコーダーを取り換えに来た電気業者に切れている私ではある。

厳しいものがある。

2011年7月28日木曜日

いい加減な世の中は、いい加減に生きるに限る

糖尿病のエビデンスについて3時間ばかり話した後に、ちょっとはっきりしたことがある。

頑張って治療をしてもうまくいかないことは多いし、たいして頑張らなくても、それなりにうまくいくこともある。

インスリンで治療している場合の死亡率でみると、HbA1c6%と10.5%がほぼ同じという驚くべき観察研究のメタ分析がある。

インスリンを使えば合併症が予防できて万事OKということはないし、それどころか科学的な理屈とはむしろ逆に、適当な治療でHbA1cが10%を超えたときの死亡率と同じだったりする。

そして、これは何も糖尿病に限ったことじゃない。
今生きている世の中がまさにこうだ。

ああすればこうなるなんてことはないし、全くの無秩序でもない。そういう「いい加減」な世界に生きている。
インスリンでの厳しい治療をするごとく、厳しい規律のなかで生活してもうまくはいかない。逆に、あまりに自由な生活も大変だ。

世の中自体が「いい加減」な世の中なのだから、自分だけが「いい加減」じゃなく、きっちり生きようとしても無理というものだ。ただあまりにいい加減では、それもまた苦しい。そのためには、まさにいい塩梅、いい具合だというような意味での「いい加減」が重要だ。

世の中を糖尿病に例えると、今の世の中はHbA1cでいえば、7-9%の世の中という感じではないだろうか。6%の世の中を目指すのはしんどい。10%を超えるままでも大変だ。それで実際のところ、今の世の中はうまくコントロールされた世の中といっていいような気もする。

「いい加減」な世の中では、理想的な生き方と全くの無秩序な生き方という両極端の間で、「いい加減」に生きるのがいいのだ。

今まさにここにある世の中が「いい加減」な世の中なのだから、そこに生きるものも「いい加減」がいい。

私が書くことにしては珍しく、今日は最後のメッセージはまあまあ明確だ。

今生きている世の中は、必然でもなく、偶然でもなく、その間にある。自分もそれに合わせて、必然に固執せず、偶然にあまりに身をゆだね過ぎないように、「いい加減」に生きたいものである。

2011年7月22日金曜日

フェアじゃない

 
ある雑誌の取材を受けていて、とても印象深い出来事があった。

スタチン以外のコレステロール降下薬で非心血管疾患死亡が多いという論文結果を示した時に記者が言ったこと。

「このデータだけを示すのはフェアじゃないですよね」

確かに。しかし、そう簡単に引き下がるわけにはいかない。

「そうだとすると、コレステロール低下薬で心筋梗塞が減るという効果の部分だけを示すのもフェアじゃないですよね」

薬の効果のみを示す際に、だれもフェアじゃないとは言わない。しかし害だけ示すとフェアじゃないといわれる。

これが治療効果の情報に関する典型的な構造だ。

診療時間内なんですが

 
診療時間内なんですが、患者がいないのでこんなことしてます。

「センター長日記」というのは変なタイトルだ。ただ自分としては少しこだわりのあるタイトル。

8年前、ある公益法人に地域医療研修センターという僻地医療専門医育成を目的とした部門にセンター長として赴任したところから、いろいろなことが始まった。

いろいろうまくいかないことも多く、4年後、赤羽の病院に移動、病院の臨床研修センター長として出直した。そこはとても居心地のいい病院だったけど、上の子供2人が就職したこともあり、また何か新しいことをやりたくなった。

そして今年、開業して、そのクリニックに「地域家庭診療センター」を立ち上げて、また改めてセンター長になった。

「地域家庭診療センター」とは、私の母校にあった地域医療学という講座の臨床部門の名前である。今はもうないんだけど、その名をお借りして、そこから続く、何か、自分の精神的な支柱という、

なんて書いていたら、患者さんが現れた。

また、続きはそのうち。
 

何かを特別視する

 
私も、家庭医療専門医制度の指導医のはしくれなんだけど、これから家庭医になろうとか、今研修中とかいう人たちの発言でいろいろ気になることが多い。まあそういう人たちに大きな関心をもっているというわけだ。

そのうちの一つ。

「家庭医は精神疾患を特別視しない」

特別視するという立場と特別視しない立場は実はとても似ている。
『「家庭医は精神疾患を特別視しない」という家庭医の立場を特別視する』といえば同じ構造である。

このように自分自身を特別視するというような立場は、往々にして危ない立場だと思う。自分自身を特別視するくらいなら、精神疾患を特別視して、すべてコンサルト、紹介し、自分自身では一切精神疾患にはかかわらないという専門医の立場の方が信頼できるかもしれない。

もし家庭医に役割があるとすれば、単に「家庭医は精神疾患を特別視しない」ということではなくて、そもそも精神疾患が特別視される文脈に対する関心であり、自分が反対の立場に立ちたいという関心を抱く自分自身の基盤に目を向けることなのではないか。

自分のやっている仕事が何か特別な仕事である、そう思いたい場面は多くあるが、実際にそういうことはあまりない。多くは勘違いだ。

ひとかどの医師として、ひとかどの仕事をする。

でくのぼうと呼ばれたいなどとは決して言えないが、せめてひとかどの人として生きたいと思う。

つまりは、私自身も、自分を特別視することがよくあり、その時の自分に対する嫌悪感や違和感の反映が、今回の家庭医療に関わる人たちの発言に対する、私の反応なのである。だから今日ここに書いたことは、自分自身に対するものでもある。

自分を特別視しそうになる自分自身にどう歯止めをかけるか、それは自分自身の課題なのだ。
もう一度肝に銘じたい。

2011年7月16日土曜日

原発も怖いが、医療機関はもっと怖い

 
福島第一原発が落ち着きつつあるのかどうかよくわからんが、それでも放出される放射線量も、これから大幅に増えるというような危険はそれほど大きくなさそうだ。地震直後からのダダ漏れ状態から、何とかギリギリのところで持ちこたえたといっていいのではないだろうか。

それでも世の中の興味も批判もいまだ原発に集中しがちだが、医療機関も結構怖い。原発と比較してという話は、どうも評判が悪いが、あまり原発に気をとられるとそれはそれで問題だ。

で、どんな話題かというと、薬の副作用や検査による被ばくについての問題である。毎日毎日山のような検査と薬が消費されているが、その副作用というのはいったいどれほどのものか。

最近のメタ分析によると、入院患者の5%くらいが薬の副作用によるものだという報告もある。毎日何人の入院患者がいるのかよくわからんが、そのうちの5%というと相当な数だろう。

さらには、医療機関では、CTなど被曝を受ける検査も毎日山のように行われているが、本当にそれらの検査が必要なものかというとかなり怪しい。その被曝量と言ったら、今の原発事故の非ではないだろう。一つの病院ですら、一日に何十人もの患者が一人当たり10mSVなんて単位の被曝をしているのである。

そういうことを考えると、牛肉食べるのを控えるより、医療機関での検査や薬を最小限にとどめたほうが、正しい対処かもしれない。

開業して1か月、そんな役割が果たせるような医者になれればと、思っているのだが、やはり多くの人はいきなり病院へ行って、多くの検査を希望し、できる限りの治療を望むのが主流で、なかなかきびしいのである。

大きな話題を振っておきながら、最後は自分の話。 かなり落ち込む。

2011年7月15日金曜日

かなえられない欲望をもつことはまっとうか

 
大酒食らって、飲んだくれて死んでいきたい。そういう欲望はかなえようと思えばかなえられる。
しかし、いつまでも健康で、長生きしたい、という欲望は決してかなえられることがない。死ぬという結末は避けられず、その欲望は決してかなえられないということが分かっている。

そのかなえられない欲望に対して、その欲望かなえますというような情報が世の中に氾濫している。

これはもう世の中自体が変わっているということだろう。

うまいもの食べたり、どこかへ旅行へ行ったり、それで満足が得られた時代から、それがいつまでも続かなければ満足できない時代へと変わっている。

うまいものを食べたいというのはまっとうな欲望で、いつまでも健康でというのはゆがんだ欲望だと思うが、医療の現場に身を置くと、それが全く逆で、前者がうまいもの食べすぎをコントロールできない人となり、後者が自分の健康を律することができる立派な人になったりする。

そして、そのへんてこりんな構造が、一般の世の中にも徐々に浸透しているように見える。

これはとんでもないことではないだろうか。


日本にも一神教が普及し始めるのだろうか。今キリスト教が熱心に布教活動すれば、日本にもキリスト教が普及するかもしれない。

ただもうこれはいきつくところまで行くしかないのだろうか。いまさらこの欲望をコントロールすることができるかどうかというと、何か絶望的な気持ちになる。

しかし、まずはそういう欲望に向き合う機会の多い医者たちが、それはゆがんだ欲望ではないだろうかと、患者に問いかけるようなことから、始めていくほかないような気がすると書いて、そんなことは無理だなと思う。

ただそれ自体とてつもなくわけのわからないことで、とても受け入れてもらえそうにない。

「でんでら」だったっけ。週末にでも見に行ってみようと思っている。
 
 

2011年7月13日水曜日

根拠の本質

根拠というものがどういうものか、ちょっとわかった気がする。

たとえば、机から物が落下するということ。こういうことはふつう根拠を必要としない。とにかくそうなるわけだから。もし根拠のようなものがあるとしたら、古典力学というようなことなのかもしれないが、それは根拠というより理論である。

そこで理論と事実の関係を考えてみるに、当然のことながら、事実より理論のほうが守備範囲は狭い。理論は事実の一部を説明するに過ぎない。ただ常に「ものが落ちる」という事実がゆるぎないので、理論が事実を打ち負かすようなことはない。理論と事実の不整合は、理論を作り変えることで対応される。

それに対して、「治療が有効である」というようなことはどうだろうか。「ものが落ちる」というのとどこが違うのか。「有効」というのは実はきわめて曖昧なもので、「落ちる」というのとはかなり違う。この「有効」のあいまいさが、何をもたらすのか、ものが落ちるときと比べて考えてみる。

「有効」ということは、対応する事実があいまいであるがために、理論そのものが事実と重なってしまうような勘違いが起きる。また理論と事実に整合性がない場合には、理論に合わせて事実の解釈のほうを変えてしまうというようなことも起こる。

たとえば最近のネタで、いかにもという例がある。血糖の集中的な治療が死亡を増やすというような結果を示した場合、血糖を下げれば死亡が減るのは自明の事実であって、増えたなどというのは、研究方法や対象に問題があって、事実が捻じ曲げられているのだと、そんな説明を何度となく聞いた。

そんなわけはないだろう。事実は「死亡が増えた」ということである。その事実を受け入れ、「死亡が減る」という理論こそ見直されるべきだ。もちろん、捻じ曲げられた事実の可能性もあるので、少なくともやはり事実は事実として理論を見直すような方向の思考を付け加えるべきではないか。そうでなければ研究の体系そのものが怪しくなる。しかしそのような発言をする人はほとんどいない。

根拠は理論を証明するために要求される。厳然たる事実があれば理論は必要ないかもしれない。しかし対応する事実があいまいだからこそ、理論のために根拠を要求される。これが根拠の本質だ。

人間が生きるのは、机からものが落ちるようなものではない。一枚の木の葉がひらひらと舞い落ちるようなものだ。本当はもっと複雑で訳が分からない。

そんな人の一生に対して、医療が有効なんてことを示すのは、事実で示せるはずもなく、理論や、事実に見せかけた理論的な解釈で示すほかはない。その理論を補強するためにこそ根拠を必要としている。その構造が壊れない限り、臨床研究結果はどこまでも悪用(それは言い過ぎかもしれないが、少なくとも治療効果を水増しするように使われるかもしれないという意味で)され続けるに違いない。

2011年7月12日火曜日

「そういうことを書くな」と言われたところで

 
いばる人から、口づてに、間に2人ほど人を介して、「こういうことを書くな」というお達しがあった。私が何を書こうが、文句を言われる筋合いではないんだけど。相変わらずいばってる。

今度書いた時には、何か制裁でも考えているのだろうか。おーこわ。

「書くな」というのは勝手だけど、そんなこと私に言われても、言うことは聞かないですよ。

いばるのはいい加減にしたほうがいい。いくらいばられても、そのために言うことを聞くということは決してない。それは私に限ったことじゃないと思う。

誰かに何かをするなとか、言うなというのは無理だと思う。誰かに何かをするなというからには、自分がそう言われた時には、それに応じて、何かをしたり言ったりするのをやめなくてはいけない。
それこそ、一番馬鹿げたことなので、とりあえず、あなたが何を言うかに文句をつけたりしませんから、こっちが何か言うのも許してください。そのほうが、住みやすい世の中だと思います。

なんていっても通じないだろうな。
ホントに不思議な人たち。いばる人。いったい何様なんだろう。

2011年7月6日水曜日

人からほめられる前に、自分で自分をほめるな

 
「人からほめられる前に、自分で自分をほめるな」の続き。

プライマリ・ケア連合学会はずいぶん盛り上がったらしい。わたしも会員の一人として、プライマリ・ケア医のはしくれとして、とてもうれしい。できれば私も参加したかった。
しかし、参加してどうしたかったかといえば、一緒に喜ぶというより、ちょっと一言、言いたいのである。喜んでいる場合でもないと。

プライマリ・ケア医の中には、これまで認知されていない恨みが渦巻いていた。でもそんなことはどうでもいいのだ。わたしはわたしの道を行くのだ。そう進んできた。そういう人たちが集まって、それぞれの私の道が重なり合って、仲間がこんなにいるじゃないか。これはどうやっても盛り上がる。

その盛り上がりに、水を差すようだが、やはりちょっと言いたい。

プライマリ・ケアの盛り上がりは、まだまだ内輪の盛り上がりに過ぎない。
「他人にほめられる前に、自分をほめてはいけない」という掟に従えば、まだまだ自分をほめてやるには早い。
この盛り上がりは、ある意味、世に認められていないから、内輪で盛り上がるという面がないわけじゃない。

