ここで働いています

2009年12月29日火曜日

EBMによる振り返り

EBMのステップ5を中心にしたワークショップを初めて行った。自分としては臨床研究にどうつなげるかというネタとして作ったのであるが、実際やってみると、自分自身の診療の振り返りの時こそEBMが役に立つという部分が明らかになった。

EBMは前向きに使うより、後ろ向きに使うことから始めるとよい。診療の監査にこそ威力を発揮する。新しい発見である。実際そうやっていたわけだが、人に伝えるときにはそのように説明できていなかった。セッションを進めながら、明確になった。今困っている患者で、今から勉強を始めて、現時点で決断するのはなかなか難しい。これまで通りにひとまずやっておいて、後から振り返ってみる方が現実的なやり方である。そういえば当たり前のことなんだけど、その当たり前が、なかなか伝えられないし、伝えられないばかりか、自分自身がそもそも明確に自覚できていない。

知らざるを知らずとす、これ知れるなり、である。
EBMは振り返りの道具としてこそ有用である。今日の私自身の学びはこれである。

2009年12月24日木曜日

コミュニケーションの問題

今日は研修医の外来診察をビデオ取り下ものをみんなで見ながら議論するというカンファレンス。


時々爆笑が起きる。早い話がへたくそなのである。ぎこちない、たどたどしい、不自然、そういう言葉がことごとく当てはまる。しかし、そんなひどい面接なのだが、結構患者さんのことはよくわかる。繰り返し繰り返し同じ話をするので、患者自身がなにを重要と考えているかとてもよくわかる。ただ患者を理解することがどれだけ重要か。

患者が何度も同じことを繰り返してしゃべる。それが重要だとわかる。その反面、患者との関係はどうか。わかったというサインを明確に送り、こちらからも情報を発信しないといけない。相手からの情報を受け取っているばかりでは決してうまくはいかない。受け取ることと発信する事の対称性もまた重要である。情報の対称性が、医師患者関係を作るからだ。聞くだけでなくやりとりがあって始めて患者との関係構築が始まる。
コミュニケーションにとって患者を理解することよりも関係構築することの方が重要かもしれない。理解するというのはどちらかというと一方向性である。関係性は双方向である。そしてコミュニケーションも当然双方向なのである。
研修医に一言。聞くことは重要だ。しかしそれは医者があんまり患者の話を聞かないからそういう極端な意見が強調されているだけかもしれない。聞くと同時に、聞いたことに合わせて話すことにも注意を少し向けてみたらどうだろうか。

2009年12月17日木曜日

動的平衡

久しぶりのポメラである。書くということから何となく遠ざかっていた。読むことと書くことは二律背反なのか。ただそうたくさん読んだわけでもない。福岡伸一の著書など、決定的なインパクトのある本が何冊か在ったことは確かだけれど。


ウィルスは生物ではない。動的平衡こそ生物の特徴である。同じようでありながら、その構成分子は常に入れ替わっている。これは、別の角度からいえば、同一性の問題というふうにも考えられる。昨日の私と、今日の私、同じ私なのだが、違う私でもある。時間軸の問題。老化の問題。動的ということが昨日の私と今日の私の以外であり、平衡ということが同じということである。

動的平衡とは、全体を取り扱うというということでもある。恐らく。生態学的、ということと、動的平衡ということにはアナロジーが成り立つかもしれない。生物のルールと言葉のルールは同じ構造を持つかもしれない。それもまた似たようなことを表現している。

偶然だけが人生だ

5年ぶりくらいにボーイスカウト時代の師匠に会った。後輩にも。回る回るよ、時代は回る。喜び悲しみ繰り返し。今日は倒れた旅人たちも生まれ変わって歩き出すよ。巡る巡るよ時代は巡る。別れと出会いを繰り返し、今日は別れた恋人たちも生まれ変わって巡り会うよ。そういう実感。少しずつ変化しながら、繰り返す。決して元のままではないのだけれど、繰り返す。螺旋状に回りながら、そのうち遠心力で飛び去ってしまうような。引き合う力と離れる力は拮抗している。引き合うだけではすれ違ってしまうかもしれない。離れる力とつりあうところで出会いがある。


さよならだけが人生ではないのだ。そんな風に思う。年をとったものだ。さよならとは死ぬことである。そういう意味でなら、さよならだけが人生なのだけれど。

また何かが始まるかもしれない。偶然だけが人生だ。こうしようと思ってうまくいった試しはない。予感だけを頼りに、また何かを始める。そうではない。何かが始まる。何かに手を引かれないと進めない。しかし、手を引かれれば、進んでいける。あらかじめ設定された目標に向かって進むということは、とても困難だ。とにかく逃げ出したいのだから。逃げ出さないために必要なのは、目標ではなくて、認められること。必要とされること。

しばし止まっていた感じがする。そして、また歩き出す。何かの手に引かれて。

すべてのことは起こる

台風が近づき、豪雨があり、大きな地震があり、だからといって自分に何か変わりがあるかといえば、特に何もない。これは不思議なことだ。よくニュースなどで、聞くセリフは、多くは逆である。まさか自分の身に何か起こるとは思わなかったと。しかし、どこかで起こるのだから、自分に起きてもおかしくはない。そういう考えの方が普通に思える。むしろ、世の中こんなに大変なのに自分の身には何も起きていないかのようなことこそ、不思議といわねばならない。いつかは自分も死ぬ、それが当然で、自分が死なないような気がする、というのは不思議なことだ。そう言えばさらにそれは確かなことに思えてくる。


地震などの災害に巻き込まれて死んでしまうというのは、不思議でもなんでもない、普通のことである。そう言う普通の考えが異常に思えるところに現代の問題がある。

地震に巻き込まれないようにしよう、というのは重要だ。だからといって巻き込まれないようになるかどうかは別問題、そういうことである。希望は希望としてある。しかし現実もまた現実としてある。希望がすべて現実として実現するかのような希望が、希望を越えて当然のこととして取り扱われたりする。これこそ、絶望の始まりだ。

起きてはならないことが起きた、あるいは助かるはずの命が救われない、そんな言葉を毎日のように聞く。希望としてはわかる。しかし現実はそうそううまいこと行かないのだ。

人のせいにしないで生きる、そんな生き方ができたらどんなに素敵か。

悪人正機、唐突だけど、人のせいにしないということにつながる考え方のような気がする。悪人とは、世の中の悪のいっさいを背負って生きる人だ。善人とは、世の中のおいしいところだけをもらって生きる人だ。最も優れた人とは、何事も人のせいにしない悪人だ。最も愚かなのは、何事も人のせいにする善人だ。

まじめな人がまじめに怒っている、恐ろしい。谷川俊太郎だったっけ。まじめなのは、ただ単に悪を背負ったことがないからではないか。逆に、悪とは自分である、そう思えれば、開ける道があるかもしれない。

