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2009年12月17日木曜日

なんだかわからない

なんだかわからない。わかるわけがないのだけれど。ただはっきりしているのは、死ぬということ。それ以外はわけがわからない。取り留めもなく書き始めて、さらになんだがわからない。

複雑系、カオス、わけがわからないということを、多少はわけがわかるようにしてくれる言葉。でもそれって、わけがわからないってことと同じだ。単なる言い換えにすぎない。わけがわからないということをさらにカオスなんてさらにわけのわからない言葉に置き換えただけ。そういう意味では、「わけがわからない」といった方がことの本質をよくとらえている。


研修医たちと、生物心理社会モデルなんてことについてSkypeで会議したのだけれど、それこそわけがわからない。生物心理社会モデルは線形モデルではない。心身二元論ではない。還元主義ではない。冷静な観察者によって記述されるものではない。それではいったい何か。複雑系だ、カオスだ、というのであるが、要するにわけがわからないということである。


そういう流れで、当然議論自体もわけがわからなくなる。

パーキンソンの患者が題材である。たとえば、次男の事故死が、患者の転倒増加を引き起こしている、そんな考察がされる。それは、線形モデルだ、とつっこみを入れる。そんなことで転倒の増加が説明できてたまるか、というのが生物心理社会モデルである。じゃあどう説明できるのか。説明しないのである。説明でなく、なにをするのか。よくわからない。わからないままにとにかく使ってみるのである。めちゃくちゃに。次男が天国から母親を呼んでいるのだなどと。しかしそれも線形モデルか。宗教は基本線形モデルだ。信仰により天国にいける。まさに線形、還元主義。


そこでやはりソシュールである。対応の恣意性、文節の恣意性、連辞関係、連合関係、しかしそうなるともうますますわけがわからない。わからないままに時間が過ぎる。もうバスに乗らなくちゃいけない時間だ。それでは、バスの時間なので、これで失礼します、と研修医たちを置き去りにする。


というところですべてを置き去りにして、ここで筆を置く。

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