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2010年12月27日月曜日

不敬文学論序説

 
とても自分の能力で読み込めるような本ではなかったが、自分にとっても切実な問題が取り扱われていることだけはわかる。

深沢七郎からつながって手にした本だが、意外なところへ連れて行かれた。

考えてみれば、医療も健康追求教の教祖のもとにあり、それに背くことは不敬にあたる。その不敬が、きわめて巧妙にコントロールされる。決して不敬に対する罰があるわけでもないのに、信者が勝手に罰があるかのようにふるまってしまうことで、不敬罪なんかなくても、勝手に制御される高度な仕組みができている。恐るべし、健康追求教。

天皇制の中で小説を書くとはどういうことかというのと、とことん死を避けようとする中で、必ず死ぬ将来へ向けて医療を提供するとはどういうことなのか、というのは、とても似ている。

本来なら、天皇制は避けることができるし、小説は自由に書けるはずだ。
同じように、死を避けることなどできないが、死ぬ中で何かをなすということは可能なはずだ。

しかし、現実は、天皇制の中で小説は自由を奪われるし、死を避けることで生の自由が奪われている。

これから死ぬまで考え続けなくてはいけない課題の一つだと思う。
 

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