やらないことを後悔する

今日は研修先の診療所を訪問して楽しかったなあ。会う度に格段に成長していく研修医たち。


研修医は若く、私は若くない。当然のことではあるけれども。しかし、私だってまだ若いのかもしれないが、やはり20代30代の頃とは違う。かつては私だって、やったことについて後悔することは少なく、やらなかったことについて後悔する。そうだった。たぶん。それが今じゃどうだ。やったことを後悔し、やらなかったことを後悔することは少ない。なんという違いだ。楽しいような、悲しいような、である。失敗を取り戻すことが難しい。間違いをおかすくらいなら穏便に済ますようになる。

まだまだ若いといわれる。しかしもうそうでもないのだ。今少し元気がないだけのことかもしれないが、元気があればあったで、かえって自分の思いとのギャップに若さの喪失を実感するかもしれない。

自分に対する関心が薄れていくこと。それは若さではなく老いだ。しかし、そこが十分ではない。中途半端に年老いている。

なんについて書いているのか、自分でもよくわからなくなる。

何かを取り戻す必要がある。若さではない。もうその点では手遅れである。じゃあなにを取り戻すのか。

めがね

めがねを10年ぶりくらいに買い換えた。近視を限界まで矯正したら、なんと遠視がでた。近くが見えないのだ。それでなんと遠近両用めがねとなった。とうとう遠くだけでなく近くも見えなくなったか。犬はよい目を持っていたのですべてが灰色に見えた。私もよい目を持っていたので、すべてがぼやけて見えた。世の中はもやもやしており、頭の中ははっきりとしている。私もとうとうそういういい目を持ったということだ。めがねをかけてふつうの目にしておかないととても世の中やっていけない。


しかし、実際ふつうの目にはなっていないのである。確かに遠くははっきり見えるようになった。しかし、近くはいちいちぼやける。ピントが合うのに時間がかかる。まだまだよい目のままだ。寝床で本を読もうとすると、手を伸ばして本を持たなければいけない。なんてこった。それでも読みたければ読め。そういうことか。

ゼロの焦点

松本清張は期待を裏切らない。映画を見たあとのこの気分の悪さはどうだ。こういう気分にさせてくれる映画はそうそうない。




戦争で死んだものの声なき声。



生き残ったものの後ろめたさ。



生きている人が背負っている死者の数。



この道はいつか来た道



道行く人を睨むかのような切り裂かれた肖像画

組織

組織というものにはほとほとあきれる。といっても組織なしに生きることなんかもう不可能なんだけど。家庭、学校、職場、地域、国、世界。


それにしても、いつもながらのすれ違い会話。決して交わることのない。勝手にやらせてくれれば、とにかく結果を出すのに。実際出してきた。それでもでてくるのは否定的な意見ばかり。要するに「言うことを聞け」と。返す言葉は決まっている。「そっちの言うことなんか聞けない」と。

マイノリティ

マイノリティの問題。総合、包括、プライマリケア、EBM、臨床疫学、医学教育、なんと言ってもいいのだけど、所詮マイノリティなのである。今の自分のポジションはマイノリティだったからこそ得られてと言う部分が大きい。それを広めようとする仕事というのはそもそも無理がある。簡単に広まらないから自分にも大きなチャンスがあった。当然広めようとするには、自分が最大限に利用してきたマイノリティの問題を乗り越える必要がある。マイノリティがマジョリティになる。そういう道筋。しかしそこで失われるものこそ、自分自身が学んだ最も大きなことではないか。賛同者がいない中でも頑張り続けること。認められるとか認められないとか、意識せずに続けること、否定的な意見にさらされ続けても挫けないこと。マジョリティになったとたんにそういうことを学ぶことはほとんど不可能になる。


理解しない人に理解してもらうということ。マジョリティがマイノリティを理解するということ。しかし、マジョリティに属する理解できない人が、マイノリティに陥ることなく、理解できるということを果たして達成可能なのか。

難しく考えすぎ、ただそれだけのような気もするが。

雨乞いと医療

研修医が誕生日を祝ってくれた。うれしい。こんなうれしいことはない。いろいろな話をした。たとえば新興宗教。高山で美術館に入ったら、そこが真光教の本山だった。怖い。そんな話し。そこで唐突に、信仰を持たないものの祈り。大江健三郎が光君の言葉に気がついたきっかけについて。奇跡は起こる。怒ることが奇跡である。祈りとは起こりうることに対するものである。起こりうることに対して祈る。それが進行。起こり得ないことを祈ってはいけない。しかし祈ることができることはすべて起こりうることだ。ただ自分の身に起こらないから祈るのだ。どこかでは起こるが自分には起こらない。だからこそ祈る。


アウトカムとは何か。実はよくわからないもの。行き先が明確に見えているのはアウトカムではない。もっと大きなものがアウトカムである。どこへ行き着くかはわからないけど、ともかくどこかへ向けて進んでいく。それ以外にやりようがない。ただもう少し先を見ればアウトカムは明確となる。死ぬ、そういうことである。死ぬというアウトカムに比べれば、どんな明確なアウトカムを立てようとも、そんなものは陽炎のようなものに過ぎないとわかる。

いかに生きるかといかに死ぬかの間に境目などない。死ぬまでどう生きるかと言っても、どう死ぬかと言っても同じこと。どう生きる、どう死ぬ、問題はプロセスである。アウトカムではなくて。

総合とはどういうことか。個別の要素の合計が全体ではない。広く深く掘る必要がある。各要素の深みより、全体の深みの方が遙かに深いのだ。浅く掘っていて、総合が見えてくることなどあり得ない。



雨乞いと医療の相同性。雨を降らすために雨乞いをするのではない。雨が降らないから雨乞いをする。死なないように医療があるのではない。死ぬからこそ医療があるのだ。

不徳のいたすところ

不徳のいたすところ、だいたいは人のへまをかぶってその場を納めるときに使う言葉だ。自分自身がそう言えれば、それでうまく回っていくことが、自分の不徳と言えない。それが問題。


人のせいにするのは簡単だ。腹の中ではいつもそう思っている。しかし、腹の中と外は別である。外は常に自分のせい、そちらを強調することが重要だ。それが世の中の潤滑油。もちろん自分に責任が全くない状況というのもないんだから、まあそれでいいんだけど。

といいつつ、どうにもこうにも納得できないことはある。全否定されるという状況だ。全否定されて、それでもなおかつ不徳のいたすところと言えるかどうか、それが宿題。

ケースバイケース

個別の医療の提供のためにはケースバイケースの対応が求められる。確かにそうだ。医療を争論的に語るときに、個別の対応が重要である、そういう部分ではいつも容易に意見の一致が得られる。しかし実際個別の患者ではなかなかそうはいかない。ケースバイケースというのは対応する側が個別の状況で勝手に決めるということであったりするからだ。


ケースバイケース、便利な言葉だけど、だいたいはインチキに使われる。こちらのただ一つに理屈が、相手の状況によって使われるだけ。これは本当はケースバイケースと言わない。ケースバイケースとは、すべてをチャラにして考えることができるかどうかということ。様々な思考のチャンネルを対応するこちら側で持てるかどうか。一つのケースとは、そのケースの全体を指してケースという。当たり前だけど。全体に対応してこそケースバイケースである。ケースのうちこちらが対応可能な一部だけを取り出して対応する、これはケースバイケースではない。対応する側が最大限の守備範囲を持って対応する、これがケースバイケースである。

