ここで働いています

2011年9月8日木曜日

複雑な問題と単純な問題

 
問題には単純な問題と複雑な問題があるというと、確かにそういう気もするが、それは大きな勘違いだと思う。

多くの場合、問題そのものにアプローチできておらず、単純にアプローチできた場合には単純な問題といい、そうでない場合に複雑な問題というのだ。

物自体と同様、問題自体ということだ。それをとらえるためには、神の視点が必要だ。しかし、神は何も答えない。人間が向き合うしかない。
人間が向き合う以上、認識や解釈の問題を抜きにして、単純、複雑といっても、何も明らかになってはいない。認識や解釈はアプローチの方法の反映に過ぎず、問題そのものを表してはいない。

複雑な問題に対するアプローチというのは、諸刃の剣だ。そうしたアプローチを始めると、すべての問題を複雑化してしまう可能性がある。もちろん単純な問題に対するアプローチも、すべての問題を単純化してしまう危険をはらむ点で同じである。

かぜの患者に解熱鎮痛薬を出すというのは単純な問題か複雑な問題か。
出せばいいんだよと単純化するのも一つだし、効果のエビデンス、害のエビデンス、患者の希望、患者の負担、社会の負担と複雑化の中で考えることもできる。

複雑な問題に対するアプローチ方法と、単純な問題に対するアプローチの使い分けこそが、複雑な問題に対するアプローチ方法である、という方が、アプローチの重要な側面をよく表していると思う。

無理やり問題を探してはいけない。そこにある問題に向き合うこと。
単純なアプローチが可能でないかどうか考えること。複雑なアプローチでかえって状況を悪くする危険も考慮すること。

JIM9月号はそういう意味でいろいろ考えさせられた。いい雑誌だ。頼りになる。

0 件のコメント: