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2011年5月15日日曜日

笛吹川の書評

 
文庫化された笛吹川の書評が読売新聞に載っている。

「おそろしい小説」だと。
「無慈悲な反復を無慈悲なまでに律義に描く」と。
「醒めた眼が、輝く」と。

おそろしくないし、無慈悲ではないし、醒めていない、というふうにしか読めないのだが、なぜそういうことになるのか。

今の世の中の方がよほどおそろしいし、無慈悲だし、醒めている、どう考えてもそうとしか思えない。

だからこそ、深沢七郎が見直されるのか。
この書評を書かせたものは何か。こういう書評を書く人は、基本的には深沢七郎になど興味を持たない人のような気がする。そういう人が興味を持つというのはどういうことか。
書評を書いている側が、無意識の中で、何かに押されて、何か混沌とした中に、これからこぎだそうということか。私の印象とまるで正反対な書評は、これから何かが始まる予兆かもしれない。

風流夢譚が書店で売られるような時代が来るとは思えないが、極楽まくらおとしやみちのくの人形たちなどは、笛吹川に続いて世に出てくるかもしれない。
どんなふうに取り上げられるのか。やはり「おそろしい」か。

西村賢太が芥川賞をとるし、世の中は動いているのか動いていないのか。

何かよい方向に動いているのではないか。
あまりに楽観的な観測かもしれないが、そういう気がする。
 

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