開かれた学会へ、開かれた医療へ、まだまだこれからである。プライマリケア医が自分で自分をほめるには、まだまだ早い。

2011年7月4日月曜日

いばる

松本復興相ですか。すごい。ちょっと興味ある。

「いばる」というのは、最も不快なことの一つだ。
前いた団体の上の方の人たちの一部はこういう人たちだった。それを思い出すからか。

そういう個人的な体験に強く結びつくことに関しては、あまり語らない方がいいと思うけど、少し別の考え方ができるかもしれない、そうも思うので少し書いてみる。

わたしは威張る人に向き合うと、どうしても威張り返したくなる。自分も同類項ということかもしれない。

威張るやつが一番嫌い。威張る自分が一番嫌い。
と言いつつ威張り返すわけだから、全くひどいもんだ。

自分が威張るのはなぜか。認めてもらいたい、そういう承認欲求の裏返しであるような気がする。

それで話は少し変わるのだけど、プライマリ・ケア学会で、なんだかとてもいいセッションがあったらしく、「今日という日は自分をほめてやりたい」なんて書き込みがTwitterにあったのだが、何か微妙な気がする。自分で自分をほめるような状況というのは、自分であれば、ちょっと厳しい状況のような感じがする。周りが認めてくれれば、そんな必要はないのだから。有森さんだって、あまり評価されず、スポンサーもない中で頑張った挙句のコメントだったと思う。

だれもほめてくれないから、自分でほめておくというような、実はさびしい状況。

しかし、書き込みにある自分をほめたいというその本人は、全然厳しい状況らしくはなく、周りからも認められていて、なおかつ自分でも自分をほめたいという感じだ。

これは一体どういうことなのだ。ちょっと理解ができない。威張る復興相より、こちらの方が理解困難かもしれない。

でも、松本復興相を自分と重ねてみると何となくわかる。政治家というのはもはや他者から認められることはほとんどない。そういう状況で自分を律するしかない。いつまでたっても他者から評価されず、自分で自分をほめるしかない悪循環が基盤にある。少し前までの自分もそうだったかもしれない。

他人からの評価が最初に来るというのはとても重要なことだ。学会で、自分をほめたいという人たちは、そもそも他者からの評価が先にある。だから、そのあとに自然に自分で自分をほめたいということが来る。有森さんとは少し違うのだ。

それに対して、私なんかは、他者の評価より先に自分の評価があって、それでうまくいかなくなっていたのだ。

認められないから威張る
認められないから自分で自分をほめる
そうなるともうなかなかそこから抜け出せない。

それに対して、最初から他者の評価が関心の第一であれば、まずそこをクリアしようと頑張る。そこをクリアした先に自分自身の評価がある。そういう順番でやれば、案外認めてもらえる。
まわりから認められると、自分自身でも自分を認めることができる。こういう順番が重要。

ひとつの黄金律を見つけた。
人からほめられる前に、自分で自分をほめるな。

もうほとんど手おくれだけどね。

2011年7月2日土曜日

大晦日のどんちゃん騒ぎ

 
久しぶりにソファに横になって、半日ばかり本を読む。

養老孟司、池田清彦の「ほんとうの復興」

今の世の中は、大晦日のどんちゃん騒ぎ。何億年もかかって蓄積してきたエネルギーを、大晦日の一日で使い果たしてしまうというような。そんなふうに書いてあった。ちょっと違うかもしれないけど。

これでは年が明ける前に全部使い果たしてしまうので、原子力なるものを使い始めた。

そう考えると、やめるべきはどんちゃん騒ぎであって、原子力が使われるようになったのはその結果に過ぎない。
原発廃止はどんちゃん騒ぎの中止とペアで考えなくてはいけない。

それで、どうしたらどんちゃん騒ぎがやめられるのか。

すばるの、中沢新一の「日本の大転換」を読んで、つながるようなつながらないような。

多神教、中庸、贈与性、キアズム。

確かに一神教と原発は似ていると思う。永遠の命、永遠のエネルギー、限りない欲望。

それで今から診療なんだけど、医療機関にかかるというのも、大晦日のどんちゃん騒ぎの一つだろうか。たぶんそうだ。

狭い場所で

うんと狭い場所に閉じこもって、鎖国時代の日本のように、といったところで、いまやありとあらゆるチャンネルで世界はつながっている。

グローバリゼーションって言うけど、もうそうなってしまっていて、ローカルにとどまるのはとても困難だ。
でも本当に重要なのは、ローカルにとどまることではないのか。

東大が9月入試を検討しているという。東大はますます埋没するだろう。桜のない入学式には、グロ―バルな、金太郎あめのような、やる気に満ちた、前向き野郎たちの顔が並ぶに違いない。そういう人たちは、もう必要ないほどたくさんいるではないか。

海外から学生が来るというなら、4月の入学式をぜひ経験すべきだ。日本の大学が、そういう役割を果たさなくて、一体どういう役割を果たすのだ。

こんなふうに足並みをそろえるというのは、個別の役割を捨て去るということに他ならない。ちょっと言いすぎか。

しかし、狭い場所で、マイノリティであり続けたい。ローカルに行動したい。ローカルに行動することで、広い世界とつながる、そういう道があるはずだ。グローバルなんていう狭い世界へ向かうのではなく。


開業して、ますますそういう気持ちになる。この狭い場所こそ、世界に通じているのだ。

2011年6月26日日曜日

病院の世紀の理論

 
猪飼周平著、「病院の世紀の理論」。
まだ全部を読んでいないのだけど、読みとおさなければいけないと思っている。
生半可な本ではない。
「マロウンは死ぬ」を思い出したのはこの本のせいである。

20世紀の医療は、既定のレールの上を走ってきただけの必然であると。
プライマリケアだろうが、セカンダリケアだろうが、例外ではない。

道ははっきりと見えていた。そして、どこに向かっていたのか。治す、よくする、予防する。

そして21世紀。

キュアからケアへ。
分化から統合へ。

医療システムの問題は、医療の内部の問題から、全体の中での医療の位置づけという問題へと変わっていく。医療の役割はどんどん小さくなっていく。ケアとか統合とかいうと、医療の役割が大きくなっていくのだと勘違いしてしまうかもしれない。しかし、それこそ、これまでの必然のルートなのだ。

医療の役割は小さい、それが受け入れられるかどうか。それが医療者に求められていると思う。

マロウンは死ぬ

「マロウンは死ぬ」という小説を思い出した。寝たきり老人の小説。違うか。
高校時代の友人から、お前にぴったりの本だといわれて読んだ。
正確には覚えていないけど、主人公がつぶやく以下のような一節。

「かつては、道は全く見えていないのに、たどりつく先は分かっていた。それが今じゃどうだ。道ははっきり見えているのに、どこへ行くのかはさっぱり分からない」

読んだ当時、友人が言うには、前者はボクシングで、後者はプロレスだと。そして当然のように、われわれはボクシング派なのであった。

今から思えば、確かにそうだ。当時プロレスよりはボクシングだった。しかし、今はとてもボクシングだとはいえない。プロレスでもないんだけど。まあどうでもいいというかなんというか。でも、それはとても好ましいことのように思える。

見えないふりをするのは簡単だし、本当はたどりつく先なんてのは分かっている。その通り。ただ、死ぬなんてことを考えたこともないから。そんなのが何かかっこいいように思うのだ。

だから、道ははっきりと見えていると言おう。死ぬということ以外はさっぱり分からない、それでいいじゃないか。

でもそれがいいのだ。とりあえずそこにある見えている道を歩こう。道じゃないように思えるかもしれないけど、それが道なのだ。どこへ行くかは分からないけど、どこかへは行くのだ。そして、その先は例外なくみんな同じだ。

2011年6月18日土曜日

正しい情報とか事実とか

 
わたしたちは事実を知りたいだけだ、というような発言。
正しい情報を提供さえしてくれれば、正しい判断ができる、ということだろう。

企業は正しい情報を出していない、そんなことは当たり前だ。企業の情報提供は手段であって目的ではない。企業が正しい情報の提供を第一に考えるのは、手段と目的を履き違えているという面がある。企業からの情報は、企業からの情報だと知った上で判断しなければいけない。もちろん企業に高い倫理性を要求することも重要だが、それだけでは解決不能な問題だ。

しかし、国というとどうだろうか。
国は正しい情報を出していない。それが問題だと。まあそうなんだけど、それほど単純な問題ではない。ひとつは、国だからといって正しい情報が手に入るわけではない。そういう選別の必要は国だからといって省けるわけじゃない。正しい情報を国は手に入れているはずだというのも、あまりに楽観的な考えではないか。
さらに、国は様々な利害のある多様は国民を相手に、その調整をしなければならないのだから、正しい情報が手に入ったとしても、どう情報を操作するかというのは国の大きな機能だ。被災者を第一にといっても、その被災者が決して単一ではない。これは相当難しい作業で、だれがやってもそうはうまくはいかないと思う。

それでは学者や専門家はどうか。これがまたマスコミを通じて出てくるような人は企業や国から自由でないし、そこから自由だとしても、今度はその言っていることが本当に信用できるのかどうかというとよくわからない。

というわけで独自の情報収集ということになるわけだが、これがまた企業や国、専門家以上にわけがわからない。

しかし、この国や企業からでもない、必ずしも専門家でもないところからの情報のいいところは、はなから嘘かもしれないと思って情報と向き合っていることだ。

で、重要なのはここではないかと思う。誰かが本当のことを教えてくれるなんてことはない。あちこちから集めた情報を総合して、自分で考える、それが重要。
だから、企業や国、専門家を信じないというのは、常にそうあるべきであって、企業や国から正しい情報が提供されてよかったなんて思った時こそ危機なのだ。

正しい情報を提供しているのに患者がわかってくれない、医者はそんなふうに思いがちだ。
でもそんなわけはないのであって、これはむしろ正常な状況だ。
そういう中でしか、医者の情報リテラシーも、患者の情報リテラシーも育たないということは、正しい情報として唯一提供できるのではないだろうか。。




似た者同士

予防接種についての議論で考えたこと。
効果が副作用をはるかに優ることが明確な予防接種がなかなか普及しない。そういう状況で多くの人がイライラする。

治療の現場に目を向けると、それとはまったく逆に、新しい薬などがどんどん処方されていく。たとえば降圧薬。新しい降圧薬ほど普及が早い。またいったん処方された薬に副作用の危険があってもなかなかやめられない。糖尿病薬でのがんの発生なんて問題の情報の遅さ。

よく聞かれる意見に、治療の場合は、副作用に寛容で、治療効果がはっきりしていなくてもどんどん普及するのに、予防接種はどうして逆なのだろう。
どうしてこういう正反対のことが起こるのか。

しかし、これは正反対のことでなく、同じことが起きている。
この2つは実は似た者同士なのだ。

とにかく医療が普及した方がいい、そういう方向。
そしていつもそんなに普及しなくてもいいのにという方が少数派。

だから予防接種も徐々に普及していくだろう。そう心配することはない。

わたしが異常に感じるのは、予防接種の普及の遅さより、新しい治療の浸透の早さや副作用についての鈍感さの方である。
死亡例が出た場合に、副作用かもしれないと疑ってみるという姿勢はむしろ健全な面がある。ぜひ予防接種を見習って、膀胱がんの危険となったら、代替薬に切り替えるべきだ、というような議論がもう少しは起こってもいい気がする。

それを踏まえて予防接種について考えてみる。
予防接種後の死亡例が出たときに、確かに因果関係はない可能性が高いのだが、何の情報や研究も出ないうちに、これは因果関係はありません、というような発言が次々出てくるのを見るにつけ、これは治療薬の副作用に対する鈍感さと同じことが起きているように見える。こういう視点では、予防接種を普及させることはできるかもしれないが、危険な治療をスルーしてしまうかもしれない。

治療についても予防についても、私には同じ現象のように見える。

医療は普及した方がいいという、希望的観測、その点において、この2つは全く同じ構造をもっている。

2011年6月14日火曜日

言葉

時間にはそれぞれの人に固有の時間があるが、言葉に固有の言葉というものがあるかどうか。

私が発した言葉、という意味では固有の言葉であるが、誰かに通じない以上、言葉としては機能しない。だから言葉には固有の言葉というものがないという気もする。

私の言葉、あなたの言葉をやり取りしなければ、固有の時間を取り戻せないと書いたのだが、そもそも私の言葉とか、あなたの言葉というものがあるのかどうか怪しい。

しかし、そうは言っても、誰にでも通じる言葉というのは、私の言葉でもなく、あなたの言葉でもない。
たとえば「高血圧」という言葉。これは私やあなたに固有の言葉ではない。
誰にでも通じる言葉だけを話していては、その誰のものかわからない言葉によって、だれのものだかわからない時間を生きることになる。

言葉はそんなことのためにあるのではないはずだ。

通じるか通じないかよくわからないような言葉。そういうものが言葉であるはずだ。

言葉は時間を生み出す限り、その固有の時間に対応した固有の言葉となる。

通じにくい言葉で、何か通じること。誤解と何が違うのか、よくわからないが、わかりきった言葉のやり取りにコミュニケーションはない。誤解の幅こそコミュニケーションの源といったのはだれだたっけ、忘れてしまった。

同じで様で同じでない言葉を使う。

通じていないと思ったときこそ、コミュニケーションの始まり。

時間

 
人はそれぞれ固有の時間というものをもっている。
生まれて、生き、死ぬ、ということはその人固有の時間の中にある。

固有の時間と固有の時間が出会うことを偶然という。それは決して必然ではない。
必然と言うからには、それぞれの時間が固有のものでなく、お互い関係するものだという前提がある。

誰かとどこかで必ずぶつかるという意味では必然かもしれないが、それは誰でもよいし、どこでもよいぶつかりの一つに過ぎないと思う。

診察室で、訪問診療の場で、医者の固有の時間と患者の固有の時間がぶつかる。それもまた偶然がなせる技だ。

その現場において、言葉をやり取りすると、誰の時間かわからなくなったり、時間が止まったりする。

たとえば、「血圧高いですよね」と医者が言う時、患者が「脳卒中になるのは困ります」という時。

本当は、そこには固有の時間が流れているはずなのに、誰の時間だがわからない時間におきかえられている。さらには、時間は止まり、血圧を下げて脳卒中を予防するという一本道だけが設定される。そこには時間はない。

本当は「言葉は時間を生み出す形式」なのだ。
医学用語を使う時、それはお互いの固有の時間とは関係ない話をしているにすぎない。
それぞれの時間はそれぞれの自然の言葉を使わなければ表現できない。
しかし、診察室の中では、自然言語ですら、時間を失っている。