あらゆる選択肢を提示することができるかどうか。これがケースバイケースである。そのためにはあらゆる選択肢をとった場合のそれぞれに対応できるようにしなくてはならない。これを医師一人でやろうとするとうまくいかないし、実際無理である。だからチーム医療が必要になる。家族全体を対象にしたアプローチが求められる。地域を視点としたアプローチが求められる。なるべく多くの人が関わる中で決めて、多くの人の支援を元に対応する、こうなって初めてケースバイケースである。大変なことだ。

なんだかわからない

なんだかわからない。わかるわけがないのだけれど。ただはっきりしているのは、死ぬということ。それ以外はわけがわからない。取り留めもなく書き始めて、さらになんだがわからない。

複雑系、カオス、わけがわからないということを、多少はわけがわかるようにしてくれる言葉。でもそれって、わけがわからないってことと同じだ。単なる言い換えにすぎない。わけがわからないということをさらにカオスなんてさらにわけのわからない言葉に置き換えただけ。そういう意味では、「わけがわからない」といった方がことの本質をよくとらえている。


研修医たちと、生物心理社会モデルなんてことについてSkypeで会議したのだけれど、それこそわけがわからない。生物心理社会モデルは線形モデルではない。心身二元論ではない。還元主義ではない。冷静な観察者によって記述されるものではない。それではいったい何か。複雑系だ、カオスだ、というのであるが、要するにわけがわからないということである。


そういう流れで、当然議論自体もわけがわからなくなる。

パーキンソンの患者が題材である。たとえば、次男の事故死が、患者の転倒増加を引き起こしている、そんな考察がされる。それは、線形モデルだ、とつっこみを入れる。そんなことで転倒の増加が説明できてたまるか、というのが生物心理社会モデルである。じゃあどう説明できるのか。説明しないのである。説明でなく、なにをするのか。よくわからない。わからないままにとにかく使ってみるのである。めちゃくちゃに。次男が天国から母親を呼んでいるのだなどと。しかしそれも線形モデルか。宗教は基本線形モデルだ。信仰により天国にいける。まさに線形、還元主義。


そこでやはりソシュールである。対応の恣意性、文節の恣意性、連辞関係、連合関係、しかしそうなるともうますますわけがわからない。わからないままに時間が過ぎる。もうバスに乗らなくちゃいけない時間だ。それでは、バスの時間なので、これで失礼します、と研修医たちを置き去りにする。


というところですべてを置き去りにして、ここで筆を置く。

ご褒美

研修医がなかなか勉強できないと嘆く。



それでは、なかなか勉強できないなかで、頑張れるというのはどんなときか。そういうときにはどうしてがんばるのか。



それはその先に何か得られるものが待っているから。平たくいえばご褒美が待っているから、がんばる。日々外来で使っている行動科学の基盤にもそういう考えがある。外来なんていわなくても、自分の子供に対してだって、これをがんばったらあれをかってやる、なんてやったことがある。自分自身が子供の頃だって、そういうことがあったと思う。



こんな時、ご褒美というのは何かに対して与えられるものと考えている。今は息子が浪人中であるが、勉強した結果、ご褒美として合格がある。合格のご褒美として、合格祝いをもらう。そんなことだ。



夢は必ず叶う、そんなわけはないが、これも努力のご褒美としての夢の実現ということだろう。



それに対して、そんなにがんばらなくても、という意見もある。そうした人たちは、ご褒美なんかいらないのか、あるいはご褒美がなくても生きていけるのか。



自分自身もご褒美ということについて考えてみる。自分自身としては、がんばった結果ご褒美をもらうというのは、なんだか恥ずかしいようなことに思われる。少なくともいい大人がやることではない。といいつつ禁煙を勧める患者などで、これに成功したら妻にご褒美がもらえるよう約束してもらいなさいなどというのであるが。患者を子供扱いしている気がする。子供扱いしてでもたばこをやめた方がいいということか。禁煙なんてそれほどのことでもないような気もする。何かいいことがあるからがんばるというのは基本的にはスケベなことである。ご褒美はすべてスケベ心に繋がる。そんなご褒美はいい大人がもらうものではない。



それでは何かに対して与えられるという以外のご褒美とはどんなものか。スケベでないご褒美とは。交換条件ではないご褒美。



たとえば勉強。交換条件としての褒美がなければしない勉強というのはスケベな勉強である。スケベでない勉強とは、ご褒美を必要としない勉強である。しかし、実際そういう勉強をいつもしているのである。むしろそういう行為の方が普通である。勉強というとわかりにくいが、たとえば小説を読むということ。小説を読んでご褒美がもらえるとしてもそんな小説の読み方は長続きしないし、そういうご褒美のために小説を読む人は、いずれ小説なんか読まなくなる。しかしみんな小説を読む。それはなぜか。小説を読むこと自体がご褒美だからだ。

つまり、スケベでない勉強とは勉強そのものがご褒美であるような勉強のことである。読み始めたら止まらないような小説を読むようにやり始めたら止まらないような勉強をする。そんな勉強ができれば、勉強そのものがご褒美になる。そしてそういうことをやるときにはさしてがんばる必要はない。



というわけで、研修医にも、患者にも、何かの結果ご褒美をあげるなんてことは今後一切しないことを誓う。



ご褒美がなくても、がんばらなくても、できるようなことが重要なのだ。たぶん。

2009年12月11日金曜日

インフルエンザより怖いもの

インフルエンザの流行がなかなか収束に向かわない。しかし、「新型」と呼ばれた今回のインフルエンザが、これまでのインフルエンザとさして変わらないということはもう明らかだ。流行が続くとしても、別にどうということはない。外来が少々忙しいというだけのことである。それはこれまでのインフルエンザと同じこと。
インフルエンザ自体は、決して新型ではない。しかし、確かに新型であった。これまでのインフルエンザの流行とは明らかに違う。それではなにがいったいこれまでと違う新型だったのか。インフルエンザに対する反応が新型だったのである。かつて無効だとして、小学校から葬り去られたインフルエンザワクチンが、われもわれもと取り合いになっている。かつてのワクチンより、遙かに有効なワクチンが開発されたわけではない。同じワクチンに対する、市民やマスコミの反応がこれまでと違う。誰からワクチンを接種すべきか、そんなことはこれまで議論されたことはない。ある開業医が、優先順位をごまかして自分の孫に接種したというのが新聞に載っていた。医療者もこの変わりよう。たぶんこの医者はこれまで家族にワクチン接種をしていなかったのではないか。そういう気もする。
マスコミもまあこりもせず、昨日も今日も、インフルエンザで死亡、脳症発症とか、これまで全く報道もしなかった輩が、そういう記事を載せている。インフルエンザに気を取られていう間に、また誰かがかげで悪いことをしているに違いない。インフルエンザはもういいから、そうでない大事な事件をちゃんと追っかけてほしい。
ただ、外来患者の一部にはこれまでとかなり異なっている人が混じっている。これまで病院にはあまりこなかった人たちが、多く訪れる。その上インフルエンザというには結構元気そうな人が多いのだ。なぜ病院に来るかといえば、家族や会社の人にいわれてくるのである。ひどい会社になると、インフルエンザでないという証明をもらってこないと出社できないというのだ。こんなことは今だかつてなかったことではないだろうか。インフルエンザでないことの証明を必要とする会社。おそろしい。なにが恐ろしいのか。
そこで本題である。インフルエンザは確かに怖い。しかしこれまでと同じように怖い、それだけである。誰もこれまでと同じように怖いとは報道しないし、そのようには受け取らないが。それで今回、新型となってなにが怖いか。インフルエンザに対する差別意識が圧倒的に高まっていることが、もっとも怖い。
病気に対する差別と戦うことこそ、医療者の大きな役割ではないか。それを増長するようなことばかりをして、いった何のため医療か。

