ここで働いています

2011年4月29日金曜日

病気の不安にまつわる昔話

 
20代の女性が、乳がんが心配だといって来院。対応する研修医に様々な訴えが止まらない。一人に一時間くらいかけて、結局は外科の外来予約、という結末。

その患者について研修医と話していて、思い出した昔の話。
研修医にはまだ話していないんだけど。

小さい頃、おしっこした後にぶるっと震えるのが、何かの病気ではないかとても不安だった。
ある日友達と、並んで立ちションベンをしていた時のこと。私がぶるっとすると、隣の友達もぶるっとする。そんなことがあって、ほかの友達にも聞いてみると、みんなぶるっとする。何だ、みんなもそうなのか。一気にそれまでの不安が解決した。

この女性も、友達と昼御飯でも食べながら、キャンディーズのスーちゃんは30代で乳がんなんだって、怖いよね。私、心配になっちゃう。えーわたしも、私も、みたいな、ことで、本当は解決できてしまうことかもしれない。

心配をなくすことは難しいけど、みんなが心配を共有できれば、それほどのことはなくなってしまう。

死ぬの怖いよね。そうだよね。こわいこわい。わたしも。私も。

関係あるようなないような話。
 

2011年4月28日木曜日

戦後の日本を作った人たちと被災後の日本を作る人たち

 
現代史にはかなり疎いのだけれど、戦後の日本を作った人というのは、一貫して戦争に反対してきた人たちではなくて、戦争を肯定してきた自分を戦後になって否定しつつ生きた人ではないかという気がするのだが、どうなんだろう。

そうだとすると、原発を進めてきた人の中にこそ、これからの日本を変えていく人がいるはずだ。

これまで原発を進めてきた人をただ非難してはいけない。特に私は以前から原発反対だったという人は、原発を進めてきた人を安易に批判してはいけないという気がする。

自分はというと、CO2より放射線の方が怖い、なんていって原発には否定的だったかもしれない。しかし、ただそれは温暖化と炭酸ガスの関係について否定的だった延長上の原発否定に過ぎない。

私は震災前から原発には反対だった、そんなことは決して言わないようにしたい。むしろ、原発に頼って、電気を使いたい放題使ってきた自分は、原発を容認してきた部類に入ると認識しなくてはいけない。まずはそこから、自分自身と原発の問題について考え始めたい。
 

2011年4月20日水曜日

地震、津波、原発事故と医療のアナロジー

 
地震は自然災害だ。コントロールするのはなかなか大変である。予知は今のところ難しい。ただ緊急地震情報のような形では情報が提供されている。さらに建物の耐震化という方向で備えることもできる。しかし、地震が起きてしまったら、あとはもうどうしようもないことが多い。

津波もそうだ。しかし地震に比べれば、津波が押し寄せるまでには時間があって、対処できることも多い。さらに防波堤などの対策もある。地震よりコントロールする手はいろいろある。しかし、今回のようなことも起こる。やはり避けられない。

それでは原発事故はどうか。これは地震や津波と違い、コントロールできるはずだった。人間自身が作ったものでもあるし、そもそも事故は起きないと言われてきた。起きたとしても対策は万全を期していたはずだった。だから、誰も地震や津波を非難しないが、東京電力には非難が集中する。

そう考えたときに、病気というのはどういうものなのか。地震なのか、津波なのか、原発事故なのか。

病気は地震や津波に近い、直感的にはそういう気がする。しかし、医学の発展が目覚ましい中、病気を少なくとも津波よりコントロールできるものとしてとらえるような方向性は確かだ。そういう意味で、一般的な認識の中では、病気は原発事故に近いというのが現実だろう。東京電力が非難を受けるように、医者や病院も非難を受ける世の中を考えれば、それもまた明らかなことだ。

それはとても不幸なことだ、と思う。
人間が作った原発であっても、人間がコントロールできるものではないことは明らかだ。ましてや病気は人間が作ったものではない。そんな自然災害とでもいうべき病気をコントロールできるというような幻想の中で生きていると、そんな幻想は必ず破られる。人間が作った原発でさえそれは幻想なのだ。