どこかに転がっている言葉ではなく、医者自身の言葉であり、患者自身の言葉で語られない限り、固有の時間は取り戻せないし、時間は動き出さない。

そんな言葉のやり取りができるように、診察室を、在宅の場を、準備したい。

2011年6月13日月曜日

のんびりと

子供のころに見た夢というのは、というより覚えている夢と言えば、とにかく逃げる夢であった。
いったい何から逃げていたのか。いまだによくわからない。

大人になってからは、そんな夢をほとんど見なくなった。そして、最近では夢そのものを見ない。

久しぶりに昨日見た夢は、自分がいつも寝ているように、自分の部屋で、自分の布団の中で、寝ている夢。

そう、そういうのが夢だったのかもしれない。

実は夢は見ないのだが、金縛りにはよく合う。
昨日の夢で、「金縛り」というものがどういうものか、なんとなくわかった気がする。逃げたい自分と逃げたくない自分。

もう逃げることはないと思う。

のんびりと腰を据えてやりたい。

2011年6月10日金曜日

すべては地域医療に

JIMという医学雑誌、「すべては地域医療に」という特集。
そのEditorialを読んだ。
いろいろなことを思い出した。

一体自分は何を思い出したのか。

これまで自分がしてきたことに対する、確かなよりどころというか、確かでないよりどころというか。
そこに書かれていることそのもの。

「地域医療とはなにか」、答えることのできない問いに、答えるひとつのあり方だ。
学生や研修医や、あるいはひとかどの人に、「地域医療って何ですか」と聞かれたら、ぜひこの文を読んでくれ、そう答えたい。


もうこれ以上、私自身が言い換えたり、感想を述べたりする必要はない。短い文だ。読めばいいのだ。何度も何度も読めばいいのだ。

わたしも、これから何度も読むだろう。

花を思う。

かつてそこにいた人、つまりは、今そこにいない人を思い出しながら、今そこにいる人と向き合いながら、生きている。そして、また、今そこにいる人自身も、かつてそこでないどこかにおり、今はここにいない一人のなれの果てとして、今にここにいる。

それもまた花と呼びたい。
 
そして、花を思う、のだ。
 

2011年6月5日日曜日

いまどこにいるのか

最初は、何か「自分らしい」というような一つの解答があると思っていた。

いくらでも選択肢がある。そして、正答などどこにもない。唯一「生きない」という選択肢を除けば。そう思えるようになった。
生きるというのであれば、もうそれでOKだ。どうでもいいと言っていい。生きてさえいれば。

そこからスタートして、今や「生きない」というのも十分選択肢の一つだということが明確になる。むしろ、現代こそ「生きない」という選択肢をもって、「生きる」ことができる時代ではないか。

70になると姥捨ての山に行く、というような世の中では、どうしても山へ行くのがいやで、家族に無理やり道の途中で崖下へ突き落されてしまうような人が、不自然な人と描かれるように。

しかし、かつてと今では同じではない。山へ自ら行く老人と現代の自殺者、全く違う気がする。しかしそれでも似ているところがあるのではないかと、考えを進めてみる。

自殺者3万人。それは不幸なことだが、同時にどこかで「生きる」ことのあり方を示している。

100年たって、「毎年自殺者が3万人もいたのだ」と振り返られるような時代が来たとして、100年後もまだ、「かつてそんな不幸なことが」なんて反応されたら、それこそ立つ瀬がないのは自殺者ではないか。

政治家の靖国参拝では、戦争で死んだ人たちが決して救われない気がするのと同じように。

少しややこしいことになってしまった。

「死ぬのはよいことである」というような発言すら陳腐化しそうな世の中で、「死んでかわいそう」とかいうのはもう、思考停止以外の何物ではない。そこですべきは、思考停止ではなく、判断を停止して思考を開始することだ。

天皇陛下のために死ぬというのも、できるだけ長生きするというのも、実はとても似ている。
「大日本帝国が万世一系の天皇のもとにあった」と言われるように、「日本は世界で最も長寿の国です」と言われる。一方は死ぬことが美徳、一方は長生きが美徳。逆のように思えるが、ひとつの信仰のもとにあるという意味では似ている。わかりにくいな。

また、お国のために死になさいと教育された時代と、いい大学に入りなさいと言われる時代は似ている。方向は違うが構造は同じだ。

変わってしまった時代の中で、全然変わっていないことが、壁になってうまくいかない。

今、私たちはそういう場所にいる。
「そういう場所」についてしばらく考え続けたい。

2011年6月1日水曜日

あしたから始まること

 
あしたから一開業医としてスタート。
いったい何度目のスタートかわからないけど。

質の高い医療を提供すること。
それを記録に残すこと。
その記録を分析、統合、研究につなげること。
他人の研究もよく勉強すること。
その研究結果を医療に還元し、質の高い医療を提供すること。
そのサイクルを回すために教育に力を入れること。

一人の患者さんに向き合いながら、そこで起こる現象を研究し、後輩を教育する。その中で最善の医療を提供する。

最もコストをかけずに最善の医療を提供すること。
金をかけるだけかける医療というのは、コストをかけた分だけコストをかけない医療に比べて最善の医療から遠ざかる。

そして、それでもなおかつ事業として成り立つこと。成り立つだけでなく、できるだけ多くの職員を受け入れること。多くの人を育て世へ送り出すこと。

無謀な試みかもしれないが、挑戦してみることにする。

クリニック
診療支援システム ドクターベイズ
CMECジャーナルクラブ
それらをつなぐバーチャル研修センター

道具立ては揃った。
役者はどうか。
精一杯演じたい。

「全体を取り扱う方法を考えなさい」

師匠の言葉を思い出しながら。

2011年5月29日日曜日

動脈硬化と欲望

 
Twittterで思わぬ反響があり、調子に乗って書いている。

動脈硬化と予防というシンポジウムに参加した。しかし、書きたいことは動脈硬化と欲望。
動脈硬化と欲望。予防の間違いではない。
真っ先に言いたいことは、向き合うべきは、予防ではなく、欲望のほうではないか。

暴飲暴食が欲望をコントロールできてないというなら、健康でいつまでも長生きしたいというのも同じだ。

深沢七郎を読んで明確になったこと。

健康に気をつけるというと聞こえがいいが、きりのない健康願望が、うまいものを食いたいという欲望とどこが違うのか。違いがわからない。そんな風にいっても、多くの人は受け入れがたいだろう。「楢山節考」が不気味だといわれるように、「笛吹川」が悲惨だと読まれるように。

しかし、どこまでも健康でいたいというのも不気味な考えだ。もちろん、それも当然の思いだといえば、確かにそうだが。だから、同じように、70過ぎたら山へ行くというのも、不気味であると同時に、当然の思いではないか。

ただ、今は健康が重要、そういう世の中だ。医者もそういう世の中にいる。

医者は暴飲暴食に対する欲望には厳しく、動脈硬化をできるだけ予防したいというような欲望には甘い。そうでないと仕事がしにくい。


死んだら天国というのもその延長にある。それはもう30年以上も前に井上陽水が明らかにしたことだ。限りないもの、それが欲望。

牧師も神父も、現世の欲望に厳しく、あの世へ行きたい願望には甘いのではないだろうか。全然違うかもしれないけど。

みんな、どの欲望に甘いかが違うだけ。どこに厳しいかが違うだけ。

禁欲こそが資本主義の起源である。なるほど、その通りだ。


全部に厳しいなんてのは、むしろ今の市場原理主義に行き着く。だから決して禁欲などすべきでない。
無理だから、どこかには甘くなるほかない。甘いところと、厳しいところと両方が重要である。どこを甘くするか、どこを厳しくするかなんてのは重要じゃない。

暴飲暴食に厳しいだけでなく、ときには暴飲暴食にやさしく、動脈硬化予防に甘いばかりでなく、ときには際限のない健康に対する欲望に厳しくする。


と言っている、私はどちらかというと、暴飲暴食に甘く、長生き願望に厳しいかもしれない。気をつけなくては。暴飲暴食にも少しは厳しくすべきだ。

シンポジウムは予想に反して、かなりおもしろかった。テレビでの放映も、新聞での紹介もあるらしい。ちょっと楽しみである。

2011年5月24日火曜日

千里の道も

 
千里の道も一歩から。
千里と一歩のどちらに重きがあるかと言うと、答えは明確だ。

当然、一歩の方である。
千里に重きがあるような、そんな人生は勘弁。

一歩を踏み出して50年。
一歩を踏み出せば、あとはもう、ひとひらの葉っぱがひらひらと落ちていくように。
どこに着地するかなんて、知ったことじゃないのだ。

目指すのは決してたどり着けないどこか。
自分でたどり着けないからこそ、誰かにつなげることができる。
自分ひとりでたどり着いてどうする。

千里の先、わたしのたどり着く場所ではなく、そのはるか先。
わたしの向かう先というより、わたしたちの行く先。

そこでの問題は、「わたしたち」とはだれか、ということだ。
戦後65年、「わたしたち」ではなく、「わたし」の時代。まだ戦後すら終わっていない。

もっと遠くへ行かなくてはいけない。何かの後ではなく、その先へ。
そのための「わたしたち」。

ちょっと気持ち悪いけど。
「わたしたち」について考えたい。

2011年5月15日日曜日

かぜ薬の副作用

 
開業医としての仕事がもうすぐ始まる。

ワクチンの副作用に対する厳しさに比べて、かぜ薬の副作用に対する寛容さというのは理解しがたいものがある。

あってもなくてもいい解熱薬、せきどめ、鼻水どめ。
私が医者になったころには、小児でもポンタールなどの非ステロイド系鎮痛薬がガンガン使われていた。さすがにそういう状況ではなくなったが、ポンタールなどをやめるなら、いっそのことその他もやめてしまえばと思う。その場の症状を抑える以外にほとんど効果がないことがすでに明らかになっている中で、これほどかぜ薬が使われるのはなぜか。

アセトアミノフェンだって、肝障害の頻度は案外高いし、喘息のリスクを増すという研究結果もある。

抗菌薬などを追加すればアナフィラキシーなどの重篤なものを含め、その副作用の危険はさらに増加する。ただこちらは細菌感染を治癒させるという効果はある中での害なので、最近感染とウィルス感染を明確に区別できない中では、困難な面があるのは確かだが。
ただワクチンの効果と害のバランスからすれば、かぜ様の症状に対する抗菌薬と害のバランスというのは、極めて微妙なものだ。効果についての明確なエビデンスがあるというインフルエンザの薬だって、ワクチンの効果と害のバランスに比べれば、どうということはない効果しかない。

こういうアンバランスの背景にあるものは何か。そこが重要だ。

延々矛盾の中でやってきた医療行為、病院ではある意味そういう医療も病院の看板を背負えばできないこともなかった。それを開業医としてどう乗り越えていくか。
熱やせきや、下痢などの患者さんに、「重大な疾患が除外されれば、ほうっておけばいいのですよ。何も薬はいりません。」というような対応が通じるとは思えない。でも、そういうことを地道にやっていきたい。
 

笛吹川の書評

 
文庫化された笛吹川の書評が読売新聞に載っている。

「おそろしい小説」だと。
「無慈悲な反復を無慈悲なまでに律義に描く」と。
「醒めた眼が、輝く」と。

おそろしくないし、無慈悲ではないし、醒めていない、というふうにしか読めないのだが、なぜそういうことになるのか。

今の世の中の方がよほどおそろしいし、無慈悲だし、醒めている、どう考えてもそうとしか思えない。

だからこそ、深沢七郎が見直されるのか。
この書評を書かせたものは何か。こういう書評を書く人は、基本的には深沢七郎になど興味を持たない人のような気がする。そういう人が興味を持つというのはどういうことか。
書評を書いている側が、無意識の中で、何かに押されて、何か混沌とした中に、これからこぎだそうということか。私の印象とまるで正反対な書評は、これから何かが始まる予兆かもしれない。

風流夢譚が書店で売られるような時代が来るとは思えないが、極楽まくらおとしやみちのくの人形たちなどは、笛吹川に続いて世に出てくるかもしれない。
どんなふうに取り上げられるのか。やはり「おそろしい」か。

西村賢太が芥川賞をとるし、世の中は動いているのか動いていないのか。

何かよい方向に動いているのではないか。
あまりに楽観的な観測かもしれないが、そういう気がする。
 

どうで死ぬ身の一踊り

 
新しきパソコン買いに行きしまま、行方不明のお父と小鳥

パソコンを買いに行った。レッツノートの新しいやつだ。5台目のレッツノート。
今日は予約だけ、5月27日の発売が待ち遠しい。

帰りはタリーズでドーナツとコーヒー。もっていた小説を読む。

「どうで死ぬ身の一踊り」

深沢七郎を思い出す。寺山修司にもつながる。
なんだこれは。

墓参りと女に対する暴力、その繰り返し。
生身の人間。

家に帰るのをやめようか。

でもこうして家に戻って、こんな駄文を書いている。
 

2011年5月12日木曜日

我慢できない

 
新幹線でこれから帰ろうというとき、小腹がすいたので、車内で食べようと、菓子パンを買った。チョコとクリームとあんこの3色パン。改札を抜けて、発車までは5分ほどある。車内で食べるつもりだったんだけど、どうにも我慢ができず、待合でチョコの部分だけを食べる。うまい。一緒に買った午後の紅茶を飲む。これまたうまい。待合のテレビではためしてガッテンをやっている。

テレビをなんとなく眺めていると、「まもなく上りひかり○○号が到着します」というアナウンス。残りは予定通り車内で食べることにして、ホームへ降りる。あかりが向こうに見えている。何とか車内まで我慢ができそうだ。電車が着くなり、いつもより多少急いで車内へ。席に着くなり、残りのあんことクリームの部分を食べる。午後の紅茶を飲む。うまい。満足。
 

2011年5月8日日曜日

健康のために生きているのでもないし長生きのために生きているのでもない

 
あたらしく一歩を踏み出すにあたって自分として今一度確認しておきたいこと。自分のことでありみんなのこと。健康のために生きているのでもないし長生きのために生きているのでもない。それは共通基盤のはずだ。病気や事故やそのたぐいのものがこの世からなくなったとしてそれがなんなのさ。生まれてきた全員が120歳まで健康に生きるというような世界が実現したとしてそれがなんなのさ。生きるということは病気になることであり事故にあうことであり死ぬことである。だからこそそれを避けたいと思うこと。そこから逃げようとすること。そして避けられないこと。逃げられないこと。息つぎのない連続。そういう中で点を打つことくらいはできるかもしれない。早逝の天才ナンシー関の最初の原稿には読点も改行もなかったらしい。読点や改行があればもう少し長生きできたかもしれない。しかし読点や改行のために生きているのではない。誰も読点や改行なしには生きられないからそうしているだけのことだ。この原稿だって一見読みにくいからいつもより読まれないだろう。だから自分はそんな生き方ができるわけでなく休憩しつつずるしつつ生きるしかない。読点も改行も必要だ。