決定不能性

治療が有効かどうかなんて、実は決めることはできない。どう生きるのがよいかを決められないのと同様に。
降圧薬が有効かどうか、そんなことは決めようがない。efficucyとeffectivenessなんて言葉でごまかしたってだめだ。どちらにしろ決めようがないのだ。
血圧が下がる、それくらいのことなら、決定不能などとややこしいことをいう必要はないかもしれない。しかし、脳卒中を予防する、となるともうわけがわからない。死亡率を減少させる、となるともう嘘が明らかだ。
死亡率は100%である。それは決定済みである。議論の余地はない。それ以外はすべて決定不能。なにがいいのか悪いのか、なにが正しくてなにが間違っているのか。決めようがない。
ことば、言葉を選んだ瞬間に、何かを失う。決定できないなにかに、なにかではない固有の名前を付ける、ここにすべての問題がある。有効である、という言葉を選んだ瞬間にいったいなにを失ったのか。言葉以外すべて。

2009年11月26日木曜日

治療を拒否する患者さん

今日は医療倫理についての話題で研修医とディスカッション。
倫理の面で何か問題を感じた患者はいますか、と聞くと、なかなかでてこない。そもそも倫理ということが何か縁遠いことである。ちょうど、昨日のニュースで代理母のことがあったので、例として話してみる。
患者も子供がほしいし、その母も自分の子宮を使うことに同意しているし、産婦人科医もやろうという。そして実際、母が自分の娘の子を出産する。全員同意の上だが、それでいいのかどうか。どう思うか研修医に聞いてみる。いいと思う、即座にそう答える。
しかし世の中はそう甘くない。産婦人科学会が、反対の声明を出す。
当事者だけでは決められないことってある。社会的に見て公正かどうか、そういう視点を持たないと、大変な間違いをおかしてしまうかもしれない。たとえば原子爆弾の発明。代理出産にそういう面があるかどうか、考えてみる。それが今日の話題。
まだわかったような分からない話。とにかく話を進めてみる。
「倫理の問題について少しわかったと思うけど、何か自分で思い当たる患者さんはいない?」
「そういえば外科ローテート中に、早期胃ガンで手術を拒否した患者がいました」
「どんなところに倫理的な問題があった?」
「手術をすれば治るのに、娘が漢方医で、漢方に頼っている間に、進行がんになって亡くなってしまいました」
「どこに倫理的問題があったと思う?」
「手術をせずに死んでしまったところですか?」
そうなのだ。そういう議論になってしまうのである。そういうとはどういうことか。私の意見は明確だ。研修医が言うところに倫理的な問題などない。手術をせずにすんだことは、むしろ倫理的な手続きが踏まれた証拠である。
「じゃあちょっと質問。早期胃がんで根治手術が施行された、こんな患者なら倫理的な、問題はないだろうか」
「そう思います」
「もしその患者が、もう十分生きたと思っており、手術はイヤで本当は治療を拒否したいと思っていたのを言い出せなかったとしたら?」
患者が手術を拒否すると言えたことで、一つ倫理的なプロセスが乗り越えられている。逆に、治療の拒否ができないまま治療が提供されたとしたら、その方が倫理的に問題がある。そこがこの患者の倫理的な問題のポイントなんだけど。この患者の場合は、治療拒否に問題があるのではなくて、その際に、手術や他の治療の有効性や危険について、きちんと説明されていたがどうかが、問題なのだ。
患者は治療を拒否する権利がある。倫理的な医療を行うための必須の項目である。ただ、世の中の患者は、とにかく治りたいし、言い医療を受けたいし、そこに倫理的な問題があろうとは多くの場合夢にも思わない。そして、医者はさらにそうだ。
多くの医者にこういう話をすると、患者が拒否することが倫理的?アホかと思われる。確かにこれだけ医療が進んだ中で、拒否の選択肢があるなんて考えるのはアホかもしれない。しかし、それはたぶんアホではないのだ。倫理的という視点では、間違いなく私の意見の方が正しい。しかし、多くの人は別に倫理的な判断を経て医療を受けたいわけではない。非倫理的であっても、とにかく治りたい、長生きしたいのである。医者も、とにかく直したいのである。倫理の問題を考えるときに、最も重要なことは、そもそも倫理的に考えないで判断するのが普通になっていることである。
代理母、脳死移植も、そういう視点で考えてみると、また違った面が見えてくる。倫理的に生きるということは、希望を叶えるということとは違う。希望を叶えるという点で言えば、移植を受けたいというのも、胃がんの手術を受けたくない、というのも、どちらも同じである。ただ、移植を受けたいという人に対しては、移植医がバックアップしてくれるが、胃がんの手術を受けたくないと言う人には、バックアップしてくれる医者がいない。そんな違いを倫理の問題にすり替えてはいけない。当事者以外の意見をどう採り入れるか、移植医は倫理について語るべき立場にないし、胃がんを手術する外科医も同じである。移植の時には、移植をしないという選択肢がつねにある。そこでは倫理的な問題は生じにくい。逆にただ胃がんの手術をするというときには、手術をしないという選択肢がはじめからない場合も多い。そういうところでこそ、倫理的な問題が発生する。
倫理的な問題は、倫理的な問題が存在すると認識されないところでこそ、恐ろしいのである。

一つの原理から始める

人は死ぬ、だから医療が必要である。
人は死ぬ、だから生きる
死なないのであれば生きるということ自体がないかもしれない。そんなことは少し考えればわかることだ。もともと生は死を含んでいる。一人の生は死を持って終わる。死が生に対立しているわけではない。生の一部をなすに過ぎない。あるいは生の最後を飾る重要な部分を占める。どちらにしろ、死を含んでこその生である。死がなければ、それは生ではない。別の呼び方をする必要がある。
不老不死とは自己矛盾である。老いるということがなければ若さということもない。死ということがなければ生もない。つまり不老不死ということ自体が存在し得ない幻である。
生は死で終わるという尺度以外ではかることはできない。生を死なないという尺度で測ることはできない。
それがたった一つの原理。それをはずしては、なにも始まらない。その原理からすべてが始まる。
もちろん死にたくないから生きる、と言えないこともない。しかし、それだって、死ぬという原理に基づくからこそそう思うのである。死ななければそうは思わない。もし不死が実現され、死ななくなると、もうだれもそんなことを思うことはない。死にたくないから生きるとは、まさに死ぬから生きる、ということにほかならない。
医者である自分は、とても生きる、という全体に向き合うことはできない。そこで、せめて、死ぬから医療がある、という原理をはずさないように、医者としての仕事を全うしたい。
これは一つの発見である。

