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2011年6月14日火曜日

時間

 
人はそれぞれ固有の時間というものをもっている。
生まれて、生き、死ぬ、ということはその人固有の時間の中にある。

固有の時間と固有の時間が出会うことを偶然という。それは決して必然ではない。
必然と言うからには、それぞれの時間が固有のものでなく、お互い関係するものだという前提がある。

誰かとどこかで必ずぶつかるという意味では必然かもしれないが、それは誰でもよいし、どこでもよいぶつかりの一つに過ぎないと思う。

診察室で、訪問診療の場で、医者の固有の時間と患者の固有の時間がぶつかる。それもまた偶然がなせる技だ。

その現場において、言葉をやり取りすると、誰の時間かわからなくなったり、時間が止まったりする。

たとえば、「血圧高いですよね」と医者が言う時、患者が「脳卒中になるのは困ります」という時。

本当は、そこには固有の時間が流れているはずなのに、誰の時間だがわからない時間におきかえられている。さらには、時間は止まり、血圧を下げて脳卒中を予防するという一本道だけが設定される。そこには時間はない。

本当は「言葉は時間を生み出す形式」なのだ。
医学用語を使う時、それはお互いの固有の時間とは関係ない話をしているにすぎない。
それぞれの時間はそれぞれの自然の言葉を使わなければ表現できない。
しかし、診察室の中では、自然言語ですら、時間を失っている。

どこかに転がっている言葉ではなく、医者自身の言葉であり、患者自身の言葉で語られない限り、固有の時間は取り戻せないし、時間は動き出さない。

そんな言葉のやり取りができるように、診察室を、在宅の場を、準備したい。

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