健康は恥ずかしいことだし、長生きも恥ずかしいことだ。そういう面がある。それを忘れないように、ぼちぼち、やすみやすみ、次の一歩を踏み出したい。
 

2011年5月4日水曜日

「廃墟の中から」を読んだ

 
震災を前後して読んだ。
本を読む暇があれば支援に行くべきだったかもしれない。
鶴見俊輔編著、ちくま学芸文庫での復刻版。

「敗戦の予感、戦後未来への希望、占領、引揚、闇経済化の生活、そのどれをとっても、日本人の体験は、大きなふりはばをもっているその全体をえがくのに、一つの社会の成員全体に共通な一つの履歴のかたちを求めて平均的生活歴としてとらえることはむずかしい。」

「反対に、大きなふりはばの中のもっとも周辺的な部分の記録を、できるだけもれなくさがし、周辺をえがくことをとおして中心部を想定する方法をとることが、戦後の状況に適している。」

そんな中で印象に残った場面。
敗戦の日のある農村でのやりとり。

「坂下の田園で一人の農民が田の除草をしている。背に青草をのせて陽を防いでいる。『戦が負けんたんだよう』あぜ道から声をかけた。『知ってるよ。戦が負けたって日本人は米を食わねいで生きていられめい』農夫は屈んだ腰も上げない。これも日本人である」

東京の焼け野原、そこに浮浪者の町ができる。そこで、「蟻の会」という社会契約が作られる。

「蟻の会とは『人間の屑』とさげすまれている浮浪者同士で、お互いに励ましあいつつ、自力で更生してゆこうとする会です。蟻はあんなにも小さなくせに、働きもので、ねばり強く、しかも夏の間にしっかり蓄えておいて、冬になるとあたたかい巣のなかにこもってらくらくと暮らします。それにくらべると、一日雨が降ってもすぐ飢えなければならないルンペンの生活は、蟻以下ではありませんか。昔、二宮尊徳は、大洪水で田畠も家財もことごとく流されたときに、『天地開闢のころ、何の経験も道具もなしに、はじめて畑をつくった祖先のことを思えば、再起するのは何でもない』といいました。私も裸一貫のルンペンになりさがったとはいうものの、蟻の生活のことを思えば、自分たち自身の更生どころか、祖国日本の更生だってできないはずはないと信じます。」

抜き書きしたい部分が満載である。

平均値でなく、「ふりはば」ということについて、しばらく考えたい。
 

再び、親愛なるものへ

 
来月からは一開業医として再々スタートだ。
半島の研修病院から、都心のはずれにある病院に移り、そして、今回。
最初の病院は失敗だった。次の病院では好い仕組みを立ち上げられたと思う。

仕事の大枠は、これまでと変わることはない。地域家庭診療センターを立ち上げ、診療だけでなく、教育、研究も含めて、活動していけたら、そんなことを考えている。センター長、三たびである。

そして、センター長を次へと受け渡すことが最も重要。つなげること。

多くの人に迷惑をかけた。

外は風が吹いている。

そして今も。

かぜは北向き、心の中じゃ、と歌った歌手もいる。
もうしばらく聞いていない。もう聞かないかもしれない。

「親愛なるものへ」

それを人生の応援歌として生きてきた。
しかし、50歳を目前にして、少しはわかったことがある。それは、外で吹いている風なのだ。

かぜは北向き、心の外、だ

流し眼は使うまい。
誰かの流し眼を受けとめること。

応援されることでなく、応援すること。

自分へ、でなく、
親愛なるものへ
 

2011年5月3日火曜日

自分の仕事の世の中に対する影響

 
ある医師から一通の手紙を受け取った。最近にない衝撃だった。

ブログでは、医療についての話題、特にこんな医学論文が発表された、というようなことについて、ほとんど書いてこなかった。そういう記事は頼まれた原稿の中でいつも書いているので、それ以外の頼まれる仕事の中では書かないようなことを書きたい、という個人的な事情が影響している。

このブログの元となった医学界新聞の連載を受けたときも、何を書いてもいいというのが私の条件であった。何を書いてもいいというのは、エビデンスがどうこうということを書きたくないということであった。

なぜエビデンスというようなことについて書きたくないのか。そのことについて、自分自身、あまりまじめに考えてこなかった。

そういう中、ベータ刺激薬による喘息の悪化や死亡の増加の危険について書いた拙文を読んだ、呼吸器の重鎮ともいえる医師からの手紙に衝撃を受けた。

手紙を読んで、意外な自分を自覚した。そういう関心をもっていただける方がいるというのを驚く自分、自分の書いたものが何か世の中に影響を与えるなどとはハナから思っていない自分である。

自分の書いたものの世の中に対する影響というようなものから遠ざかったのは、「書くことに対する無力感」というべきものかもしれない。無力感とは言いつつ、新聞や医学雑誌にそうした連載をもち、自分自身でも医学論文ようやくサービスまで提供しておきながら、何を言っているのだと思われるかもしれない。

しかし、これまで自分が書いてきたことを振り返って、世の中の医療を変えようというような気概があったかというと、最近はそういう気持ちがあまりないのである。むしろ、自分はこうしているが、世の中はそうなっていない、それでもまあ仕方がないというような、自分に対する言い訳だけのために書いている自分というのに気付く。少なくとも、世の中を変えようなどとは思っていない。

そういう自分に対して、今回の手紙は本当に衝撃だった。その手紙は、世の中の喘息治療を何とかしたいというような気概に満ち溢れていた。私が生まれたころに医師になった、私のはるか先輩の医師がである。

それに対して私といったらどうだ。

日本のコレステロール治療を、高血圧治療を、糖尿病治療を、喘息治療を、なんとかよくしたい、そういう気概をもって、気概を持つだけではなく、本当にそれが実現できるように、現実的に、戦略的に、今一度自分がやってきたことを見直さなければいけない。
 

2011年4月29日金曜日

病気の不安にまつわる昔話

 
20代の女性が、乳がんが心配だといって来院。対応する研修医に様々な訴えが止まらない。一人に一時間くらいかけて、結局は外科の外来予約、という結末。

その患者について研修医と話していて、思い出した昔の話。
研修医にはまだ話していないんだけど。

小さい頃、おしっこした後にぶるっと震えるのが、何かの病気ではないかとても不安だった。
ある日友達と、並んで立ちションベンをしていた時のこと。私がぶるっとすると、隣の友達もぶるっとする。そんなことがあって、ほかの友達にも聞いてみると、みんなぶるっとする。何だ、みんなもそうなのか。一気にそれまでの不安が解決した。

この女性も、友達と昼御飯でも食べながら、キャンディーズのスーちゃんは30代で乳がんなんだって、怖いよね。私、心配になっちゃう。えーわたしも、私も、みたいな、ことで、本当は解決できてしまうことかもしれない。

心配をなくすことは難しいけど、みんなが心配を共有できれば、それほどのことはなくなってしまう。

死ぬの怖いよね。そうだよね。こわいこわい。わたしも。私も。

関係あるようなないような話。
 

2011年4月28日木曜日

戦後の日本を作った人たちと被災後の日本を作る人たち

 
現代史にはかなり疎いのだけれど、戦後の日本を作った人というのは、一貫して戦争に反対してきた人たちではなくて、戦争を肯定してきた自分を戦後になって否定しつつ生きた人ではないかという気がするのだが、どうなんだろう。

そうだとすると、原発を進めてきた人の中にこそ、これからの日本を変えていく人がいるはずだ。

これまで原発を進めてきた人をただ非難してはいけない。特に私は以前から原発反対だったという人は、原発を進めてきた人を安易に批判してはいけないという気がする。

自分はというと、CO2より放射線の方が怖い、なんていって原発には否定的だったかもしれない。しかし、ただそれは温暖化と炭酸ガスの関係について否定的だった延長上の原発否定に過ぎない。

私は震災前から原発には反対だった、そんなことは決して言わないようにしたい。むしろ、原発に頼って、電気を使いたい放題使ってきた自分は、原発を容認してきた部類に入ると認識しなくてはいけない。まずはそこから、自分自身と原発の問題について考え始めたい。
 

2011年4月20日水曜日

地震、津波、原発事故と医療のアナロジー

 
地震は自然災害だ。コントロールするのはなかなか大変である。予知は今のところ難しい。ただ緊急地震情報のような形では情報が提供されている。さらに建物の耐震化という方向で備えることもできる。しかし、地震が起きてしまったら、あとはもうどうしようもないことが多い。

津波もそうだ。しかし地震に比べれば、津波が押し寄せるまでには時間があって、対処できることも多い。さらに防波堤などの対策もある。地震よりコントロールする手はいろいろある。しかし、今回のようなことも起こる。やはり避けられない。

それでは原発事故はどうか。これは地震や津波と違い、コントロールできるはずだった。人間自身が作ったものでもあるし、そもそも事故は起きないと言われてきた。起きたとしても対策は万全を期していたはずだった。だから、誰も地震や津波を非難しないが、東京電力には非難が集中する。

そう考えたときに、病気というのはどういうものなのか。地震なのか、津波なのか、原発事故なのか。

病気は地震や津波に近い、直感的にはそういう気がする。しかし、医学の発展が目覚ましい中、病気を少なくとも津波よりコントロールできるものとしてとらえるような方向性は確かだ。そういう意味で、一般的な認識の中では、病気は原発事故に近いというのが現実だろう。東京電力が非難を受けるように、医者や病院も非難を受ける世の中を考えれば、それもまた明らかなことだ。

それはとても不幸なことだ、と思う。
人間が作った原発であっても、人間がコントロールできるものではないことは明らかだ。ましてや病気は人間が作ったものではない。そんな自然災害とでもいうべき病気をコントロールできるというような幻想の中で生きていると、そんな幻想は必ず破られる。人間が作った原発でさえそれは幻想なのだ。

自然災害にしろ、人間が作ったものによる事故にしろ、いずれにせよ避けられるものではない。人間が作ったものだからコントロールできるというのも幻想である。
 
多くの不幸は、地震や津波や原発事故だけに起因するわけではない。それらをコントロールできるというような幻想こそが不幸の根源にあるのではないだろうか。
 

2011年4月18日月曜日

振り返りとは忘れることである

 
研修医に対して、振り返りが重要だなんて言ってるけれど、本当のことを言えば、振り返りは重要だけれど、振り返りが重要だというわけではない。
明日、初期研修医に、目標設定と振り返り、なんて話をするのだけれど、題は決まった。

「振り返りは重要だが、振り返りが重要なわけではない。思い出すことよりも忘れることが重要なのだ」
題が長すぎるが。

振り返るときに、行為をしながらの振り返りと、行為後の振り返りがあるのだが、この2つは対照的だと思う。
行為をしながら振り返りは、思い出すというより忘れる作業だ。それに対して、行為後の振り返りは思い出す作業。思い出しつつ忘れる。忘れつつ思い出す。この往復運動が、自分をどこかへ連れて行く。

で、忘れることと思いだすこととどちらか大事かと言うと、もちろんどちらも大事なのだけれど、忘れることが重要なのだ。たぶん。

どうして、そう思うかと言うと、行為をしているときには思い出してる暇などないし、思い出しているようではうまくできないからだ。

また、忘れることと思いだすこととどちらが簡単かと言うと、思い出す方が簡単だ。忘れることは実は案外難しい。
だから、振り返りと言うと、まずは行為後の振り返り、思い出すことから始める。そのために、振り返りというのは思い出すことだと思っている人がいるが、そうではない。それは振り返りの入り口に過ぎない。その後の忘れることこそ、振り返りの本質なのだ。

忘れることが振り返りだなんていっても、多くの人はわけがわからないだろう。しかし、ここが肝なのである。
行為後の振り返りも、思い出すと言いつつ、実際は何をやっているかと言うと、忘れたことを思い出しているのである。そう考えると思い出すことも案外難しい。覚えていることを振り返っていてもだめなのである。覚えていることを振り返っても、それはそこにとどまっているだけのことだ。忘れたこと、簡単には思い出せないようなことに重要なことが潜んでいる。それを思い出してこそ、違う世界が開けてくる。

そこで何が大切か。他者の存在である。忘れたことを思い出させてくれるのは、自分ではなく、他者なのだ。で、その他者というのはどういう人かと言うと、話が通じない人である。話しが通じる仲間で振り返っていてもだめなのだ。

振り返りの中で、話の通じない誰かと何か通じるような振り返りができれば、次に現場に立った時に、これまでとは違う自分が立ち上がり、これまでの何かを忘れる中で、新しい何かが立ち上がるだろう。

明日はそんな話をするのだが、私自身が、彼らにとっての話が通じないような通じるような、他者になれるかどうか。それが、これまでの自分とは話が通じない自分との間で行われた、私の今日の振り返り。
 

2011年4月17日日曜日

そうまでして生きなくてよい

 
「仁」を見ている。脚気の母に何とか治療のための玄米入りのお菓子、「道名津」を食わそうとする。そこで思い出したエピソードがある。宮沢賢治についてのエピソード。

もともと、宮沢賢治について知っているといることといえば、「雨ニモマケズ」と「眼にて云う」くらいだが、それにもう一つ知っていることがあった。それを思い出したのだ。

病床にある賢治に、両親が何とか薬を飲ませようといろいろ苦心するのだが、賢治はかたくなに薬を飲まない。細かいことは記憶にないが、薬を飲まない賢治に、両親が食事に混ぜて薬を飲ませたのが賢治にばれた時の話だ。

そのときに賢治が発した言葉は以下のようなものだったという。

「そうまでして生きなくてよい」

ドラマはまだ途中だが、母は「道名津」を食べるのだろうか。
ちょっと興味がある。
 

2011年4月11日月曜日

苦労は売ってでもするな

 
私の人生が、楽な方、楽な方を目指したものであると見破ったやつがいる。

苦労はできるだけしたくない。そう言えば別に普通のことなんだけど。

しかし、なかなかそう簡単に苦労から逃れられるわけじゃない。否応なく押し寄せる苦労を、できるだけ遠ざけて楽に暮らそうと、そう思うのは普通のことだ。

一所懸命勉強したのも、苦労したくないから。
受験勉強などという、、正直なことを言えば苦労とも呼べないようなことをして、医師になり、それによって金を得て、生きてきた。

いんちきな苦労をして、本当の苦労を買うどころか、その苦労を誰かに押し付けて生きてきた、そういう人生だったような気がする。
いんちきな苦労を買うことでカムフラージュして、真に背負うべき苦労を売り飛ばして生きてきた、といってもいい。