2009年11月25日水曜日

沈まぬ太陽、牛丼屋

死ぬまず太陽はよい映画だ。CGがちゃちだとしても、牛丼屋のシーンだけでも十分見る価値がある。
会社で執拗な嫌がらせを受け続ける父。かつての組合の同僚であった役員から、情報を見せないと娘の結婚式になにが起こっても知らないぞ、と脅迫される。
その後、息子を訪ね、一緒に牛丼を食べる。決して弱音を吐かないおやじが、何か言いたげで、どこか息子に助けを求めているかのようで、でもそうは言わないのだけど、牛丼が運ばれると、何かにとりつかれたように牛丼をかき込む。それを見て息子も。弱音を吐くわけではないけれど、弱音をどうやっても見せてしまうおやじ。息子は、なにをするわけでもないが、それを何か見事に受け止めている。
思い出すだけでもなんだか胸がいっぱいになる。映画で泣いたりしたことはないんだけど、ちょっとやばかった。
息子に弱音をみせに来るおやじ。
何とも言いようのないシーン。
もうすでに弱音を吐きまくっている自分には、もうどうしようもないのだけれど。

極楽まくら落とし図

深沢七郎の小説。

積極的安楽死の話し。本当はそうでもないのだけどそう説明すると分かりやすい。しかし、そんな分かりやすい話ではないから、そう説明してはいけない。
研修医とともにこの小説を読む。最初はとても受け入れられない。しかし議論が進むうち徐々に賛成意見を言い出すやつが現れる。それでもかたくなに反対し続けるものもいる。
身寄りがない人ほど、死ぬまでがっちり医療を受けていたりする。病院はとにかくまくら落としするという発想がない。もちろん法律で禁じられており、本当にやったりすれば犯罪者になってしまう。しかし、緩徐なまくら落としならどうか。犯罪にならないような。
身近なつながりの深い家族がいれば、そのうちの誰かが、そろそろもういいのではと言い出したりする。緩徐なまくら落としである。しかし、これも病院では言い出しにくい。医者の権限の方があるかに大きいからだ。その結果、死を受け止めて、家族の責任において、むしろ積極的に緩徐なまくら落としを受け入れる患者はほとんどいなくなる。
もっと家族の力を使えば、医者だってこんな苦労せずにすむのに。
もちろん、小説のじいさんだって、医者が少し手助けをすれば、息子やワシにそれほど無理なお願いをしなくてもすんだかもしれない。
しかし、それが無理なお願いなのかどうか。医者が少し手助けということはなかなかに難しい。医師が入ったとたんに、医師がステークホルダーになってしまう。だから、医師を入れないように身内に無理なお願いをする。あるいはそれを無理なお願いとは思っていない。そういうものだ。無為に生きるのは恥ずかしいことである。無為に生きるというのともちがうだろう。無為でなくともそろそろ死ぬべきという時期がある。おりんばあさんは無為どころか、バリバリの現役のまま山へ行った。殺してもらうのが本望だ。捨てられるのが当然、それが正しい死に方。食い扶持がないような時代では、それこそが掟、今の世でいう法律だったりする。
それでは食い扶持があればそんなことはしない方がいいのかどうか。
食べ物が余る世の中。食べ過ぎて太る世の中。かつては全くその逆だったし、今でも世界にはそんな地域が五万とある。やせばかりの世の中と太った人ばかりの世の中と、どちらがどうなのか。
太った人が主流を占める世の中では、痩せがうらやましがられ、やせた人が主流の世では、太った人が羨望の的である。
食い扶持があるということ自体、どういう価値をおけばいいのか。あるのがいいのか、ないのがいいのか。そんなことすら、よくわからない。つまり、食い扶持がないために、まくら落としがある世の方がよほどいいかもしれない。
さらに、実は現代にもまくら落としは別の形で復活している。
移植医療とまくら落としは似ている。脳死はまくら落としそのものだ。脳死によって、一人死んでも、それで何人かが助かる。まくら落としも、それによって何人かが食い扶持を確保したり、重い介護から解放されたりする。これはまくら落とし以外の何者でもない。
なにも変わってはいないのだ。個体は滅んでも、生命はつながり続ける。それは、今も昔も、全く変わっていない。

2009年11月24日火曜日

高校教師

中学時代だったか、高校時代だったか、そんなことも定かでない。再放送だったのかどうでなかったのか、それもわからないのだが、「高校教師」という青春ドラマがあった。平日の夕方に放送していたように記憶している。教師役は加山雄三だったか。そのほかの出演者はほとんど記憶にないし、内容はといえば何一つ覚えている話がない。そんな状況でなぜ今頃「高校教師」か。
多分もともとドラマなんか見ていない。たまたまテレビがついていただけなのだ。そのたまたまついていたテレビから、流れてきた歌だけが、妙に印象に残っている。多分歌っているのは夏木マリ。繰り返しよみがえってくるサビのフレーズ。

「たった一度の青春に罪なきようにというけれど、春の嵐の......、何もしなかったと嘆くより、あーあ、過ち悔やむ方がまし」

途中が思い出せない。おぼえているところだってあやしい。このフレーズが聞きたくて、忘れてしまったこの歌全体が聞きたくて、CDを探してみるがアマゾンでは手に入らない。しかし、それ以上探す元気もなく、このうろ覚えの、一部は全く思い出せないフレーズだけが繰り返しよみがえる。
俺も確かに昔はこうだった。何かしでかして後悔なんてことはなかった。これをしていれば、こんなことをやっていれば、そういうことばかりが後悔であった。。それが今じゃどうだ。
しなかったことについては、仕方がなかったとあきらめ、もはや後悔することもない。それに比べて、あれをしなきゃよかった、これもやめとけばよかった、そんな後悔ばかり。
なんてこった。この変わりようはいったい何なのか。老化現象の一つか。そうであればまあ受け入れもできる。
体力を徐々に失い、髪の毛が知らないうちにずいぶんと減り、白髪が目立つようになり、脂性だった手がむしろかさかさに乾燥し、つばを付けないと紙がめくれない。それも嘆くことの一つではあるが、それはそれでいい感じがする出来事でもある。もうすぐ50歳、早く50代になりたい。そういう気分さえある。
しかし、この後悔のしようの変わり方については、どうにも自分で受け入れられない。やったことを後悔し、やらないことはしかたないとあきらめる。これじゃ年を経るごとに、後悔が増えるばかりである。
そういう後悔のしかたについてまた後悔する。未だしていない後悔について、悔いる、そんなエネルギーはもちろんもうないかもしれないが。
どうしたもんだ。

