高瀬舟を読んだら意外な記述に行き当たった。
<従来の道徳は苦しませて置けと命じている。しかし医学社会にはこれを非とする論がある。すなわち死に瀕して苦しむものがあったら、楽に死なせて、その苦を救って遣るが好いと云うのである。>
安楽死は医学の対立軸から出てきたわけではなく、医学そのものに起源をもつのだ。
しかしよくよく考えてみれば苦しみから救うというのは、昔から一貫した医学の目的だ。何も変わってはいない。だとすると変わったのは何か。
<従来の道徳は苦しませるなと命じている。しかし医学社会にはこれを非とする論がある。すなわち死に瀕して長生きの可能性があるなら、その可能性に賭け、なるべく延命をするのがよいというのである。>
生命の尊厳、とかいうのであるが、尊厳というような言葉で、むしろ延命を選んでしまう。
生きてさえいれば、それが一番である。それはそれでまた大事な考え方だが。
もうひとつ意外なこと。高瀬舟の前半は、喜助の明るい未来というような内容が書かれている。
高瀬舟の喜助が、明るい未来を感じながら、島流しの刑に向かう。
高瀬舟という小説は、「足るを知る」ということが一番大きなメッセージなのかもしれない。死んだ弟だって、何か満足があったのではないだろうか。
満足することのない、私たち。
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