でも、そうやってでも生きたかったのだ。それを私は肯定したい。

苦労は買わなくても押し寄せてくる。だから心がけることは、苦労は売ってでもするな。

これでいいのだ。
 

2011年4月10日日曜日

挽歌としての医療

 
また当たり前のことに過ぎないのだけど。

道半ばにして、去らなければいけないのは、誰しも同じだ。
残されたものとして生きる、というのも誰しも同じだ。

去った人は何を思うのか、生きていたとしたら。
去った人のことを思い、残されたものは生き続ける。
しかし、生き残った者もいずれ去るのだ。
そして、別のものがまた生き残った者として生きる。

生き残った者が歌う挽歌。

挽歌を歌うのは、生き残ったものだ。そして、挽歌を聴くのは誰か。挽歌というものは、死者に向かって歌うものだ、そういうかもしれない。しかし、当たり前のことだけど、死者は挽歌を聴くことはできない。挽歌を歌うのも、聴くのも、生き残ったものだ。

医療は死を語るときに、去るものばかりに向き合ってきて、残されたものに対する関心がいまだ怪しいのではないか。こういう非常事態になって、残されたものに向き合う必要性に改めて気づく。そんな体たらく。

挽歌を歌うのも聴くのも残されたものである。医療の役割として、それはとても大きなことではないか。地震を境に改めて明らかになったことの一つだ。
 

2011年4月8日金曜日

寝たきりや孤独死の何が問題か

 
医療連携のためのグループディスカッションの分析で明らかになったこと。

病気にならないようにとか、病気を治したりとか、そういう方向で医学は頑張ってきた。そして、大きな成果を上げたと思う。

しかし、それはどうもには限界がある。

そういう中で、「キュアからケアへ」というようなことがいわれれる。

そういう中で寝たきり老人、孤独死というようなものがどのようにとらえられるか。

明確になったことは、ケアとは、寝たきりを防ぐことよりも、寝たきりに寛容であることだし、孤独死を防ぐことよりも、孤独死が受け入れられる基盤を作っていくことではないか、ということだった。

ケアとは、ボケを予防したり、進行を抑えたりとすることではなく、ボケを受け入れることだ。

こう書くとあまりに当たり前のことが明らかになったにすぎないけど、そんな当たり前のことが見失われている。だからもう一度はっきりと書いておこう。
 
寝たきりが問題ではない。ボケが問題なのではない。孤独死が問題なのではない。
それを受け入れられない世の中こそが問題なのだ。
 

2011年4月7日木曜日

新しい研修医に話す

 
卒業したての研修医たちに、「地域医療の現場で学んだこと」と題して3時間ほど話した。

死なないように医者がいるのか、死ぬから医者がいるのか。

診断することや、治療することや、予防することや、健康増進することが医療の目的だ。
しかし、診断しないため、治療しないため、予防しないためにも医療あるのではないか。

思い出す患者さんたちについて。
自分の役割が小さかった患者ばかりが印象に残っている。

医療は一部に過ぎない。
個別の医師の役割もさらにその一部に過ぎない。

全体の中での役割を踏まえつつ、提供される医療、提供されない医療、その両方が地域医療。

毎年だいたい同じことを話しているが、今年はちょっと違うことが話せたような気がする。
それは、聞き手に対し、これまでよりさらに、迷い、悩み、考えるということを強いるような結果になったかもしれない。すでに免許をもった医者としては、心もとないような状況をあらわにする。研修が始まる前の技術がないことを別にしても。

それを見方によってはお互いナイーブなだけ、大人じゃない、ととらえる人がいるかもしれない。
モラトリアムとか、子供だとか、青臭いとか、そういうことかもしれない。

確かにそういう面がある。しかし、そのナイーブさ、青臭さから始めるしか、方法はない。そういう気がする。根拠はないが。
  

2011年4月6日水曜日

いい子、悪い子そのままに

 
私には3人の子供がいるのだけれど、みんないい子だ。と書いて、そんなわけないなと突っ込みを入れる。ただ、どの子がいい子で、どの子が悪い子だなんてことは決してない。子ども一人ひとりの中にいいも悪いもすべてがある。

いい子とか、悪い子というのだけど、本当は子供がいるだけ。いいこと悪い子の区別は、子供の側にあるのではなくて、それをみている大人の側にある。別の言い方をすれば、本当はただの子供がいるだけで、いい大人、悪い大人がいるだけかもしれない。

必要悪という言葉があるけれど、本当のところどういう意味なのか。

悪が必要だから存在するというのはどうも腑に落ちない。むしろ悪がなければ善もないということではないか。善だけの世の中ができたと思った瞬間、悪が現れる、世の中とはそういうものではないか。

何か悪いものを見つけた時に、こんなものなければいい、と考えるのが普通だろうが、それをなくしたところで、本当にうまくいくのだろうか。

自分自身がすべて善でできているなんてのを想像すると、何か恐ろしい気がする。
そういう状況で学ぶというのはいったいどういうことか、考えるというのはどういうことか。
そこには、学ぶも考えるもない。

善から、悪から、何から何までこの世の中にはそろっている。世の中だけではなく、自分の子供にも、もちろん自分自身にも、すべてのものがそろっている。だからこそ、考えることができるし、学ぶことができる。

善は、悪に対して善であるが、善に対しては悪である。悪は、善に対して悪であるが、悪に対して善である。

原理主義がだめなのは、子供を見れば一目瞭然であった。
 

2011年4月5日火曜日

タバコの害について語る人たちの語り方について:他山の石として

 
多少ほとぼりも冷めたので、少し書いてみようと思う。

私が指摘したのは、喫煙者のニコチンが切れた時の問題点についてだが、指摘されるのはそこではなくて、私でない誰かが、被災者にタバコを送ったことについての部分だ。それも、私はタバコを被災地に届けることについて「否定的な意見があるが」と述べただけで、自分の意見は何一つ表明していない。

にもかかわらず、間違っているとか、自己批判せよとか、今までどういう研修医教育をしてきたのか、医者の発言とは思えないとか、ほとんど発言とは何の関係もないことばかり。

これがまず彼らの語り方である。

さらにこうした発言に対して、身内からあまり批判の声が上がらない。タバコの害を指摘するのなら、こうした一方的で礼儀を知らない発言の害についても指摘するべきではないか。
「そういう言い方はタバコと同じくらい危険だよ」とか何とか誰か言えないのだろうか。これでは議論も何もできない。

それともう一つ、専門家としての語り方。
優れた専門家ほど、非専門家に対してやさしい。それは経験的に実感している。専門を極めることの困難さについてよくわかっているからだ。
ところが禁煙の専門家を自称する人たちの一部は、専門家のはずなのに、非専門家に対して、これも知らないのか、あれも知らないのか、挙句の果てには認識不足と非難したりする。これは専門家の立場ではない。誰でもできるような容易なお勉強で身につけた知識しかないから、非専門家に対して、なんでこんな簡単に勉強できることを知らないのだという態度になる。2年目の研修医が1年目に威張るようなものである。
私はこのような専門家に決してコンサルトしたくない。

さらにもう一つ、専門家は専門以外のことについてはあまり知らないということをよくよくかみしめるべきだ。タバコ以外にどれくらい知っているのか。医学以外についてどれくらい知っているのか。ツイッターで標的にしている人についてどれくらい知っているのか。たぶん私についてはほとんど何も知らないでしょう。たとえば、私にとっての神の一人が深沢七郎であることなど、知りようがない。

ここから得られる教訓は以下のようなものだ。

・人の話をよく聞くこと、書いたものをよく読むことが重要
・敵に対して厳しいのもいいが、味方や自分に対して厳しくすることこそ重要で困難なことだ(自己批判とはそういうことでしょう)
・専門家は非専門家に対して寛容である。寛容でないとしたらそれは専門家ではない
・専門以外は知らないということを肝に銘じる

こういうことを箇条書きでまとめるのはどうか、ということはあるが、こういうふうに書かないとわかりにくいかもしれないという親ごころである。もちろんそれはこれを読まない人たちに向けた親ごころではあるが。
 
 

2011年4月3日日曜日

3.11以降

 
何かが変わったかと言われれば、確かに変わった。しかし、本当にそうだろうか。

想定外のことは起きる。
地震は起きる。
津波は起きる。
放射能は漏れる。
人は死ぬ。

自分自身かつてこんなことを書いていたりする。

病気を何とかコントロールしようと医学は大きな進歩をしてきたけれど、まだまだなかなかそれも困難だ。
そして、そんなことはすでに日々実感していたことだ。
地震のコントロールも、津波のコントロールも、原発のコントロールも同様ではないか。
それがコントロール不能であることは前からわかっていたことだ。

コントロール不能な中で、どうするか、今も昔も、やっているのはそういうことだ。
特別な問題に向き合っているわけではない。

どうすればいいのかわからない。わからない中でやるしかない。
こうすればいいのだ、そういうのは、すべて甘い言葉だと疑おう。
眠られるゆりかごは売ってないのだ
 
 

恥ずかしい

 
タバコに関するTwitterでのやり取りで、こちらの書いたことなど全然読まれず、勝手なことばかり言われ、ひたすら非難される。それに対して、めんどくさいのでやり取りを打ち切って、あまり建設的でないことをブログに書いて、その後どうなるんのかと思っていたら、意外な展開だった。

意外な展開の中で、私の気分はどうかと言うと、ただ、恥ずかしい。

岩田先生は、私の「ためらう」のパクリだというがとんでもない。
今度は私がこの「語り口」をぱくって、もう少しうまくやりたいものだ。
 

2011年4月1日金曜日

とかくこの世は発言しにくい

 
被災地へのたばこの差し入れの話を枕に、被災地の喫煙者がタバコが無くなり、ニコチンが切れて大変だろう、対処が必要だとTwiiterで発言したら、えらいことになった。

間違ってる、自己批判しろ。激怒という感じ。
禁煙指導のなかであなただって、ニコチン中毒に対処してるだろうに。勘違いも甚だしい。

それと、自己批判しろと言われても、他人から言われては自己批判のしようもないんだけど。大体私は全共闘世代じゃなく、新人類世代とそのはざまの世代だ。

なかにはちゃんと読んで、ニコチンパッチとかガムとかが必要かもなんて反応もあったのだが、大部分は非難の嵐。

感情的な反応は、ある意味、感情的になっているんだなとわかりやすく、反応しやすい。実際こういう人は案外いい人だったりする。少なくとも臨床家として、ガンガン働くタイプだと思う。まあそれはもちろん一般論だけど。

一番相手をしたくないのは、冷静にねちねち来る人。言葉の定義がどうとか、学術用語として使い方が間違っているとか、いろいろ教えてくれる。挙句の果てには、この本を読んでさえくれたらとか(まあその本は磯村毅先生の本で実際は読んでみてもいいんだけど)。いつまでたっても受験勉強から抜け出せないタイプ。もちろんこれも一般論だ。本人がどうかは知らない。いい参考書があるからこれで勉強してみたら? 大きなお世話だ。こっちは受験勉強は嫌いなんだ。

自分は正しく、相手が間違っている、こういう構えの人とは話したくない。
こういう場合には、構造構成主義を基盤に、関心相関的に、こっちの判断を停止して、この人のコトバ、現象、実体とたどってみればいいのか。いまいち使えていないな。

とかくこの世は発言しにくい。

発言しにくい世の中は最も恐ろしい世の中の一つだ。
 

2011年3月25日金曜日

キュレーションとアウトサイダーメディスン

 
【キュレーション:無数の情報の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たに意味を与え、そして多くの人と共有すること】

EBMにかかわる仕事はそんな仕事だったと思う。

佐々木俊尚の「キュレーションの時代」を読んだ。説得力ある。
医療もまた例外ではない。

広大なエコシステムの中のキュレーターとしての医師。
たとえば、高血圧の治療について。

「脳卒中を予防するって言うんだけど、5年間で10%の脳卒中の危険を6%に減らすくらいの効果なんだけど」、そんな視座の提供。

あとアウトサイダーアートについて書かれた部分。

まともな研修を受けずに、へき地医療、医学教育専任なんていう特殊な立場で働いてきて、私自身アウトサイダーの1人だろう。しかし、そのおかげで、「生の芸術」というように、「生の医療」なんてとてもいえないけど、まあそういう方向で仕事をしてきたような気がする。

これまでやってきたのはアウトサイーダーメディスンだった。
アウトサイダーには優れたキュレーターが必要だ。アウトサイダーでありながら、キュレーターであるというようなことが可能かどうか。

医者として、キュレーターでありながら、アウトサイダー、そんな無謀な試みにかけてみたい。
 

2011年3月24日木曜日

できることをする

 
できることをするしかない。
そう自分に言い聞かせてみて、何ができるのかわからない。

できること、朝起きて、出勤して、働いて、帰宅して、寝るということか。
それで「できることをする」というのは、単に自分自身が後ろめたさに押しつぶされないように、ということに過ぎないのではないか。

そういう毎日の中、尾崎豊のドラマをやっていたが、どうもしっくりこない。
しっくりこないというのはまあまあ良くできたということか。

母から始まって、母に終わる。
尾崎豊と母の関係というのは全然知らなかった。
母を歌った歌があったのかどうか、思い当たる歌は知らない。
「シェリー」が実は母だったりして。そんなわけないか。

一番好きな歌は「十七歳の地図」。
最も印象に残っているのは「卒業」のプロモーションビデオ、たぶん。水の中でひたすらもがき続ける、そんなビデオ。歌自体は好きじゃないけど、この映像だけは鮮明だ。

できることをすると言った時、「卒業」のこのプロモーションビデオが浮かぶ。
 

2011年3月21日月曜日

親愛なるものへ

 
研修医が送別会をやってくれた。
ありがとう。
感謝します。
どう言っていいのかよくわからない。
これもまた言いようのないことだ。

うれしかった。
いろいろたくさんの言葉をいただいた。

新しい何かへ向けて、一歩を踏み出す、力をいただいた。

一人ひとりの研修医が語る私自身のこと、そのすべてを受け入れて、すべてが自分だと、そう思えた。
自分が考える自分は自分ではない。自分が考える自分、そんなものにこだわる限り、自分は委縮し続けるだろう。

