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2011年4月5日火曜日

タバコの害について語る人たちの語り方について:他山の石として

 
多少ほとぼりも冷めたので、少し書いてみようと思う。

私が指摘したのは、喫煙者のニコチンが切れた時の問題点についてだが、指摘されるのはそこではなくて、私でない誰かが、被災者にタバコを送ったことについての部分だ。それも、私はタバコを被災地に届けることについて「否定的な意見があるが」と述べただけで、自分の意見は何一つ表明していない。

にもかかわらず、間違っているとか、自己批判せよとか、今までどういう研修医教育をしてきたのか、医者の発言とは思えないとか、ほとんど発言とは何の関係もないことばかり。

これがまず彼らの語り方である。

さらにこうした発言に対して、身内からあまり批判の声が上がらない。タバコの害を指摘するのなら、こうした一方的で礼儀を知らない発言の害についても指摘するべきではないか。
「そういう言い方はタバコと同じくらい危険だよ」とか何とか誰か言えないのだろうか。これでは議論も何もできない。

それともう一つ、専門家としての語り方。
優れた専門家ほど、非専門家に対してやさしい。それは経験的に実感している。専門を極めることの困難さについてよくわかっているからだ。
ところが禁煙の専門家を自称する人たちの一部は、専門家のはずなのに、非専門家に対して、これも知らないのか、あれも知らないのか、挙句の果てには認識不足と非難したりする。これは専門家の立場ではない。誰でもできるような容易なお勉強で身につけた知識しかないから、非専門家に対して、なんでこんな簡単に勉強できることを知らないのだという態度になる。2年目の研修医が1年目に威張るようなものである。
私はこのような専門家に決してコンサルトしたくない。

さらにもう一つ、専門家は専門以外のことについてはあまり知らないということをよくよくかみしめるべきだ。タバコ以外にどれくらい知っているのか。医学以外についてどれくらい知っているのか。ツイッターで標的にしている人についてどれくらい知っているのか。たぶん私についてはほとんど何も知らないでしょう。たとえば、私にとっての神の一人が深沢七郎であることなど、知りようがない。

ここから得られる教訓は以下のようなものだ。

・人の話をよく聞くこと、書いたものをよく読むことが重要
・敵に対して厳しいのもいいが、味方や自分に対して厳しくすることこそ重要で困難なことだ(自己批判とはそういうことでしょう)
・専門家は非専門家に対して寛容である。寛容でないとしたらそれは専門家ではない
・専門以外は知らないということを肝に銘じる

こういうことを箇条書きでまとめるのはどうか、ということはあるが、こういうふうに書かないとわかりにくいかもしれないという親ごころである。もちろんそれはこれを読まない人たちに向けた親ごころではあるが。
 
 

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