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2009年11月20日金曜日

孫からの手紙


 地域の診療所で研修中のレジデントと一緒に訪問診療に行く。

「いつまでもながいきしてください、たくやより」
孫、あるいはひ孫だろうか。文字を覚えたばかりと思われる小さな子どもからの手紙を見せる老人。
「あまり長生きしたら困るんだけどねえ。ばあちゃんがたくやより長生きしたらどうするんだろうね」

 そんな話を聞くと、もう医者の出る幕ではないなと思う。この老人は、医者の守備範囲にいる人ではない。実際の会話を想像してみる。

「ばあちゃんの一番悲しいことは何か知ってる?」
「うーん、わかんない」
「ばあちゃんが長生きして、ばあちゃん以外がみんな死んでしまうことだよ」
「たくやも?」
「そう、たくやも」
「たくや、死んじゃうの?」
「そう、たくやもいつか死んじゃうんだよ」
「死ぬのは怖い?」
「わかんない。ばあちゃんは?」
「ばあちゃんが怖いのは生き残ることだよ。死ぬのなんか全然怖くない」

 こんなことを想像していると、とんでもないことに考えが及ぶ。

「早く死んでください、丹谷起より」
「そうだよね、孫どころか、息子より長生きなんかしたら、たいへんだよね」

 実際にそんな手紙を書いたりしたらどうなるだろう。もし自分が孫からそんな手紙を受け取ったら、ぜひともこのように答えたい。しかし、現実はそんなふうには多分答えられない。答えたらとんでもないことになるだろう。

「俺に死ねというのか!」

だから多分言い方を変える。

「おばあちゃんが悲しまないように、ぼくも元気で生きるよ」

でも、要するにそれは、「おばあちゃん自身が悲しまないように、ぼくよりはやく死んでね」という意味でもある。それは言いすぎか。そういう意味が一部には含まれる。

 森繁久弥が亡くなった。もうずいぶん前に、ビートたけしが誰かの葬式のときに、そこに参列した森繁に言っていたコトバを思い出す。

「森繁、順番守れ!」

 長生きはよくない。そうはっきりと認識する。長生きよりも、順番を守ることのほうがはるかに重要だ。

「たくや、いつまでも長生きなんかできないんだよ。順番を守って死んでいくことが大事なんだ。おばあちゃんが死に、お父ちゃんやお母ちゃんが死に、そしてたくやが死ぬ。そういう順番であれば、何も怖いことはないんだよ」

 手紙をきっかけに白昼夢状態の私。在宅患者の老人が、そのように言ったような気がする。ひょっとしてこの人は、既に息子か娘を亡くしているんじゃないだろうか。そんなことを考える。
 この世に今まで生まれた人は何人なんだろう。その中で今生きている人は何人なのか。ひょっとしたらこれまでに死んだ人より、今生きている人のほうが多いかもしれない。そうだとすると、それは大変なことだと思う。この老人が、こんなふうに考えられるのは、多くの人の死を経験してきたからではないか。生きている人に対して、死んだ人の数が少ないということは、そうした経験が少ないということ。そして、それが今の世の中。

「また来週来ますから」

 研修医の声でわれに帰る。研修医に、この患者さんの子どもがどうしているのか、聞いてみようか。だめだ、まだわれに帰ってない。レジデントに同行していったい何してる。

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