自然災害にしろ、人間が作ったものによる事故にしろ、いずれにせよ避けられるものではない。人間が作ったものだからコントロールできるというのも幻想である。
 
多くの不幸は、地震や津波や原発事故だけに起因するわけではない。それらをコントロールできるというような幻想こそが不幸の根源にあるのではないだろうか。
 

2011年4月18日月曜日

振り返りとは忘れることである

 
研修医に対して、振り返りが重要だなんて言ってるけれど、本当のことを言えば、振り返りは重要だけれど、振り返りが重要だというわけではない。
明日、初期研修医に、目標設定と振り返り、なんて話をするのだけれど、題は決まった。

「振り返りは重要だが、振り返りが重要なわけではない。思い出すことよりも忘れることが重要なのだ」
題が長すぎるが。

振り返るときに、行為をしながらの振り返りと、行為後の振り返りがあるのだが、この2つは対照的だと思う。
行為をしながら振り返りは、思い出すというより忘れる作業だ。それに対して、行為後の振り返りは思い出す作業。思い出しつつ忘れる。忘れつつ思い出す。この往復運動が、自分をどこかへ連れて行く。

で、忘れることと思いだすこととどちらか大事かと言うと、もちろんどちらも大事なのだけれど、忘れることが重要なのだ。たぶん。

どうして、そう思うかと言うと、行為をしているときには思い出してる暇などないし、思い出しているようではうまくできないからだ。

また、忘れることと思いだすこととどちらが簡単かと言うと、思い出す方が簡単だ。忘れることは実は案外難しい。
だから、振り返りと言うと、まずは行為後の振り返り、思い出すことから始める。そのために、振り返りというのは思い出すことだと思っている人がいるが、そうではない。それは振り返りの入り口に過ぎない。その後の忘れることこそ、振り返りの本質なのだ。

忘れることが振り返りだなんていっても、多くの人はわけがわからないだろう。しかし、ここが肝なのである。
行為後の振り返りも、思い出すと言いつつ、実際は何をやっているかと言うと、忘れたことを思い出しているのである。そう考えると思い出すことも案外難しい。覚えていることを振り返っていてもだめなのである。覚えていることを振り返っても、それはそこにとどまっているだけのことだ。忘れたこと、簡単には思い出せないようなことに重要なことが潜んでいる。それを思い出してこそ、違う世界が開けてくる。

そこで何が大切か。他者の存在である。忘れたことを思い出させてくれるのは、自分ではなく、他者なのだ。で、その他者というのはどういう人かと言うと、話が通じない人である。話しが通じる仲間で振り返っていてもだめなのだ。

振り返りの中で、話の通じない誰かと何か通じるような振り返りができれば、次に現場に立った時に、これまでとは違う自分が立ち上がり、これまでの何かを忘れる中で、新しい何かが立ち上がるだろう。

明日はそんな話をするのだが、私自身が、彼らにとっての話が通じないような通じるような、他者になれるかどうか。それが、これまでの自分とは話が通じない自分との間で行われた、私の今日の振り返り。
 

2011年4月17日日曜日

そうまでして生きなくてよい

 
「仁」を見ている。脚気の母に何とか治療のための玄米入りのお菓子、「道名津」を食わそうとする。そこで思い出したエピソードがある。宮沢賢治についてのエピソード。

もともと、宮沢賢治について知っているといることといえば、「雨ニモマケズ」と「眼にて云う」くらいだが、それにもう一つ知っていることがあった。それを思い出したのだ。

病床にある賢治に、両親が何とか薬を飲ませようといろいろ苦心するのだが、賢治はかたくなに薬を飲まない。細かいことは記憶にないが、薬を飲まない賢治に、両親が食事に混ぜて薬を飲ませたのが賢治にばれた時の話だ。

