2011年4月1日金曜日
とかくこの世は発言しにくい
被災地へのたばこの差し入れの話を枕に、被災地の喫煙者がタバコが無くなり、ニコチンが切れて大変だろう、対処が必要だとTwiiterで発言したら、えらいことになった。
間違ってる、自己批判しろ。激怒という感じ。
禁煙指導のなかであなただって、ニコチン中毒に対処してるだろうに。勘違いも甚だしい。
それと、自己批判しろと言われても、他人から言われては自己批判のしようもないんだけど。大体私は全共闘世代じゃなく、新人類世代とそのはざまの世代だ。
なかにはちゃんと読んで、ニコチンパッチとかガムとかが必要かもなんて反応もあったのだが、大部分は非難の嵐。
感情的な反応は、ある意味、感情的になっているんだなとわかりやすく、反応しやすい。実際こういう人は案外いい人だったりする。少なくとも臨床家として、ガンガン働くタイプだと思う。まあそれはもちろん一般論だけど。
一番相手をしたくないのは、冷静にねちねち来る人。言葉の定義がどうとか、学術用語として使い方が間違っているとか、いろいろ教えてくれる。挙句の果てには、この本を読んでさえくれたらとか(まあその本は磯村毅先生の本で実際は読んでみてもいいんだけど)。いつまでたっても受験勉強から抜け出せないタイプ。もちろんこれも一般論だ。本人がどうかは知らない。いい参考書があるからこれで勉強してみたら? 大きなお世話だ。こっちは受験勉強は嫌いなんだ。
自分は正しく、相手が間違っている、こういう構えの人とは話したくない。
こういう場合には、構造構成主義を基盤に、関心相関的に、こっちの判断を停止して、この人のコトバ、現象、実体とたどってみればいいのか。いまいち使えていないな。
とかくこの世は発言しにくい。
発言しにくい世の中は最も恐ろしい世の中の一つだ。
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2 件のコメント:
いずこにも原理主義者はいるものです。たたかれ強くやってください。
ありがとうございます。たたかれ弱いんですよね。ただ強くなるのもなんだかで、弱いままでどこまでいけるかがんばってみます。
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