2010年9月9日木曜日
勝手にどうにかなる
世の中というのは基本的にはめちゃくちゃで、あらゆることが起きる。
その代わりと言っては何だが、結局は何とかなる。
そういう世の中の基本的な仕組みについて、もう一度深く知る必要がある。
すべてがうまくいくという世の中はない。
どうにもならない世の中というのもない。
うまくいくというのも、よくよく考えるとうまくいっているのかうまくいってないのかよくわからないところもある。
ペニシリンの発見、ということがなければ、耐性菌もない。
何だ、院内感染の話か。そうでもないんだけど。
ペニシリンで肺炎が治った、というのも治らないということとセットでしかあり得ない。治るということと治らないということは一つのことだ。
思い出すのは、どうしてかよくわからないけど、みにくいあひるの子の定理。
あらゆる二物は似ているというやつだ。これは数学的に証明されているというが、情緒的にも証明されている。
人間と小石は似ている。人間も小石もひとつのことだ。区別はない。
時が流れてしまえば。時は必ず流れるから、区別はない。
世の中というものに姿はないのだと思う。
時が流れているということ。
耐性菌が出るまでになった世の中は、それはそれで評価できるところもある。
みんな細菌と戦って頑張った結果だ。
でも戦わないという選択肢だってあるんだ。
それもまたそれで評価できるところがある。
全部評価できる、ということだ。ただ評価できるというと、やはりそのうち全部ということが無くなる。評価できることとできないことに分けられていく。
とりとめもなくいろいろ起こるのだが、本当は何も起こらないといってもいい。
とりとめがないというと、何か整理したい気持ちが出てくる。そこが落とし穴だ。
とりとめがないというところで止めることは難しい。
いっそのこと何もないというところまでいければ。あるいはすべてあるというところまでいければ。
ただすべてがあるというのは、誤解しやすい。
可能なことがどんどん増えている、そのうち全部が可能になると思うかもしれないが、そうではない。そういう意味では、相変わらず何もない。それを全部あると呼べるかどうか。
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