ここで働いています

2010年9月14日火曜日

今死んじゃってもいいんだけどね

 
世界で一番長生きな人たちが、今日も健康に関する不安でいっぱいになって病院を訪れる。
そんな患者さんについての話をしている中で、こういう不安を理解するのは難しい、30も40歳も若い自分だって、今だってもう死んでもいいと思ってるんだけどね、そんな風に言うと、たいがいみんな、そんなこと言って、誰もそんな悟りの境地なんかに立てませんよ、と会話が途切れる。しかし、途切れた会話を無理やりつなげる。

別に悟ってなんかいないんだ。それなりに合理的、打算的に考えた結果なんだけど。
別に今死んじゃってもいいんだけどね、なんていうと、またそんなこと言ってなんて、今のように相手にされない。確かにそうだ。
しかし、だ、逆に、自分こそは生きるべき人間だ、なんていうのを聞いたらどう思うか?
それもまた頭がおかしいと思うだろう。が、そう聞いた後で、今死んじゃってもいいんだけどね、と聞きけば、今度は死んじゃってもいいというのが少しは理解される。

高齢化社会では、今死んじゃってもいいんだけどねという人の方が、一般に若い人の人気が高い、はずだ、と思うのだけど、本当のところどうかわからない。若い人は遠慮して、そうはっきりとは答えないだろうから。

こうまで若者に嫌われたい老人が増えたのはなぜか、病院で働いていると、そういう気がするのだが、それは病院という場所による選択バイアスか。

わたしは若者に嫌われないためといって、今死んじゃってもいいんだけどね、なんて、50歳にもならないうちから人気とりをしているのだが、それは日々を楽しく暮らすためには、かなりいけてる方法のような気がする。

今から寝るんだけど、朝目覚めるかどうかなんて、本当はわかったことじゃない。どうしようもないことを心配するよりは、目覚めない朝を想像しながら眠るなんてのは、どうだろう。確率的にいえば、また目覚める可能性が圧倒的に高いわけだけど、そういう可能性の高い方ばかりに賭けているから、全然人生がおもしろくならない、そんな風に思うのだけど。

というわけで、目覚めない朝を想像しながら、寝ることにする。
 

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