そのときに賢治が発した言葉は以下のようなものだったという。

「そうまでして生きなくてよい」

ドラマはまだ途中だが、母は「道名津」を食べるのだろうか。
ちょっと興味がある。
 

2011年4月11日月曜日

苦労は売ってでもするな

 
私の人生が、楽な方、楽な方を目指したものであると見破ったやつがいる。

苦労はできるだけしたくない。そう言えば別に普通のことなんだけど。

しかし、なかなかそう簡単に苦労から逃れられるわけじゃない。否応なく押し寄せる苦労を、できるだけ遠ざけて楽に暮らそうと、そう思うのは普通のことだ。

一所懸命勉強したのも、苦労したくないから。
受験勉強などという、、正直なことを言えば苦労とも呼べないようなことをして、医師になり、それによって金を得て、生きてきた。

いんちきな苦労をして、本当の苦労を買うどころか、その苦労を誰かに押し付けて生きてきた、そういう人生だったような気がする。
いんちきな苦労を買うことでカムフラージュして、真に背負うべき苦労を売り飛ばして生きてきた、といってもいい。

でも、そうやってでも生きたかったのだ。それを私は肯定したい。

苦労は買わなくても押し寄せてくる。だから心がけることは、苦労は売ってでもするな。

これでいいのだ。
 

2011年4月10日日曜日

挽歌としての医療

 
また当たり前のことに過ぎないのだけど。

道半ばにして、去らなければいけないのは、誰しも同じだ。
残されたものとして生きる、というのも誰しも同じだ。

去った人は何を思うのか、生きていたとしたら。
去った人のことを思い、残されたものは生き続ける。
しかし、生き残った者もいずれ去るのだ。
そして、別のものがまた生き残った者として生きる。

生き残った者が歌う挽歌。

挽歌を歌うのは、生き残ったものだ。そして、挽歌を聴くのは誰か。挽歌というものは、死者に向かって歌うものだ、そういうかもしれない。しかし、当たり前のことだけど、死者は挽歌を聴くことはできない。挽歌を歌うのも、聴くのも、生き残ったものだ。

医療は死を語るときに、去るものばかりに向き合ってきて、残されたものに対する関心がいまだ怪しいのではないか。こういう非常事態になって、残されたものに向き合う必要性に改めて気づく。そんな体たらく。

挽歌を歌うのも聴くのも残されたものである。医療の役割として、それはとても大きなことではないか。地震を境に改めて明らかになったことの一つだ。
 

2011年4月8日金曜日

寝たきりや孤独死の何が問題か

 
医療連携のためのグループディスカッションの分析で明らかになったこと。

病気にならないようにとか、病気を治したりとか、そういう方向で医学は頑張ってきた。そして、大きな成果を上げたと思う。

しかし、それはどうもには限界がある。

そういう中で、「キュアからケアへ」というようなことがいわれれる。

そういう中で寝たきり老人、孤独死というようなものがどのようにとらえられるか。

明確になったことは、ケアとは、寝たきりを防ぐことよりも、寝たきりに寛容であることだし、孤独死を防ぐことよりも、孤独死が受け入れられる基盤を作っていくことではないか、ということだった。

ケアとは、ボケを予防したり、進行を抑えたりとすることではなく、ボケを受け入れることだ。

こう書くとあまりに当たり前のことが明らかになったにすぎないけど、そんな当たり前のことが見失われている。だからもう一度はっきりと書いておこう。
 
寝たきりが問題ではない。ボケが問題なのではない。孤独死が問題なのではない。
それを受け入れられない世の中こそが問題なのだ。
 

2011年4月7日木曜日

新しい研修医に話す

 
卒業したての研修医たちに、「地域医療の現場で学んだこと」と題して3時間ほど話した。

死なないように医者がいるのか、死ぬから医者がいるのか。

診断することや、治療することや、予防することや、健康増進することが医療の目的だ。
しかし、診断しないため、治療しないため、予防しないためにも医療あるのではないか。

思い出す患者さんたちについて。
自分の役割が小さかった患者ばかりが印象に残っている。

医療は一部に過ぎない。
個別の医師の役割もさらにその一部に過ぎない。

全体の中での役割を踏まえつつ、提供される医療、提供されない医療、その両方が地域医療。

毎年だいたい同じことを話しているが、今年はちょっと違うことが話せたような気がする。
それは、聞き手に対し、これまでよりさらに、迷い、悩み、考えるということを強いるような結果になったかもしれない。すでに免許をもった医者としては、心もとないような状況をあらわにする。研修が始まる前の技術がないことを別にしても。