2009/11/26 00:22
youtubeで見つかった。サビの部分はこうだ。

「たった一度の青春に悔いなきようにというけれど、春の嵐の過ぎた後、なにもしなかったと嘆くより、あーあ、過ち悔やむ方がまし」

2009年11月21日土曜日

歩いても歩いても

沈まぬ太陽を見た。思い出したのはこの映画。

歩いても、歩いても


久しぶりに映画を見た。ある家族の物語。ある夫婦と子ども1人が、夫の兄の命日に集まる。主人公である弟は、ばつイチ、連れ子ありの女性と結婚、そのうえ失業中。医師である兄は、おぼれた子どもを助けて、自分は力尽きて死んでしまう。その日に、姉も、助けられた子どもも、みんな集まってくる。その実家で過ごす数日の出来事、そして、その数年後。死ぬということ、受け継ぐということ、家族の役割、そんなことを考えた。おそらく、誰もが少しは考えていることだ。

赤塚不二夫の葬式のときのタモリの弔辞を聞いて、この映画のいろいろな場面がフラッシュバックした。


一番印象に残ったのは、死んだ兄に助けられた生き残った子どもが大きくなって、命日に毎年呼ばれて、今年も、という場面。就職がなかなか決まらなくてなどと、気まずそうに近況を報告する。母親は、生き残った子ども(もう立派な大人になっているわけだが)に息子を投影させることができない。何でこんなできの悪いもののために息子が犠牲にならないといけないのか。しかし、大部分の登場人物や映画を見ている人は、むしろ助けられて生き残った子どもに自分を投影させる。死んだ兄と自分が同じ類の人間とは思うことができない。自分は生きるに値するのだろうか。生きるに値するのは死んでいく人たちのほうではないか、生き残っている私らこそ死んだほうがいいのではないだろうかと。


死んだウサギに感情をもてない弟の義理の息子。最後のシーンは、その息子が大きくなって新しい生まれた妹とともに、じいちゃん、ばあちゃんの墓参りに来る。彼はウサギのことを、あるいは身代わりになって死んだおじさんのこと、助けられて生き残った子どものことを、どう振り返るのだろう。


生き残ったものが生きるしかない。そう思えるのは、死んだ人からのメッセージがあるからだ。死んだ人からのメッセージというところが、タモリの弔辞を聞いていてつながったことなのだろう。死んだ赤塚不二夫からすれば、タモリですら、映画で生き残った太った子どものような存在に過ぎない。ただそこには死者からの大きなメッセージがある。だから生き続けることができる。タモリが生き続けるように、あの生き残った子どもも行き続ける。そして私も。



47歳の地図

今48歳になってしまったんだが、まあいいか。

47歳の地図

 射程の長い思考が求められている。しかし、変化は必ずしも連続ではない。不連続な歴史の延長としての未来。

紀元前、紀元後、というわけだが、紀元後も、次の時代、つまり紀元後の後に対して、前であるしかない。


 青春時代の懐かしい歌を聴きながら、自分自身が、もう、「夢」などという言葉からはすでに遠いことをはっきりと自覚する。眠っているときでさえも、ほとんど夢を見たりしない。作り笑いで疲れ果て、笑顔なんてものはもう忘れてしまった。希望は、笑顔を取り戻すことでなく、むしろ天変地異。そう言えば、「希望は戦争」という若者もいたっけ。自分自身も、案外それに近いかもしれない。ため息をつくのは、実現しない夢に対してではなくて、ここに実現している現実に対してである。夢が実現しないことに対して、もう何の感情もない。


 何を書きたいのか?


 仲間が死に。そして、師匠が。冥福を祈ることはできない。できることならば、ここにとどまって、見守って欲しい。


 47のしゃがれたブルースを聴きながら、夢を見なくなったわたしがやりきれないため息をついている。


大していいことあるわけじゃないだろ。ひとときの笑顔を疲れも知らず探し回ってる。ばか騒ぎしてる街角の俺たちのかたくなな心と黒い瞳には寂しい影が。けんかにナンパ、愚痴でもこぼせばみな同じさ。


 セーヌは流れ、私は残る、だったっけ? 流れるのは世の中で、私は変わらない、そんなふうに思っているかもしれないが、実は全く逆なのだ。患者さんのことを振り返るたびに、そのことが明確になる。セーヌは変わらず流れ続け、私は変わる。


 多くの問題は、自分のことがわかっていないということより、患者さんのことがわかっていないからうまく行かない。自分自身が問題になるようなレベルまで行っていないのだ。自分はどんな医者になったらいいのだろう。それはまだまだ先の話で、まずは患者さんがどんな患者さんか、それがわからないと話にならない。患者さんを固定して、自分を鍛錬していくのがトレーニングの近道なのだ。自分を固定して、流れる患者さんについていけるわけがない。患者は流れ、私は残る。最悪である。本当に当たり前のことなのだけれど。


 「人生は買い物である」と、今の世の中を喝破した作家がいる。深く同意する。それは研修の場においても当てはまる。「研修は買い物である」、なるほど。

 彼らは何を買いに来たのか。そんなふうにいうと怒るかもしれない。しかし本当に買いに来ていないかどうかよく考える必要がある。もちろん私自身も、夢や希望でなくて、本当は何かを買いに来たのではないかと、よくよく振り返ってみる必要がある。


西洋医学を進めてきた人たちは、同時に永遠の命を求めてきた人たちでもある。そういえば、キリスト教にとって永遠の命というのは大きな位置づけにある。西洋が医学が究極的に目指している不老不死と、案外近いのかもしれない。西洋合理主義、永遠の命、キリスト教、言ってみれば、西洋の、というより今の世界の歴史そのもの。資本主義社会の合理的生活態度の原点は、キリスト教的禁欲主義にある、といったのはマックスヴェーバーだ。しかし、ヴェバーはさらに言う。


「文化発展の末人たちに対して、次の言葉が真理となるのではなかろうか。『精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階までにすでに登りつめた、とうぬぼれるだろう』と」




幸せに、なろうと思い、生きている
そういうおれは、

女か虎か


 今日は小説を読もう。そんな研修医向けの勉強会。FictioneducationFictionEducationの二つをあわせた造語)、小説で学ぶ臨床医学、題して「女か虎か」。
 小説の内容は、ざっと以下の通り。

「半未開の王が統治する王国では、罪を犯した若者が王様の闘技場で裁かれる。闘技場には二つの扉があり、片方の扉には美女、もう片方には人食い虎。若者はどちらかの扉を選んで開ける。美女が出てくれば、めでたく結婚でき、無罪放免、逆に虎がでてくれば、食われて終わり。ある日、王女がある若者と愛し合っていることが王の知るところとなる。当然その若者は、例の裁判にかけられることになる。ただいつもと違うのは、闘技場には王女が、扉の中身を知って、闘技場で若者にどちらかの扉を指差してサインを送る。しかし、王女が指差した扉の中身がどちらか、それはわからない。王妃は右の扉を指した。若者はそれを見逃さなかった。若者は王女が指した右側の扉へと進む。さて、出てきたのは、女か虎か?」

 と、こんな小説の、要約でなく、全文を読んで、ただ研修医同士で議論する。それで臨床医学に関する深い学習ができるというセッションである。娘が高校の授業で読んで、面白かったと教えてくれた。読んでみてびっくりだ。これは、まさに日々医師が向き合っている問題そのものではないか。私自身の読みは、もう明らかだ。それ以外に読みようがない。ただそれは言わないで、まず研修医に聞いてみる。

