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2011年2月20日日曜日

共通体験を欠く病気の定義の恐ろしさ

 
100人糖尿病の人がいれば、100通りの糖尿病がある。病気を診ずに人を診なさい、というのも同じようなことだろうか。

しかし、現代の病気の落とし穴は、こういうところにこそあるのではないか。

個別性を重視するあまり、ひとつの病気もばらばらになり、ひとつにまとめる動きが必要。無理に一つにまとめるから恣意的になる。一般的に記述が、共通体験が薄いためどうしても偏ったものになる。

たとえば、戦争体験、というのは、ある世代のある人たちにとって、個別に考えることが不可能なくらい、共通する体験だ。
かつての、感染症も戦争体験に近い。死に至るような感染症の蔓延を多くの人が同時に体験する。

しかし、今の病気の体験というのは、あまりに個別化して、お互いの話がなかなか通じない。共通体験が病気として定義されているのではなくて、共通体験を欠くがゆえに、病気の一般的な定義を必要としている。

その結果、生み出された病気の定義が、いったいどのようなものになるか。
どんどん厳しくなる高血圧の基準や糖尿病の基準も、そう考えるとずいぶん腑に落ちる。
 

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