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2011年3月7日月曜日

寛容と可能性に賭ける

 
高橋源一郎のツイッター@takagengenは寝不足になって困る。
ねたは京大入試の事件だが、論じられていることは、はるかに広いテーマだ。

寛容と可能性に賭ける。
医者も患者も同じだと思う。

ただ、可能性というときに、あらゆる可能性を考えるのが重要。
よくなる可能性だけを考えてはいけない。
あるいは、「よい結果でなくてもよい、受け入れることが出来る」という可能性まで含めるといったほうがいいだろうか。

以前のtwitterでの「子どもに脳炎の後遺症が残るかもしれないということを受け入れることが出来たときに幸福感を感じた」というようなつぶやきを思い出す。その話とつながっている。

あらゆる可能性の考慮を可能にするための寛容性。
よくならない可能性、よくなる可能性、どちらも受け入れられる寛容性。
よくならなくてもよいといえる寛容性。

禁煙に失敗し続ける患者。
甘いものがやめられない糖尿病患者。
認知症が徐々に進行する患者
進行ガンの患者。

カンニングした予備校生に対して、法律にそむいたのだから逮捕されて当然で、また逮捕が法律に照らして正当だとしても、それでも予備校生の可能性に賭けるという人がいてもいいだろう。そういう考えを医学に重ね合わせたときに、どう考えることが出来るか。

医学的に不合理な行動をとるとしても、医者は法律家ではないのだから、寛容さを持ちやすい。
しかし、医学を法律のように運用する危険は高い。そこに注意を払いながら、患者が科学的理論、事実にそむいているのだからよくならなくて当然なのだ、とは決して言わない。

寛容と可能性に賭ける、常に心に留めておきたい。
 

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