「どちらが出てきたと思う?」
「そりゃ虎でしょう」
「虎だと思います」
「女かな」
「女に出てきてほしいけど、虎に違いない」
「虎に食われて、王女があとを追う。天国で一緒になるんだ」
「ばっかみたい」
「確かにばかだな」
「どちらかというと、虎が優性だな。それじゃあ、情報提供の有無、選択の有無という点で、普通の若者、王女と付き合っている若者、現代人、その4つがどんな立場にあるのか考えてみよう」
「意味がわかりません」
「わかるまで考えてね。なんでも口に出していってみよう。はい、隣同士ディスカッション」

 この話は、半未開というところがポイントだ。半未開の国では、どちらの扉にどちらがいるのか、何のヒントも与えられない。しかし、どちらかを選ぶことはできる。情報提供はないが選択はある。それが半未開な世の中の定義である。それに対し、未開な世界は描かれていないが、多分、王の一存で処刑されてしまうというような、情報も選択もない、というのが未開の世界であろう。
 そこで、王女と愛し合う若者はどうか。情報はある。王女がどちらかを指し示す。ただそれが虎なのか、女なのかはわからない。あいまいな情報である。それでは選択のほうはどうか。若者は、迷うことなく、王女が指し示した扉へ向かう。そこには一見選択はないように見える。しかし、若者は王女の指し示す方向にそむいて、逆の扉を選ぶこともできる。そう考えれば、若者は王女の指示通り進むことを「選んだ」ということもできる。微妙な選択である。
 それでは、現代人、われわれはどうか。単純に考えれば、情報もあり、選択もある。そういう世界だ。いい世の中になったもんだ。しかし、本当にそうか。情報は相変わらずあいまいである。医療の世界で考えてみる。例えば、5年生存率を15%改善します、という情報。どちらかを明確に指し示す王女からの情報に比べて、さらにあいまいになっている。選択はどうか。検診を受けさせ、がんを見つけておいて、放っておくという選択肢はすでにない。早期の胃がんです。手術しましょう。手術の危険はとても小さいものです。若者のほうが、選択の余地があるのかもしれない。
 さらに、ここでの議論で、決定的に欠けていることがある。関係性である。王女と若者のような関係性が、医師と患者の間にあるかどうか。そうであれば、情報も、選択も、もはやたいした問題ではないかもしれない。関係性によって、おのずと道は見えてくる。

 インフォームドコンセント、自己決定。なんと底の浅い言葉として利用されていることか。問題はインフォームドコンセント自体や、自己決定自体にあるのではない。医師と患者の関係性にある。関係が悪いところで、いかなるインフォームドコンセントも、自己決定も困難だ。一人決められる強者だけが生き延びていく。半未開を抜け出した、文明開化の落とし穴だ。
われわれの生きる世界は、いまだ半未開なのだ。役に立つような、立たないような情報、自分で決めているのか、決めていないのか微妙な選択。しかし、王女と愛し合う若者を支えるのは、情報でも、選択でもなく、王女との関係性なのではないだろうか。

2009年11月20日金曜日

孫からの手紙


 地域の診療所で研修中のレジデントと一緒に訪問診療に行く。

「いつまでもながいきしてください、たくやより」
孫、あるいはひ孫だろうか。文字を覚えたばかりと思われる小さな子どもからの手紙を見せる老人。
「あまり長生きしたら困るんだけどねえ。ばあちゃんがたくやより長生きしたらどうするんだろうね」

 そんな話を聞くと、もう医者の出る幕ではないなと思う。この老人は、医者の守備範囲にいる人ではない。実際の会話を想像してみる。

「ばあちゃんの一番悲しいことは何か知ってる?」
「うーん、わかんない」
「ばあちゃんが長生きして、ばあちゃん以外がみんな死んでしまうことだよ」
「たくやも?」
「そう、たくやも」
「たくや、死んじゃうの?」
「そう、たくやもいつか死んじゃうんだよ」
「死ぬのは怖い?」
「わかんない。ばあちゃんは?」
「ばあちゃんが怖いのは生き残ることだよ。死ぬのなんか全然怖くない」

 こんなことを想像していると、とんでもないことに考えが及ぶ。

「早く死んでください、丹谷起より」
「そうだよね、孫どころか、息子より長生きなんかしたら、たいへんだよね」

 実際にそんな手紙を書いたりしたらどうなるだろう。もし自分が孫からそんな手紙を受け取ったら、ぜひともこのように答えたい。しかし、現実はそんなふうには多分答えられない。答えたらとんでもないことになるだろう。

「俺に死ねというのか!」

だから多分言い方を変える。

「おばあちゃんが悲しまないように、ぼくも元気で生きるよ」

でも、要するにそれは、「おばあちゃん自身が悲しまないように、ぼくよりはやく死んでね」という意味でもある。それは言いすぎか。そういう意味が一部には含まれる。

 森繁久弥が亡くなった。もうずいぶん前に、ビートたけしが誰かの葬式のときに、そこに参列した森繁に言っていたコトバを思い出す。

「森繁、順番守れ!」

 長生きはよくない。そうはっきりと認識する。長生きよりも、順番を守ることのほうがはるかに重要だ。

「たくや、いつまでも長生きなんかできないんだよ。順番を守って死んでいくことが大事なんだ。おばあちゃんが死に、お父ちゃんやお母ちゃんが死に、そしてたくやが死ぬ。そういう順番であれば、何も怖いことはないんだよ」

 手紙をきっかけに白昼夢状態の私。在宅患者の老人が、そのように言ったような気がする。ひょっとしてこの人は、既に息子か娘を亡くしているんじゃないだろうか。そんなことを考える。
 この世に今まで生まれた人は何人なんだろう。その中で今生きている人は何人なのか。ひょっとしたらこれまでに死んだ人より、今生きている人のほうが多いかもしれない。そうだとすると、それは大変なことだと思う。この老人が、こんなふうに考えられるのは、多くの人の死を経験してきたからではないか。生きている人に対して、死んだ人の数が少ないということは、そうした経験が少ないということ。そして、それが今の世の中。

「また来週来ますから」

 研修医の声でわれに帰る。研修医に、この患者さんの子どもがどうしているのか、聞いてみようか。だめだ、まだわれに帰ってない。レジデントに同行していったい何してる。

2009年6月27日土曜日

三内丸山縄文遺跡に行く

三内丸山縄文遺跡に行ってきた。棟方志功より、寺山修司よりインパクトがあったかもしれない。何千年も前に、実はもう似たような生活をしていたのだ。家を建てて、共同の公民館のようなものを建てて、そして直径1.8mにも及ぶ栗の柱を6本も使った巨大な建造物。ただ違うのは、なにが世の中の基盤かわかっているかいないか。当然わかっていないのは、現代に生きる我々の方だ。90%の子供が10歳までに死んでしまう。平均寿命は30歳。まばらに存在する大人の墓、うず高く積み重なる子供の墓。人は死ぬということ。縄文時代の人々が子供の死に際してどうだったか。死ぬ子供がふつうの子供、そういうことだったかもしれない。そうは言っても、子供を亡くした悲しみがなかったわけはない。子供の死を受け入れることと、なんとか死なないようにという努力と、その両面が存在したという点では、今と変わりはない。しかし、その軸足は圧倒的に受け入れるという方向におかざるえない。なんといっても10歳までに9割が亡くなるのだから。現代人は、なんとか死なないですむような努力を重ねてきた。医者なんかその最たるものだ。ただそれはとても立派な仕事であるし、実際大きな成功を収めてきた。しかし、そこには自ずと限界がある。どうやっても最終的に人は死ぬからだ。縄文時代に必要だったのは、生き延びるためにどうするかということだった。そうだとすると、死なないようにする、そういう方向ばかりに行きすぎた現代に必要なのは、死ぬことをどう受け入れるか、そっちの方なのではないか。そしてその方法は、たぶん縄文人がよく知っていたことだ。
すべてを外部委託して生きるようになった現代人。生き死にまでも外部委託。確かにこれじゃあ生きられない。

