ここで働いています

2010年9月14日火曜日

カズイスチカ

  
また抜き書き。森鴎外「カズイスチカ」
医者の父に対して、父が一瞥で患者の予後を言い当てるようなことは自分では到底できないという。しかし違いはそれだけではない。

<翁の及ぶべからざる処が別に有ったのである。
 翁は病人を見ている間は、全幅の精神を持って病人を見ている。そしてその病人が軽かろうが重かろうが、鼻風だろうが必死の病だろうが、同じ態度でこれに接している。盆栽を玩んでいる時もいる時もその通りである。
 花房学士は何かしたい事もしくはする筈のことがあって、それをせずに姑らく病人を見ているという心持である。それだから、同じ病人を見ても、平凡な病人だとつまらなく思う。Intressantの病症でなくては飽き足らなく思う。また偶々所謂興味ある病症を見ても、それを研究して書いて置いて、業績として公にしようとも思わなかった。勿論発見も発明も出来るならしようとは思うが、それを生活の目的だとは思わない。始終何か更にしたい事、する筈の事があるように思っている。しかしそのしたい事、する筈の事はなんだかわからない。>

父である翁は、したい事、する筈の事を持っていないし、息子は持っている。持っていないことが重要だ。心当たりはたくさんある。

夢なんか持つな。そんなな風に言っても決して伝わらないことが、こうしたことで父から息子へ受け継がれる。
だから、自分も息子に、「夢を持つな」なんてわけのわからないことは言わないようにして、とりあえず「夢を持て」、というのだが、息子は、そんなもの持てるわけないだろ、という感じで何の返事もない。しかし、来春からは就職である。やりたいとか、やりたくないとか、そんなことにかかわらず、結構立派に働くのかもしれない。いまどきの若者侮りがたしである。

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