2011年4月18日月曜日
振り返りとは忘れることである
研修医に対して、振り返りが重要だなんて言ってるけれど、本当のことを言えば、振り返りは重要だけれど、振り返りが重要だというわけではない。
明日、初期研修医に、目標設定と振り返り、なんて話をするのだけれど、題は決まった。
「振り返りは重要だが、振り返りが重要なわけではない。思い出すことよりも忘れることが重要なのだ」
題が長すぎるが。
振り返るときに、行為をしながらの振り返りと、行為後の振り返りがあるのだが、この2つは対照的だと思う。
行為をしながら振り返りは、思い出すというより忘れる作業だ。それに対して、行為後の振り返りは思い出す作業。思い出しつつ忘れる。忘れつつ思い出す。この往復運動が、自分をどこかへ連れて行く。
で、忘れることと思いだすこととどちらか大事かと言うと、もちろんどちらも大事なのだけれど、忘れることが重要なのだ。たぶん。
どうして、そう思うかと言うと、行為をしているときには思い出してる暇などないし、思い出しているようではうまくできないからだ。
また、忘れることと思いだすこととどちらが簡単かと言うと、思い出す方が簡単だ。忘れることは実は案外難しい。
だから、振り返りと言うと、まずは行為後の振り返り、思い出すことから始める。そのために、振り返りというのは思い出すことだと思っている人がいるが、そうではない。それは振り返りの入り口に過ぎない。その後の忘れることこそ、振り返りの本質なのだ。
忘れることが振り返りだなんていっても、多くの人はわけがわからないだろう。しかし、ここが肝なのである。
行為後の振り返りも、思い出すと言いつつ、実際は何をやっているかと言うと、忘れたことを思い出しているのである。そう考えると思い出すことも案外難しい。覚えていることを振り返っていてもだめなのである。覚えていることを振り返っても、それはそこにとどまっているだけのことだ。忘れたこと、簡単には思い出せないようなことに重要なことが潜んでいる。それを思い出してこそ、違う世界が開けてくる。
そこで何が大切か。他者の存在である。忘れたことを思い出させてくれるのは、自分ではなく、他者なのだ。で、その他者というのはどういう人かと言うと、話が通じない人である。話しが通じる仲間で振り返っていてもだめなのだ。
振り返りの中で、話の通じない誰かと何か通じるような振り返りができれば、次に現場に立った時に、これまでとは違う自分が立ち上がり、これまでの何かを忘れる中で、新しい何かが立ち上がるだろう。
明日はそんな話をするのだが、私自身が、彼らにとっての話が通じないような通じるような、他者になれるかどうか。それが、これまでの自分とは話が通じない自分との間で行われた、私の今日の振り返り。
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