それを見方によってはお互いナイーブなだけ、大人じゃない、ととらえる人がいるかもしれない。
モラトリアムとか、子供だとか、青臭いとか、そういうことかもしれない。

確かにそういう面がある。しかし、そのナイーブさ、青臭さから始めるしか、方法はない。そういう気がする。根拠はないが。
  

2011年4月6日水曜日

いい子、悪い子そのままに

 
私には3人の子供がいるのだけれど、みんないい子だ。と書いて、そんなわけないなと突っ込みを入れる。ただ、どの子がいい子で、どの子が悪い子だなんてことは決してない。子ども一人ひとりの中にいいも悪いもすべてがある。

いい子とか、悪い子というのだけど、本当は子供がいるだけ。いいこと悪い子の区別は、子供の側にあるのではなくて、それをみている大人の側にある。別の言い方をすれば、本当はただの子供がいるだけで、いい大人、悪い大人がいるだけかもしれない。

必要悪という言葉があるけれど、本当のところどういう意味なのか。

悪が必要だから存在するというのはどうも腑に落ちない。むしろ悪がなければ善もないということではないか。善だけの世の中ができたと思った瞬間、悪が現れる、世の中とはそういうものではないか。

何か悪いものを見つけた時に、こんなものなければいい、と考えるのが普通だろうが、それをなくしたところで、本当にうまくいくのだろうか。

自分自身がすべて善でできているなんてのを想像すると、何か恐ろしい気がする。
そういう状況で学ぶというのはいったいどういうことか、考えるというのはどういうことか。
そこには、学ぶも考えるもない。

善から、悪から、何から何までこの世の中にはそろっている。世の中だけではなく、自分の子供にも、もちろん自分自身にも、すべてのものがそろっている。だからこそ、考えることができるし、学ぶことができる。

善は、悪に対して善であるが、善に対しては悪である。悪は、善に対して悪であるが、悪に対して善である。

原理主義がだめなのは、子供を見れば一目瞭然であった。
 

2011年4月5日火曜日

タバコの害について語る人たちの語り方について:他山の石として

 
多少ほとぼりも冷めたので、少し書いてみようと思う。

私が指摘したのは、喫煙者のニコチンが切れた時の問題点についてだが、指摘されるのはそこではなくて、私でない誰かが、被災者にタバコを送ったことについての部分だ。それも、私はタバコを被災地に届けることについて「否定的な意見があるが」と述べただけで、自分の意見は何一つ表明していない。

にもかかわらず、間違っているとか、自己批判せよとか、今までどういう研修医教育をしてきたのか、医者の発言とは思えないとか、ほとんど発言とは何の関係もないことばかり。

これがまず彼らの語り方である。

さらにこうした発言に対して、身内からあまり批判の声が上がらない。タバコの害を指摘するのなら、こうした一方的で礼儀を知らない発言の害についても指摘するべきではないか。
「そういう言い方はタバコと同じくらい危険だよ」とか何とか誰か言えないのだろうか。これでは議論も何もできない。

それともう一つ、専門家としての語り方。
優れた専門家ほど、非専門家に対してやさしい。それは経験的に実感している。専門を極めることの困難さについてよくわかっているからだ。
ところが禁煙の専門家を自称する人たちの一部は、専門家のはずなのに、非専門家に対して、これも知らないのか、あれも知らないのか、挙句の果てには認識不足と非難したりする。これは専門家の立場ではない。誰でもできるような容易なお勉強で身につけた知識しかないから、非専門家に対して、なんでこんな簡単に勉強できることを知らないのだという態度になる。2年目の研修医が1年目に威張るようなものである。
私はこのような専門家に決してコンサルトしたくない。

さらにもう一つ、専門家は専門以外のことについてはあまり知らないということをよくよくかみしめるべきだ。タバコ以外にどれくらい知っているのか。医学以外についてどれくらい知っているのか。ツイッターで標的にしている人についてどれくらい知っているのか。たぶん私についてはほとんど何も知らないでしょう。たとえば、私にとっての神の一人が深沢七郎であることなど、知りようがない。