よいことも悪いこともすべてひっくるめて、他者から見た私自身こそ私だということができれば、多くの困難が乗り越えられるだろう。今となってそれが明確になる。

最後のあいさつで、25年ぶりくらいに学生時代、国鉄職員の友人と作った歌を歌った。
1番以降の歌詞が思い出せなかったけれど、たぶんこんな歌詞だった。

ほとんどの歌詞は寺山修司のパクリだ。

------------

花にも嵐

軒に干されたランニングシャツ
どこまで転がる麦わら帽子
花にも嵐、花にも嵐
さよならだけが人生だ

角のひなびた貸本屋
今はもうない
月刊ぼくらに少年画報
花にも嵐、花にも嵐
さよならだけが人生だ

七夕祭りの人ごみに
もまれ、もまれて
父母忘れる泣き虫迷子
花にも嵐、花にも嵐

さよならだけが人生だ

消印付きの古切手
切手ばかりが残されて
手紙の中味は煙と消える
花にも嵐、花にも嵐

さよならだけが人生だ

消されたものだけがここにある
消しゴム集めて
何を消そうか思案顔
花にも嵐、花にも嵐

さよならだけが人生だ

なまりなくした友といて
モカコーヒーはあまりに苦い
故郷忘れる、忘らりょか
花にも嵐、花にも嵐

さよならだけが人生だ

さよならだけが人生ならば
野に咲く花は何だろう
花にも嵐、花にも嵐

さよならだけが人生だ
 

2011年3月17日木曜日

ただちに影響のあるものではない

 
原発についての記者会見。たびたび出てくるフレーズだ。

「ただちに影響のあるものではない」と聞いて琴線に触れるものがある。
多くの人は、「今後影響が出てくることを隠ぺいしている」という点で気になるのではないかと思う。

もちろんそこも重要な点ではある。しかし、また別のところが、何かこれまでの仕事と重なって、自分自身のここあそこに触れるのだ。

タバコだって、酒だって、同じだ。
高血圧だって、高コレステロールだって、糖尿病だって、すべて同じ。

実際自分自身、昨日も患者にこういったばかりだ。

「今血圧が180だからといって、すぐにどうこうというわけではありませんから」
「今の調子はどうですか。案外調子がいいのではないですか」

将来も生き続ける、ということ。
今、生きている、ということ。

死をなるべく先送りして長生きしようと生きること。
いつでも死ぬ準備をして生きること。

どちらも尊いけれど、現代は、少し「生き続けること」、「長生きすること」に振れ過ぎている、と思う。

そういう今、「ただちに影響のあるものではない」というのは、「今を生きる」というようなあり方を示しているようにも思える。

今を生きているのは被災者で、明日のことばかり心配しているのは、実は自分の方ではないだろうか。
 
 

2011年3月14日月曜日

想定内

 
世の中を人間のコントロール下に置くことはできない。
常に人間の方が支配される側である。

そういう当たり前のことを目の当たりにする。
ビルの5階で、これから講演というところで突然の揺れ。
どうすることもできない。ただ壁に張り付いて、揺れがやむのを待つしかない。
津波に飲み込まれず、こうして生きているのは、単に運が良かっただけのことだ。

「想定外」という言葉の裏には、こちらがコントロールできる範囲が想定されている。範囲を設定している以上、コントロール不可能な部分があることを本当は想定している。

いまだかつてない大地震は起こる可能性があるし、いまだかつてない津波も起こる可能性がある。想定外と言いつつ、想定内の範囲が設定されたときに、想定外も少ない可能性の中で設定されている。その境界は決して科学的なものではない。可能性と言うだけでなく、実際にもマグニチュード9以上というような大地震が過去に起きている。
想定内というときの境界の設定は、お願いだからこの範囲に収まってくれというような祈りであって、決して科学的なものではない。

科学は、科学によってすべてがコントロールできるということではなく、すべてをコントロールすることなどできないことを明らかにした。
実際そういうことを、医師としてこれまでさんざん経験してきた。
人は死ぬのである。それをコントロールすることはできない。少なくとも今の時点では。

人が死ぬのと同じように、想定外の地震は起こるし、津波は起こる。
それは想定内のことだ。

われわれはそういう世の中に生きている。
 

2011年3月10日木曜日

言いようがないこと

 
言いようのないことがある。
へき地診療所を出て8年。
最初の4年はがむしゃらにやった。よい仕事ができたと思う。もちろん自己評価でということだが。
この4年間は、新しいことは何もしなかった。現状を維持することで日々が無事に過ぎた。
それでもそれなりの4年間だったと思う。これも自己評価だ。
あと2カ月半、無事に勤めることができれば、もうそれで十分だ。

今日、本部より、今月をもって地域医療研修センター長の任を解く、と連絡あり。

悔しい、とだけ言っておく。

2011年3月8日火曜日

再びワクチンのこと、あいまいな中での決断

 
ワクチンの同時接種後に死亡例が出たとの報道後、接種の中断という状況となり、いろいろな議論が飛び交っている。

抗インフルエンザ薬のタミフルによる精神症状を疑う転落事故の報道の後、因果関係は不明だから、投与中止にするようなことじゃないという結末。

それに対して今回のワクチンの場合。ワクチン接種と死亡の関係は不明だが、接種中断、再開の見通し不明という結末。

まあポリティカルな判断というのは、こういうものだと言えばこういうものだ。

まれな副作用について明確な判断をすることはほとんど困難だ。そうである以上、科学的な要素以外で決定するより仕方がない。上記のような矛盾した判断は、様々な状況を考慮した現実的な判断をしたということでもある。

と書きながら、ポリティカルでなくても決断というのはこういうもんだということに気づく。
さらに明確なエビデンスがあるとしても、明確な決断ができるわけではないということにも。
個別の患者に向き合っても、そういうあいまいな中で決断している。

本当はどんなことだって、どっちがいいのかよくわからない中で決めるしかない。

ここでのもっとも重要な問題は、ワクチンをどうするとかいう個別の問題だけではないような気がする。その背後に隠れた、多くの医者が「あいまいな中での決断に慣れていない」という別の問題こそ、ここでの最大の問題ではないだろうか。
 

2011年3月7日月曜日

自立した患者

 
何も情報を持たないものこそ、もっとも自立した患者ではないか。

正しい情報というものはありえない。
正しい使い方というのもありえない。
正しい医者というのもありえない。

それはあまりに極端な考え方かもしれないが、そう考えてみるとどういうことになるのか。

プロフェッショナルとは、正しい医療を、正しい方法で、正しい医師が提供するというふうにも言える。そうした医療を提供するプロの医師は、患者を素人にしてしまうかもしれない。

よく情報収集をした患者は、結局医療者側に飼い慣らされてしまうのではないか?
そういう危険こそ、患者に伝えなくてはいけないのではないか。

逆に、正しい医療も、正しい方法も、正しい医師もないとしたら、そこにあるのはただのカオスかもしれない。しかし本当はこの世はカオスではないのか。カオスの中で生きている、そうしっかりと自覚したほうが、自立した患者を育てるかもしれない。
 

 

寛容と可能性に賭ける

 
高橋源一郎のツイッター@takagengenは寝不足になって困る。
ねたは京大入試の事件だが、論じられていることは、はるかに広いテーマだ。

寛容と可能性に賭ける。
医者も患者も同じだと思う。

ただ、可能性というときに、あらゆる可能性を考えるのが重要。
よくなる可能性だけを考えてはいけない。
あるいは、「よい結果でなくてもよい、受け入れることが出来る」という可能性まで含めるといったほうがいいだろうか。

以前のtwitterでの「子どもに脳炎の後遺症が残るかもしれないということを受け入れることが出来たときに幸福感を感じた」というようなつぶやきを思い出す。その話とつながっている。

あらゆる可能性の考慮を可能にするための寛容性。
よくならない可能性、よくなる可能性、どちらも受け入れられる寛容性。
よくならなくてもよいといえる寛容性。

禁煙に失敗し続ける患者。
甘いものがやめられない糖尿病患者。
認知症が徐々に進行する患者
進行ガンの患者。

カンニングした予備校生に対して、法律にそむいたのだから逮捕されて当然で、また逮捕が法律に照らして正当だとしても、それでも予備校生の可能性に賭けるという人がいてもいいだろう。そういう考えを医学に重ね合わせたときに、どう考えることが出来るか。

医学的に不合理な行動をとるとしても、医者は法律家ではないのだから、寛容さを持ちやすい。
しかし、医学を法律のように運用する危険は高い。そこに注意を払いながら、患者が科学的理論、事実にそむいているのだからよくならなくて当然なのだ、とは決して言わない。

寛容と可能性に賭ける、常に心に留めておきたい。
 

2011年3月4日金曜日

某学会でのこと

 
ある学会で基調講演を頼まれた。
題して「公衆衛生とマーケティング」

全体としては、「健康第一をやめよう」、そういう話。お金かけて検診受けるのもいいけど、そのお金で温泉にでも行ってみたらどうか(http://sarabahakobune.blogspot.com/2011/02/blog-post_25.html)。

一部には、「乳がん検診は、乳がん死亡を20%減らすが、乳がんと診断された人の乳がん以外の死亡を2.5倍に増やすかもしれない」、というような検診に否定的な内容が含まれているのは確かだが、話し終わった後に信じがたい座長からの一言。

「そんなことはすでにみんな考えてやっていることだ」

極めつけは、「この件に対して、○○先生もいいたいことが山ほどあるでしょうから、15分間時間を使っていただいて、是非意見をおねがいします」だって。

そうれを受けて学会の重鎮の元大学教授がパネルディスカッションの時間を無視して発言。
15分くらい、いろいろ話されたが、ほとんどわけがわからない。わかったのは以下の言葉のみ。

検診推進を邪魔する者は、「許せない」

もちろんこちらに再度意見をいわせてくれるわけじゃない。そこで終わり。

こういう人たちが世の中を動かしているとすれば、最近の世の中の動きもわからないではない。
しかし、自分は正しく、相手は間違っている、どうしてそんなふうに思えるのだろう。

ぞっとする事件が続く。
怒るのはつまらんと思っていたが、怒らないといけないのかも知れない。
 

2011年3月3日木曜日

恐ろしい世の中ー京大入試投稿事件だけじゃない

 
受験生もカンニングで逮捕され、
医者も手術で逮捕され、
君が代を替え唄にして逮捕され、
国旗を燃やして逮捕され、

いったいどうなっていくのだ。
こんなことで逮捕状をとるやつこそ、それを認めるやつこそ、逮捕されるべきではないか。

マスコミは、こんなことで逮捕状を申請したやつこそ、認めたやつこそ、実名で報道すべきではないか。

こんなことを言っていると、そのうち私も逮捕されるのだろうか。

これは、本当に大変なことなのではないか。
黙っている場合じゃないだろう。
どうすればいいのだ?

とりあえず書いたが、書いてどうなるのだ?
 

2011年3月1日火曜日

どこまで負けられるか

 
ちょうど野茂英雄についての新書を読んだ。
プロ野球を引退したものたちを集めた文庫を読んだ。そこでもやはり一番は野茂の話だった。

「勝つことが重要なんじゃない。逃げずに勝負することが重要なんだ」

そうだ、そのとおりだ。どこまで負けられるか挑戦してみたい。
Win-Winの関係というのは、勝ったほうが、打ち負かした相手に、おまえも勝っている、いいバッティングしたじゃないかと、WInを強要するようなものではないか。重要なのは勝ち負けじゃないんだ、そんな慰めは、むしろ不要なのだ。
そんな慰めよりは、Lose‐Winで結構だ。

野茂英雄についての新書を読むとともに、深沢七郎をたまたま平行して読んでいたのだけど、それが野茂英雄につながった。

「負ければ、ざまあみろだ」、と深沢七郎が言った。そうだ、その通りだ。

深沢七郎ならこういうのだろうか。
「引退なら、ざまあみろだ」
野茂どう答えるのだろうか
「よくこの負け続けるさまを見て欲しい」、野茂はそういいながら投げ続けることを選んだのではないか。
野茂の挑戦はどこまで負けられるか、そういう挑戦だったように思う。
引退の二文字がちらついてもなお、どこまで負けられるか。

野球選手は負け続けたときに引退しなくてはならないが、医者は負け続けるなかでこそ、仕事がある。

人は全員死ぬ、そういう意味で医者は常に負け戦だ。
負け戦の中で、負け続ける中で、何かをなす、そういう仕事が自分に出来るだろうか。
 
どこまで負け続けられるか、挑戦することにする。
 

 

京大入試問題投稿事件から考えたこと

 
ここにはなかなか興味深い問題がある。
不正という部分についてはその通りだし、よくやったというつもりはまったくないが、不正という部分をあえて無視して考えると、いろいろ見えてくるものがある。

むしろ、不正という部分で思考停止になってはいけない。不正だからこれ以上考えることはないというような判断を停止して、ちょっと考えてみる。思考停止ではなく、判断停止して思考開始。

EBMなんてのは、誰かの回答を参照しながら、問題解決に当たる方法で、今回のやり口はEBMの実践につながる部分がある。情報収集という点で、自力で解決を見出すだけでなく、他に知っている人の情報を集めるというのはEBMの手法と重なる。さらに、集められた情報が信ずるに足る情報かどうか吟味できる能力があれば、批判的吟味のステップもクリアできているという面がある。寄せられた回答が正解かどうかチェックするレベルの能力があれば、それはそれでそれなりの能力だ。さらに、その正しい解答を世の中へ向けて正しく利用できれば、患者への適用という部分につながる。ただ今回のことで言えば、入試における不正という適用で、まあ許されることではないわけであるが。

自分自身が日々行っていることは、診察室にパソコンを持ち込んで、似たような患者の問題について、何か使えそうな情報がないかどうか検索し、その情報を吟味し、個別の患者に生かせないかどうか検討してみる、なんてことである。こういう能力は、時間内に自力で入試問題は解くというのとは別次元の能力で、今の入試制度ではあまり考慮されていない。しかし、実社会においては、自力で入試問題を解く能力より、案外使える能力だったりする。

受験勉強を得意とする人たちが多い医者の世界において、これまでの勉強したことだけを何とか使って問題解決するということに長けている分、あたらしく勉強を追加して解決するというのは苦手な面があるのかもしれない。EBMが普及しないのには、こういう背景があるのかもしれない。

これまでに身に付けたことの範囲で自力で問題を解決するトレーニングをしつつ、その場で新たに情報収集しつつ、あらゆる手段を用いて解決する方法にも習熟する。それはよい医師を育てるために重要な2つの部分だと思う。

2011年2月27日日曜日

医師は不足しているか3

 
不足しているとはどういうことか。実はそれがよく分からない。

なんとなく不足しているからと言って医師定員を増やしてしまったが、私も増やす側に加担した一人だ。しかし、それ以後ももっと増やせというような動きが続いて、ちょっとヤバいと思う。

