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2011年3月1日火曜日

京大入試問題投稿事件から考えたこと

 
ここにはなかなか興味深い問題がある。
不正という部分についてはその通りだし、よくやったというつもりはまったくないが、不正という部分をあえて無視して考えると、いろいろ見えてくるものがある。

むしろ、不正という部分で思考停止になってはいけない。不正だからこれ以上考えることはないというような判断を停止して、ちょっと考えてみる。思考停止ではなく、判断停止して思考開始。

EBMなんてのは、誰かの回答を参照しながら、問題解決に当たる方法で、今回のやり口はEBMの実践につながる部分がある。情報収集という点で、自力で解決を見出すだけでなく、他に知っている人の情報を集めるというのはEBMの手法と重なる。さらに、集められた情報が信ずるに足る情報かどうか吟味できる能力があれば、批判的吟味のステップもクリアできているという面がある。寄せられた回答が正解かどうかチェックするレベルの能力があれば、それはそれでそれなりの能力だ。さらに、その正しい解答を世の中へ向けて正しく利用できれば、患者への適用という部分につながる。ただ今回のことで言えば、入試における不正という適用で、まあ許されることではないわけであるが。

自分自身が日々行っていることは、診察室にパソコンを持ち込んで、似たような患者の問題について、何か使えそうな情報がないかどうか検索し、その情報を吟味し、個別の患者に生かせないかどうか検討してみる、なんてことである。こういう能力は、時間内に自力で入試問題は解くというのとは別次元の能力で、今の入試制度ではあまり考慮されていない。しかし、実社会においては、自力で入試問題を解く能力より、案外使える能力だったりする。

受験勉強を得意とする人たちが多い医者の世界において、これまでの勉強したことだけを何とか使って問題解決するということに長けている分、あたらしく勉強を追加して解決するというのは苦手な面があるのかもしれない。EBMが普及しないのには、こういう背景があるのかもしれない。

これまでに身に付けたことの範囲で自力で問題を解決するトレーニングをしつつ、その場で新たに情報収集しつつ、あらゆる手段を用いて解決する方法にも習熟する。それはよい医師を育てるために重要な2つの部分だと思う。

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