ここから得られる教訓は以下のようなものだ。

・人の話をよく聞くこと、書いたものをよく読むことが重要
・敵に対して厳しいのもいいが、味方や自分に対して厳しくすることこそ重要で困難なことだ(自己批判とはそういうことでしょう)
・専門家は非専門家に対して寛容である。寛容でないとしたらそれは専門家ではない
・専門以外は知らないということを肝に銘じる

こういうことを箇条書きでまとめるのはどうか、ということはあるが、こういうふうに書かないとわかりにくいかもしれないという親ごころである。もちろんそれはこれを読まない人たちに向けた親ごころではあるが。
 
 

2011年4月3日日曜日

3.11以降

 
何かが変わったかと言われれば、確かに変わった。しかし、本当にそうだろうか。

想定外のことは起きる。
地震は起きる。
津波は起きる。
放射能は漏れる。
人は死ぬ。

自分自身かつてこんなことを書いていたりする。

病気を何とかコントロールしようと医学は大きな進歩をしてきたけれど、まだまだなかなかそれも困難だ。
そして、そんなことはすでに日々実感していたことだ。
地震のコントロールも、津波のコントロールも、原発のコントロールも同様ではないか。
それがコントロール不能であることは前からわかっていたことだ。

コントロール不能な中で、どうするか、今も昔も、やっているのはそういうことだ。
特別な問題に向き合っているわけではない。

どうすればいいのかわからない。わからない中でやるしかない。
こうすればいいのだ、そういうのは、すべて甘い言葉だと疑おう。
眠られるゆりかごは売ってないのだ
 
 

恥ずかしい

 
タバコに関するTwitterでのやり取りで、こちらの書いたことなど全然読まれず、勝手なことばかり言われ、ひたすら非難される。それに対して、めんどくさいのでやり取りを打ち切って、あまり建設的でないことをブログに書いて、その後どうなるんのかと思っていたら、意外な展開だった。

意外な展開の中で、私の気分はどうかと言うと、ただ、恥ずかしい。

岩田先生は、私の「ためらう」のパクリだというがとんでもない。
今度は私がこの「語り口」をぱくって、もう少しうまくやりたいものだ。
 

2011年4月1日金曜日

とかくこの世は発言しにくい

 
被災地へのたばこの差し入れの話を枕に、被災地の喫煙者がタバコが無くなり、ニコチンが切れて大変だろう、対処が必要だとTwiiterで発言したら、えらいことになった。

間違ってる、自己批判しろ。激怒という感じ。
禁煙指導のなかであなただって、ニコチン中毒に対処してるだろうに。勘違いも甚だしい。

それと、自己批判しろと言われても、他人から言われては自己批判のしようもないんだけど。大体私は全共闘世代じゃなく、新人類世代とそのはざまの世代だ。

なかにはちゃんと読んで、ニコチンパッチとかガムとかが必要かもなんて反応もあったのだが、大部分は非難の嵐。

感情的な反応は、ある意味、感情的になっているんだなとわかりやすく、反応しやすい。実際こういう人は案外いい人だったりする。少なくとも臨床家として、ガンガン働くタイプだと思う。まあそれはもちろん一般論だけど。

一番相手をしたくないのは、冷静にねちねち来る人。言葉の定義がどうとか、学術用語として使い方が間違っているとか、いろいろ教えてくれる。挙句の果てには、この本を読んでさえくれたらとか(まあその本は磯村毅先生の本で実際は読んでみてもいいんだけど)。いつまでたっても受験勉強から抜け出せないタイプ。もちろんこれも一般論だ。本人がどうかは知らない。いい参考書があるからこれで勉強してみたら? 大きなお世話だ。こっちは受験勉強は嫌いなんだ。

自分は正しく、相手が間違っている、こういう構えの人とは話したくない。
こういう場合には、構造構成主義を基盤に、関心相関的に、こっちの判断を停止して、この人のコトバ、現象、実体とたどってみればいいのか。いまいち使えていないな。

とかくこの世は発言しにくい。

発言しにくい世の中は最も恐ろしい世の中の一つだ。