民主党のマニフェストによると医師数を1.5倍にするという。知らなかった。その根拠はどこにあるのだろう。なんとなく1.5倍というようなことだとすると、それまた大変な話だ。何の根拠もなく1.5倍と言っているとしたら、そういう人たちに任せておくと大変なことになるだろう。不足しているのは医師ではない。政治家の方ではないか。ただそれは定員での話ではない。任せることのできる政治家が不足していて、そうでない政治家は余っている。実際、国会議員の定員削減という方向は変わっていない。医師も本当は削減すべき部分もあり、増やす部分もありという問題ではないのか。政治家の不足という視点で見ると医師不足も実は似た面がある。

足るを知る、という言葉があるけれども、多くを望まないというようなニュアンスがある。しかし、医師不足という背景には、むしろ限りない欲望みたいなものを感じる。満足のレベルが、無理な方向へ振れすぎている。足るを知るということを考えながら、何が足りないかを考えるというような、そういう考え方をしない限り、医師をいくら増やしても問題は解決しない。足りないばかりを考えて医師を増やしていくと、いずれ国会議員の定数削減と同じように、医師定数削減ということにもなりかねない。必要なのは単なる医師免許を持った人というのではなく、足りないというだけでなく、足るを知るというような適切な医療を提供出来る人だと思う。

医師不足は医療の問題の部分にすぎない。
 
 

2011年2月26日土曜日

プレゼンテーションのときに大事にしていること

 
何かと頼まれて講演やワークショップでプレゼンテーションすることが多いのだけど、大事にしていることはたった一つだ。

「この時間で何を伝えたいか」、それだけ。
そして、そのときに伝えたい人とは、伝えたいことについて興味があまりない人だということ。

そのために何が必要かというと、伝え方とか、技術的な問題もあるのだが、最も重要なことは、その伝えたいことに対しての自分の思い入れと、聞き手の思い入れのギャップをよくモニタリングしながらやることだと思う。少なくともそこにギャップがあることを理解しながらやっているというそぶりを聴衆に見せること。そういうとこれも技術的な問題かもしれないが。

こちらの思い入れが、ギャップを埋める方向に作用し、余計なお世話でなく、なんとなく伝わったときに、プレゼンテーションはうまく行く。

こちらが伝えたいことに対しギャップなくすでに興味をもってくれる人は、どんな話し方をしても案外付いて来てくれる。というよりはすでにこちらのいいたいことは伝わっており、新たに何か話す必要がないかもしれない。だから、どんなときでも、何かを話すときには、自分のいいたいことに対しギャップを感じている人に伝えるためにこそ、話しているのである。

ギャップの大きさ、誤解の幅こそがコミュニケーションの源泉である、それはプレゼンのときにも当てはまる。
 

2011年2月25日金曜日

国立大学の入試の日に

 
今日は国立大学の試験らしい。理系学部の競争率が上がったと新幹線の中の文字ニュースが流れている。それでちょっと書きたくなったこと。

自分自身にとっても、ついこの前のことのようにも思える。受験以後あまり経験しないような気分だから、いくら日がたっても遠くなった気がしないのか。よくわからんが、30年以上前という、そんな遠い日ではないような気がする。

振り返ってみるに、そのときに考えていたことは、「いい大学に合格したい」ということであって、「医者になりたい」ということではなかった。別にそれはそれで今となってはまったく問題ない、といえるのだけれど、まあなんだかトンチンカンなことをしていたことは確かだ。それでも25年もやっていると、それなりにいろいろわかってきたこともある。たかだか18歳で医者になりたいと思うのは、ある意味とっぴな考えだけど、とっぴな考えでなく医者になろうと考えるのはほとんど不可能だ。

で、実際に医者をやってみると、いろいろやり始める前には予想もしないようなやりがいがあり、当初の選択ミスも帳消しにはされたのだが、それがわかるには相当な時間を要した。

医者になってみてよかったことはいろいろあるが、一番よかったのは、いくらでも仕事があるということだと思う。いくらでも仕事があると思うから医者になります、そんな理由を聞くと、そっちのほうがとっぴな考えに思うかもしれないけど、病気の人を救いたいんです、なんてのは結構とっぴなことだ、と自分の中では明確になっている。それでもそういう病気の人を救いたいというようなとっぴな意見を持つ人が医療を支えているのも事実で、現実はそういう道が王道であるのもまた確かなことだ。

でも、人が救えるから医者になってよかったというふうに思える人は案外少ないのではないかと思う。

というわけで(どういうわけだかわからんからこう書くのだが)、これから働こうという人たちに、いくらでも仕事がある領域を選びなさい、というのはまあまあ的を得たアドバイスではないだろうか。
 

病院か、温泉か

 
みんな医療機関の使い方を間違えている。

人生が賭けであるように医療は賭けである。必ずいい結果が得られるような場所ではない。
そんなの医者のいいわけだ、という声があるが、まあそうかもしれませんが、とだけ答えておくことにする。

医療機関にかかるかかからないか迷うとき、以下の4つの場合を考えてみる。

1.医療機関にかかって幸せな人生を送る
2.医療機関にかからず不幸せな人生を送る
3.医療機関にかかって不幸せな人生を送る
4.医療機関にかからず幸せな人生を送る

賭けとして考えた場合、3が最悪である。一番は4だろう。最悪を避けるためには医療機関にかからないのがいい。最善を目指すには医療機関にかからないのがいい。どちらにしても、賭けるなら医療機関にかからないほうだ。そういう考えも出来る。

唐突だが温泉へ行くということについて同様に考えてみる。

1.温泉に行って幸せな時間をすごす
2.温泉に行かず不幸な時間をすごす
3.温泉に行って不幸せな時間をすごす
4.温泉に行かず幸せな時間をすごす

最善は1か。そこが少し違うような気がする。温泉は行くこと自体が幸せだが、医療機関へ行くのは行くこと自体が不幸である。そこに医療に賭ける問題点がある。

だから、私の場合、温泉か、病院かで迷ったら(そんなふうに迷わないと思うけど)、答えは明らかで、温泉に行くのである。
 

2011年2月23日水曜日

何度も使える言葉は結局一度も使えない

 
インフルエンザの説明はこうやっておけばいいんだ、となったところが誤解の始まり。
何度も使える説明を編み出したところが落とし穴。

「検査が陽性ですからインフルエンザです」
「検査が陰性ですからインフルエンザではありません」

実際はそんなことではないんだけど、検査が普及するというのはこういうことだ。

説明に正解はない。
ないから、検査するかどうかは自分で考えて、というのなら医者はいらない。
正解がない中で、そこでのみ通用する1つの回答を生み出すこと。

「一回きりの使用にたえうる言葉」
高橋源一郎のつぶやきがいまだに頭でこだまする。

妻を失い、事故で自立した生活が出来なくなった息子を介護し、嫁と孫は再婚し出て行き、ついには息子を看取り、一人ぼっちになった老人がいう。

「よかった」と。

インフルエンザの患者に、検査もせず、処方もせず、「よかった」といってもらえるかどうか、それが宿題。
 

2011年2月20日日曜日

共通体験を欠く病気の定義の恐ろしさ

 
100人糖尿病の人がいれば、100通りの糖尿病がある。病気を診ずに人を診なさい、というのも同じようなことだろうか。

しかし、現代の病気の落とし穴は、こういうところにこそあるのではないか。

個別性を重視するあまり、ひとつの病気もばらばらになり、ひとつにまとめる動きが必要。無理に一つにまとめるから恣意的になる。一般的に記述が、共通体験が薄いためどうしても偏ったものになる。

たとえば、戦争体験、というのは、ある世代のある人たちにとって、個別に考えることが不可能なくらい、共通する体験だ。
かつての、感染症も戦争体験に近い。死に至るような感染症の蔓延を多くの人が同時に体験する。

しかし、今の病気の体験というのは、あまりに個別化して、お互いの話がなかなか通じない。共通体験が病気として定義されているのではなくて、共通体験を欠くがゆえに、病気の一般的な定義を必要としている。

その結果、生み出された病気の定義が、いったいどのようなものになるか。
どんどん厳しくなる高血圧の基準や糖尿病の基準も、そう考えるとずいぶん腑に落ちる。
 

2011年2月18日金曜日

ワクチンについて少し考えてみた

 
「そのまま」という高橋源一郎の http://twitter.com/#!/takagengen つぶやきを読んでワクチンについて少し考えてみた。

私の周辺はワクチンを推奨する人たちが多いし、ワクチンをうたない人が批判されがちな環境にいる。私もどちらかといえばそういう意見だ。それに対して、「そのまま」という話。

ワクチンをうたず、病気になっても、後遺症が残っても、死にそうになっても、死んでしまっても、それでいいじゃないか、そういう方向の話か。

つぶやきのまくらに、高橋源一郎自身が、自身の子どもの脳炎になった時に、子どもがどういう状態になったとしても、受け入れる決意をした、と書かれている。そして、そう受け入れたときの自分自身は不思議な幸福感を感じたと語る。

この幸福感について理解することは難しいかもしれない。しかし自分自身を振り返るに、同じような患者さんをたくさん診てきたと思う。病気になっても、障害を残しても、それを受け入れることで幸福感といわなくても、決して落胆することなく、普通に日常を生きていた患者さんたち。

もし高橋源一郎のように一切を受け入れる決意が出来、幸福感を感じるようなことが出来れば、ワクチンを受けようが、受けまいが、いずれにせよ大丈夫だ。

重要なのは「そのまま」を受け入れることができるかどうかで、ワクチンをうつかうたないかではない。受け入れられないと、ワクチンをうっても、ワクチンのない別の病気にかかったときに、それを受け入れることが出来ず、結局不幸になる。

ワクチンを受けない「自然派」も実はワクチンをうつことが受け入れられない。逆に「ワクチンをうつ派」は病気になることを受け入れられない。

「そのまま」が受け入れるポテンシャルをもちながらワクチン接種を受ける、まあワクチンは例に過ぎなくて、あらゆる医療を受けることが出来れば、かなりの幸福感を得られるかもしれない。

実際のつぶやきは、このあとべてるの家の話につながっていく。統合失調症をそのまま受け入れ、生きているべてるの人たち。
かれらは「治さないでください」という。その気持ちは高橋源一郎が脳炎の息子の行く末を受け入れる決意したときの幸福感につながっている。

受け入れられたら、医療なんかいらない。人は、生まれ、生き、死ぬだけのことだ。
しかしそう簡単にはいかないところで、医者の役割が少しはあるのではないかと思う。

ついついこのつぶやきにリアルタイムで付き合ってしまい、今週はひどい寝不足だ。
しかし、寝不足の頭でも、考えが止まらない。

ぼくは病気だろうか。
 

エビデンスが普及しないわけ

 
エビデンスが普及しないのはなぜか。
一説にはかなり普及したという意見があるが、むしろ偏ったエビデンスが普及したというのが実情ではないかと思う。

ひとつには臨床上の問題が明確にならないから。
ひとつにはエビデンスの収集ができないから。
ひとつにはエビデンスを批判的に読み込めないから。
ひとつにはエビデンスと目の前の患者のギャップに気がつかないから。
ひとつには自分自身の医療行為を評価反省しないから。

そして最大の問題は、多くの医師が医療を変えようとは思っていないから。
さらに変えようと思っている人もエビデンスと関係なく変えようと思っているから。

たとえばかぜ。
家で寝てればいいのである。
ただ自分ではかぜかどうかわからないから一度は医者かかる必要があるかもしれない。
しかし、かかるとしても寝てればいいかどうか確かめに来ればいいのである。

しかし、そういう方向へは行かない。エビデンスは明確にもかかわらず。
かぜは医療機関にかかるのが重要。
症状を軽くするための薬が重要。
変化を求めるとしたら、かぜを診断する検査か。
そんなのいらないような気がするのだけど。

エビデンスを軸にかぜは家でゆっくり休もう、そういうふうに変えたいのだが、なかなか変わらない。

こういう僕は病気なのだろうか。
 

2011年2月15日火曜日

医師は不足しているか2

 
医者の需要を増やしているのは一部では医者自身だ。
早期発見を心がけましょう。
早めに受診しましょう。
少しでも心配があれば専門医に気軽に相談しましょう。

それにメリットがあることは認めるが、デメリットもあることをもっと明確にすべきではないか。

最近ある学会で、がん検診の問題点について指摘した。
検診により乳がんによる死亡は確かに減少する。しかし、がんの罹患全体は増え、乳がんと診断され治療した患者では乳がん以外のがんによる死亡が増加する。乳がんによる抗がん剤の治療や放射線治療で別のがんが増えると考えればこれはとても納得のいく結果だ。

こういう中で検診を勧めるとどうなるか。
検診の業務が増え、精密検査の業務が増え、治療の業務が増え、さらには治療による副作用に対する業務が増える。乳がん検診の場合、それ以外のがんまでかなり増えているという研究結果が示されている。その分の仕事が増えるのだ。それに対して、得られるメリットは2000人を検診して、ようやく1人の乳がんによる死亡を減らすくらいの効果である。こういう事業を公費でやるとすれば、相当な議論が必要だが、効果が明確だというだけで、害やコストのことが議論されないまま、どんどん検診が勧められる。

人の命は地球よりも重い、そんな幻想で、一人でも助かるのだからと、医療を進める時代はとっくに終わっている。しかし、乳がんを減らさなければ、そういう声だけが聞こえる。

逆に医者が足りないのだから、そうそう検診事業を進めるわけには行かないという医者の意見を聞いたことがない。

医師不足を叫ぶ人たちは、何かの医療をむやみに進めつつ、医師不足を訴えるのは一種のマッチポンプ状態にあることを自覚すべきではないか。

自分で需要を増やし、自分で供給が足りないという。これはまさにマッチポンプだ。

どういう医療が必要なのか。医療費の投入に見合うのか。そういう議論なしに医師不足だけを叫ぶと、医療は今度こそ本当に崩壊への道をたどるだろう。
 

放っておいてもよい「かなりの患者」の見分け方

 
ご飯がある程度食べられる。
眠れる。
だんだん悪くなっているわけではない。
今までした病気とあまり変わらない。
突然症状が完成したわけではない。

とりあえずそんなところ。

2011年2月13日日曜日

医者は不足しているか

 
医学部の定員増が行われ、最近では医学部新設が取り上げられるなど、医師が不足している、そういう方向だ。

医者は足りないよりは多い方がいいと思うが、医療の需要をあおる構造ばかりが先走る中での医師不足という認識が、欠けているのではないかという気がする。

医者が不足しているというのに、これほどにもCTやMRIが普及するというのはどういうことか。糖尿病や高血圧の基準がどんどん厳しくなるのはなぜか。健診をどんどん進めるのはなぜか。インフルエンザを疑ったら早目の受診をすすめるのはなぜか。

