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2011年5月4日水曜日

「廃墟の中から」を読んだ

 
震災を前後して読んだ。
本を読む暇があれば支援に行くべきだったかもしれない。
鶴見俊輔編著、ちくま学芸文庫での復刻版。

「敗戦の予感、戦後未来への希望、占領、引揚、闇経済化の生活、そのどれをとっても、日本人の体験は、大きなふりはばをもっているその全体をえがくのに、一つの社会の成員全体に共通な一つの履歴のかたちを求めて平均的生活歴としてとらえることはむずかしい。」

「反対に、大きなふりはばの中のもっとも周辺的な部分の記録を、できるだけもれなくさがし、周辺をえがくことをとおして中心部を想定する方法をとることが、戦後の状況に適している。」

そんな中で印象に残った場面。
敗戦の日のある農村でのやりとり。

「坂下の田園で一人の農民が田の除草をしている。背に青草をのせて陽を防いでいる。『戦が負けんたんだよう』あぜ道から声をかけた。『知ってるよ。戦が負けたって日本人は米を食わねいで生きていられめい』農夫は屈んだ腰も上げない。これも日本人である」

東京の焼け野原、そこに浮浪者の町ができる。そこで、「蟻の会」という社会契約が作られる。

「蟻の会とは『人間の屑』とさげすまれている浮浪者同士で、お互いに励ましあいつつ、自力で更生してゆこうとする会です。蟻はあんなにも小さなくせに、働きもので、ねばり強く、しかも夏の間にしっかり蓄えておいて、冬になるとあたたかい巣のなかにこもってらくらくと暮らします。それにくらべると、一日雨が降ってもすぐ飢えなければならないルンペンの生活は、蟻以下ではありませんか。昔、二宮尊徳は、大洪水で田畠も家財もことごとく流されたときに、『天地開闢のころ、何の経験も道具もなしに、はじめて畑をつくった祖先のことを思えば、再起するのは何でもない』といいました。私も裸一貫のルンペンになりさがったとはいうものの、蟻の生活のことを思えば、自分たち自身の更生どころか、祖国日本の更生だってできないはずはないと信じます。」

抜き書きしたい部分が満載である。

平均値でなく、「ふりはば」ということについて、しばらく考えたい。
 

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