2009年6月24日水曜日

ディアドクター

代診の帰り、駅で電車を待つ。待っている間でポメラを打つ。午前はかつて勤務した診療所の代診、今日もたくさんの懐かしい患者さんたちとあった。別に医者としてということでは、なんと言うことはないのだけれど、昔作手に12年も住んだということでは何かあるという気がする。ディアドクターの偽医者と自分の差はどこか。あの偽医者は、俺は偽物なんよ、ということで本当のことを語ることができる。しかし私はどうかというと、偽物なんよと言うとそれがまた嘘になる。そういう訳の分からない立場。どこまでも嘘をつき続けないといけない。なんてこった。私は本物の医者だといっても、偽物と言ったとしても、どちらにしろ嘘。免許などというのはただの紙切れにすぎない。嘘を突き通すための道具だ。僻地の医者というものは、そういう在り方以外に在りようがない。そういうところで自分の琴線に触れて、映画が冷静に見られない。全然楽しめない。いつの間にか映画の話になっている。招待券が二枚届いた。もう一度見に行くかどうか。妻と娘にくれてしまうか。もう一度みればもう少し冷静にみられるかもしれない。逆かもしれないが。自分は偽物なんよ、と言いそびれたまま、免許があることをいいことに嘘をつき続けている。そういう自分の暗部に否応なく触れる。臨床を離れ、教育と研究の仕事に移りたい、というのも、偽物のまま生き延びる方便なのかもしれない。医学教育と臨床研究、本当はそんな転向ではなくて、あの偽医者のように、給食夫にでもなれればいいのだが。そういうこと書くこと事態が、欺瞞にほかならない。そうなるともう書くこと自体が無理になってくるというのに、それでも何か書き続ける。書き続けることも、また嘘をつき続けることの一つかもしれない。

大不況には本を読む

橋本治の大不況には本を読むを読む。自分のしてきたことはこういうことであったか。たくさんのものを作る。作ったものは全部売る。医療も農業よりは工業に近い。物事には限界がある。医療ですらその限界を見失っている。農業はその限界で止まっている。商工業は、限界を見失った結果、限界に達したが、また限界がないと思いたがっている。医療はこれから限界を思い知るだろう。作ったものをすべて売れる、というセイの法則は、原理ではなく、それを正しいとして進めていくのが経済だという定義なのだ。それを正しい、つまり限界はないということを正しいとしなければ破綻してしまうもの、それが経済だ。かなりわかってきたぞ。すべきことは、本を読む、である。

この治療は有効だ、そんなことを言おうと思ったら、エビデンスを示す必要がある。そういう世の中だ。それに対して、橋本治は言う。出版は不況に強いと。それに対して世の中はどう言うか。証拠を示せと。しかし橋本治はこう答える。なにが変わったのか。誰も出版は不況に強いとは言わない。しかし変わったことはそれ自体ではない。出版は不況に強いという証拠を示せ、というようになったことが変化であると。投資の対象になるかどうか、それを示せと。それが世の中の変化であると。


医療も同じだ。その医療は投資の対象になるかどうか。エビデンスを示せと。医療は人間の生活に役立つ。それでいいではないか。そこでエビデンスを示せと言うのは、医療が投資に対象になるかどうかということである。

橋本治は相変わらず冴えまくっている。

えらい世の中である。すべて投資に値するかどうか。基準はそこだ。消費資本主義とEBMの類似点、深く考える必要がある。

健康になることなど重要ではない。不健康も含め、全体としての人のあり方。病気を避けることなどできない。問題はいかに病むかだ。病み方についての学問、それが今後の医療の一つの大きな方向性だ。

2009年3月29日日曜日

医師の教育

初期臨床研修制度が変更となった。実質13カ月の研修だけで、2年目は専門研修に充てることができる。どうしてそのような変更がなされたのか。一説によれば、臨床研修制度が、医師不足を招き、地域医療崩壊を後押ししたからだという。全く意味不明である。その上さらに、そうしたことを言い出したのは、大学医学部の関係者であるらしい。これまで臨床教育を全くないがしろにしてきた大学が今頃何を言い出すのか。研修医に給料も出さず、研修もさせず、数を量産するだけの何の役に立つかわからない研究の下働きでこき使い、そして何より、医学生の教育という最大の仕事も、まともに取り組んで来なかった人が、いったい今頃になって騒ぎ出すというのはどういうことか。

厚生労働大臣も、厚生労働省も、そういうわけのわからない人たちのわけのわからない訴えをまともに聞いたりして、いったいどういうことだ。声の大きな人の言うことが一番重要ということか。訳がわからない。

医学部は文部科学省、卒後は厚生労働省というようなわけのわからない制度は、もういい加減やめにしてもらいたい。そして医学部の役割は、医学研究者の育成ではなく、臨床医の育成であると明確にしてもらいたい。貴重な医学部の学習の期間を、国家試験というような臨床実務とほとんど関係がないような勉強に費やすのも本当に馬鹿げている。

そういう中、唯一、臨床医の育成という明確な理念で始まった初期臨床研修制度は、多くの問題点も抱えながらではああるが、そうしたわけのわからない医師教育から、ようやく一歩抜け出す貴重な試みであった。ところが、どうだ。実際に起こったことは、大きな問題のあるところは放置され、問題解決のために始まった制度だけがいじくりまわされる。これはいったいどういうことか。

変えなくてはいけないのは、臨床研修制度ではない。大学医学部そのものであり、文部科学省、厚生労働省の2つが、別々に医学教育を進めていくことにある。大学医学部は、臨床医の育成もまず第一に考えなければいけない。医学の教育でなく、職業訓練をするというような大胆な発想の転換が必要である。ただ職業訓練だけでは、良い臨床医は育たない。幅広い教養教育が不可欠である。臨床医育成のための職業訓練と教養教育、これが大学医学部がとるべき道である。

また、文部科学省、厚生労働省は、医師の教育について、一つになって取り組めるような機構そのものの改革が必要である。

でもそんな風には当分進まないだろう。実際に起こっていることはそれと逆である。初期臨床研修制度の後退、大学院の大幅な定員増大、相変わらずの学生教育と卒後教育の分離。

医療崩壊はますます進むだろう。