病院の外来ですら、かなりの部分の患者は、何の検査も、何の治療も必要なく、家で寝てれば良かったりする。そもそも病院に来ないという選択肢がじゅうぶんありえる患者である。しかし、病院に来た以上、この病気を見逃してはということもあるし、病院の経営を考慮したりすれば、こちらもついつい検査をしたり、薬を処方したりする。そのために、膨大な人手と膨大な時間が費やされる。

それで医師不足というのはどうにも本末転倒だ。
現状のまま医者だけ増やしても、医師不足は解決しないだろう。業界が食っていくため、医者自身が食っていくために需要を増やし続けるだろうから。
 
 

2011年2月10日木曜日

誰が何を基準に選ぶのか

 
夕刊で、乳がんのリンパ節の拡大切除によっても生存率や再発率に差がないという論文を紹介している。このような論文は、毎日のように発表されているのだが、いったい誰がどのような基準で、選択し、記事にしているのだろう。

つい先日は、ある抗がん剤でがん死以外の死亡が増加したというランダム化比較試験のメタ分析結果が発表されたのだが、全く記事にならない。

厳格な血糖コントロールで死亡が増加するという研究が出た2年前はどうだったか。記憶にないくらいだから、あまり取り上げられてはいなかったのではないか。

誰が何を基準にやっていることなのか、ぜひ明らかにしたい。
 

2011年2月8日火曜日

「私はあなたの専門です」と「患者様が医療を壊す」

 
家庭医の説明として使われるこのフレーズが最近ちょっと気になる。
こういう方向が、医療を困難にしている。
岩田健太郎著『「患者様」が医療を壊す』を読んで、そう思う。

「あなたの専門医」というときに、あなたについて一番知っているのはあなた自身だということに、医者も反対しにくい。ここに今の医療の大きな問題がある。

インフルエンザを心配する私の気持ちは、私自身が一番わかっていて、それを私の専門であるあなたにもわかって欲しい、こういうことに振り回されないようにしないと、医療崩壊は止まらない。

時間のない中で質の高い診療をするというのは、ある意味質の高い医療を提供するための必要条件かもしれない。時間が十分ある中で質の高い診療など提供できないのではないか。

少しわかりにくいがそう思う。
みんな、『「患者様」が医療を壊す』を読め!
 

2011年2月3日木曜日

言葉は何を表わしているか

 
たとえばインフルエンザが心配で検査をしてくださいという患者。
それに、インフルエンザだとしても心配ないですし、仮に検査が陰性だとしてもインフルエンザでないとは言えないので、検査は無駄ですよという医者。

「インフルエンザ」という言葉が示すものは、同じ言葉でありながらバラバラだ。コトバ自体は、インフルエンザについて何を表わしているわけじゃない。だから当然様々な誤解が起きる。

言葉としては一応同じだから、全く違ったものを示す言葉であっても、とりあえず話が通じてしまう。本当は通じてはいないのだけど。

ということで、「インフルエンザ」という言葉が表わしているものはいったい何かと、個々の患者でいちいち考えていかなくてはならない。
こういうのも「病の語り」の一面だが、あまりここにこだわると、単に言葉に振り回されるだけのことになる。

言葉が表わすものはばらばらだ、何か一つのことを表わしているわけじゃない。全く当たり前のことなのだが、そのことだけは常に肝に銘じておかなくてはいけない。
 

明日より遠い日知らない

 
「明日より遠い日知らない」

高校時代の同級生がやってたバンドの歌の一節。
最近、繰り返し、繰り返し、このフレーズがこだまするのである。

しばらく忘れていたような気がする。

明日のことはわからない。だから生きてる。
ただ、行きつく先はどんどん近づいてきて、そろそろだな、という日もそう遠くはなくなってきて、
それでも、明日より遠い日知らない、と、そこがポイントだ。

死ぬ前提での、「明日より遠い日知らない」
若かったころには、死なないつもりでいたような気がする。
明日が遠い日であっても全然構わないのだ。

今は少し違う。明日があまり遠くては困るのだけれど、それでも明日より遠い日知らないと言おう。

何かを少し取り戻した気がする。
 

2011年2月1日火曜日

重要なのはコミュニケーションか?

 
外来をやりながら、こちらの考えがうまく伝わらないことがよくある。そういうときに、そこでの問題は、コミュニケーションがとれていないということなのかどうか。

検査をしても偽陽性が多くてあまり役に立たない状況でインフルエンザの検査を希望する患者に、いくら説明をしてもうまくいかないこともあるし、逆にちょっとの説明ですぐに納得してもらえることもある。前者はコミュニケーションがとれていないくて、後者はとれているということだろうか。

インフルエンザの検査に対する、医者側の理解と患者側の理解のギャップ、具体的には医者は不要というし、患者はしてほしいというようなギャップ、そこにコミュニケーションをむつかしくする原因がある、それがコミュニケーションのとれない理由の説明の一つではある。確かにその通りという気もする。

しかし、医者も患者も検査に同意して、流行期のインフルエンザ患者との接触が明らかな患者について、発症直後であっても検査をするし、陰性だからインフルエンザではないと判断する、というのはコミュニケーションが取れているといえるのかどうか。それは単に言葉が通じているというだけで、問題が何も解決されていない。つまりこれは話が通じているかどうかというだけでは解決しない問題だ。

それでは問題はどこにあるか。現象とコトバのギャップにある。こうした見方をするようになると、ありとあらゆる問題は、医者と患者のギャップではなく、現象とコトバのギャップに見えてくる。
 

2011年1月23日日曜日

人生は苦しんで生きる値打ちがある

 
坊主バーというのがあるらしい。ぜひ行ってみたい。
酒飲めないんだけど大丈夫かな。

坊主バーのカウンターに座るなり、
「人生はつらいなー」
とかなんとか言ってみたい。

かぜをひいたり、下痢をしたり、頭痛がしたり、血圧が上がったり、糖尿になったりして医療機関を訪れる人も、ある意味つらくなった人たちだ。
そういう人たちに、話聞いて、診察して、検査して、薬出して、なんてことをしているのだけど、結局のところ、「かぜってつらいよねー」とかいうことと向き合っているのだ。

そこで思い出したこと。

「人生は苦しんで生きる値打ちがある」というアラゴンの詩がある。高校の同級生に大学生時代に教えてもらった。詩の中身はさておき、この題名だけは明確に記憶にとどまっている。
たびたびこのフレーズがフラッシュバックする。

なんでそんなことを思い出したのか。今日はなぜ思い出したのか思い当たることがある。
私が坊主バーのカウンターにいたとしたら、こう答えたいのだ。

「人生は苦しんで生きる値打ちがある」
 
書いてみるとなんだかなあ、という感じだが。

2011年1月22日土曜日

なんとなくやってきたこと

 
いろいろなことがあったけど、なんとなく日々やってきたことが、形になりつつある。
結局のところ、基盤となるのは何となくやっていることだ。

なんとなく、というのは、つかみがたい、あいまいな、という感じでもある。

これを頑張ったとか、あれをやったとかいうのは、過ぎてみると案外どうということはない。
それよりも、なんとなくやってきた、いろいろなことを含む全部が、今につながっている。
明確な何かをやろうとして何かができるわけじゃなく、あいまいになんとなくやってきたものが何か確かな何かを生み出す。

食べる、寝る、と言えば当たり前だけど、なんとなくやってきたうちに形づくくられた基盤はその延長上にあるようなことだ。

目標が重要、というけど、おそらくそれも嘘だ。
目標を見失って、初めて何かが始まった。
その何かを目標と呼んでいいけれども、それはこれから先にあるというより、足元がはっきりして初めて明らかになったもののような気がする。

だから、目標というより基盤。なんとなく過ぎた日々が基盤となって、というのが一番しっくりくる。

自分がどうであったかというより、自分がたどってきたところがどんなだったか。

自分自身の基盤は、自分の中にあるわけでなく、自分自身が立つ、その足の下にある。
そう言えばそれもまた当たり前のことなんだけど。

毎日空回りしてきたような気がするけど、その空回りは、案外いいのだ、たぶん。
こういうものを作ろうとして、それができたというのもいいのだが、気がついたらなんか出来てる。そういうのがいい。

空回りを恐れず、目標を見失っても、気がつかない何かは持続していて、そのうちたいがい何かになっている。

形になりつつある何かに、しっかりした形を与えたい。
 

2011年1月15日土曜日

雨乞いと医療

 
雨乞いと医療を同じものとして考えてみると、医療の可能性が見えてくる。

雨が降るかどうかはわからないが、とにかく踊り続ける。
病気が治るかどうかわからないが、とにかく医療を受ける。

現実はなかなかそうはいかず、治ると信じて医療を受ける。ここに無理がある。
常に治るわけじゃないからだ。

だから、雨乞いのように、治るかどうかわからないけど、医療を受けてみる、というような気持ちになれれば、多くの問題が解決できるのではないか。

そんな話をしてみました。
どんなふうに伝わったのか、よくわからないですが。
 

複雑系

 
中田力著、穆如清風を読んだ。
帯がいきなりすごい。

「医師は犬にならなければいけない」

その通りだと思う。
電車の中で一気に読んだ。というか止まらない。

この本を読んで、生きることのイメージがひらめいた。

生きるとは、最も単純化すれば、「一枚の紙が、ひらひらと舞いながら、地面に落ちる」というようなものではないか。
一枚の紙がひらひらと舞う様子は、線形モデルでは予測不可能で、一種の複雑系だ。しかし、いつか地面に着地するというのに例外はない。

生きることは、一枚の紙で、紙飛行機を折って飛ばしたら、どこまでも飛び続けたというものではない。
 

2011年1月13日木曜日

すでにヒポクラテスではない

 
「もはやヒポクラテスではいられない」というのがtwitterで始まった。「私は」という書き出しから始めて、ヒポクラテスではいられない状況で、医療者として、何か宣言するという試み。

K立病院機構のB氏の企画だ。今までいろいろ一緒に仕事もしたし、注目してきた医者の一人だが、今回のこの快挙はすごい。いずれ、ながながとこの企画について書きたい。今日はとりあえず、すごい、とだけ言っておくことにする。

企画に乗って呟き始めて、自分の中で何かがはじけた。

何がはじけたのか、まだ見当もつかないが、この宣言が、1000年、2000年後に、ヒポクラテスの誓い以上に、何かをもたらすかもしれない、そんなことを思うほど、自分にはインパクトがあった。

しばらく宣言し続けたい。

http://www.ishisengen.net/
 
 

2011年1月4日火曜日

なんとなくわかったこと:ディアドクター再び、三度

 
たまたま戦後についての本を読んでいて、ディアドクターがまたよみがえった。
以下のうちあなたがなりたい者はどれか?

特攻隊員として戦死
特攻隊員として生き残り
一般軍人として戦死
一般軍人として生き残り
一般市民として死亡
一般市民として生き残り

何の話だかわからないかもしれない。私もよくわからない。
特攻隊員として戦死、今で言うならモーレツ社員(今で言うならというには言葉古すぎだが、代わりの言葉が見つからない)で過労死、というところか。
社長が天皇で、社長万歳と叫べればそれもまたいい人生か。社長万歳といえなければいい人生とはいえないが、社長を無理やりにでも信じられれば、1つの解決の道ではある。

それに対して、生き残りはどれもつらい。天皇を信じようが信じまいが。

ディアドクターという映画のいろいろな場面が、いまだに何かのきっかけでよみがえるが、この映画は、生き残った人たちの物語だということがなんとなくわかった。

本物が全部死んでしまった世界。
あるいは本物が生まれてこない世界、といったほうが正確か。

そしてそのあとの生き残った者だけの世界。
本物のいない世界。
そして、そういう世界こそ、今生きている世界。

本物になるかどうかは、死んだあとのこと。
死んで本物になった人は、生き残った者に、おまえはにせものではないかと問いかける
死んで本物になった人を、生きている人が超えることは出来ない

なんとなくわかったこと、そんなこと。
 
 

2011年1月3日月曜日

豊かな時代の終わり

 
今年も初詣には行かなかった。お願いをしている場合ではないというのは、すでに明確に認識しているつもりだ。神や仏にお願いすることだけはもうやめよう。初詣に行ったりなんかすると、間違ってお願いしたいするといけないので、初詣は行かないことに決めた。

お願いはやめて、何をするか。何もしないというのがいいのかもしれないが、今年はちょっと決意を語ってみよう。
決意を語るなら、自宅のソファーに転がったままでも十分だ。決意を伝えたいのは、神様や仏様に対してではない。伝えたいのは生身の人間に対してだ。
しかし、それが昔は大変だった。それが、今はインターネットという媒体で、寝転がったまま決意を伝えることができる。

そこで、今年の決意。

豊かな時代が続くことを祈っても、そんなことはただの祈りにすぎない。
はっきり言っておこう。豊かな時代は終わりつつある。もう終わっているのかもしれない。

世の中を破壊するのは戦争だけではない。戦争もないのに、世の中が破壊されつつある。それも確かなことだ。破壊と創造の繰り返し、戦争がなくたって、それは変わらない。

豊かな時代は続かない、ということはすでに明らかだが、あまり誰もそれを認めようとしない。
持続可能な社会を目指すとか言っているが、その話題が環境問題、特に温暖化の問題だったりする。温暖化など、100年200年後には、「何だ、また気温は下がってるじゃないか」という時期が来て、事実がそのウソを証明するだろう。まあそういう意味では、温暖化の問題も豊かな時代の持続を願う祈りの一つの形態だ。

豊かな生活を保とうとして、あるいは向上させようとして失ったものは何か。豊かさが終わるとは思わないが、豊かさの増加が、それによって失われるものの増加を下回る、というようなことが起きている。

一例を出すなら、たとえば医療。血圧の薬を得て、得たものより、失ったものの方が多いのではないか、コレステロールの薬を得て、と言えばもっとわかりやすい話だ。

豊かなだけではない、貧しさを込みにした医療、そういう方向性。

豊かさを捨てる。それが今年の決意。自分の仕事を、自分自身の生活維持、向上の中で考えるようなことはもうやめよう。



そんなことができるかどうかわからないけど、そういう決意をして、この1年にのぞみたい。